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第37話
リチャードは一瞬、アダムがしつこく言い寄るフィリップに痺れを切らせて、後頭部を手近にあった花瓶で殴る様子を想像した。
「その後どうされましたか?」
「旦那様が縋ってこられるのを振り切って、フレンチウィンドウを開け走って逃げました。お恥ずかしい話ですが、後を追って来るのではないかと恐ろしくて、コテージに戻ると厳重に戸締まりをしてベッドルームに籠もり、朝まで一歩も外へは出ませんでした。最初に刑事さん達にお会いした日、実はあまり良く眠れていなくて、睡眠不足でフラフラだったんですよ」
「そうでしたか……ところでダイニングホールに置いてあった、銅製の花瓶はご存知ですか?」
「花瓶? すみません。以前もお話した通り、あまり屋敷内には出入りしないので、どんな物が飾ってあるのかなど、よく知らないんですよ」
アダムは困った顔をしてそう言う。普段はほとんど屋敷内に入らないと言っていたので、部屋に飾られている美術品に関しては、本当に知らないのだろう。
「ところで、フィリップさんに呼ばれてダイニングホールに入った時ですが、何か特別な匂いのようなものはしませんでしたか?」
「匂い、ですか? いいえ、特に何も気付きませんでした」
だとすれば、アダムがフィリップに呼ばれた時、まだ香水瓶の中身は床に撒かれていなかったことになる。
アマンダもローレンスも鑑識の結果でも、香水は床の絨毯とフィリップの洋服に付着していた、と言っている。だとすれば、彼が倒れる直前、もしくは倒れた後に香水が撒かれたのだろう。だからと言ってアダムがまったくの白だとは言えなかったが、リチャードは、はっきりと彼の証言の中に嘘と言い切れる部分も見つけることが出来なかった。
――香水……
ふとリチャードは、何かが胸に突っかかったような気分になる。何か大事なことを忘れている。
「あの、もうよろしいでしょうか?」
黙り込んでしまったリチャードを見て、アダムが恐る恐る尋ねる。
「ああ、すみません。今のところはこれで結構です。ありがとうございました」
リチャードは我に返ると、礼を述べ、セーラと二人で温室から外へ出た。
「リチャード、何か思い当たることでもあった?」
セーラが心配そうに尋ねる。
「……香水」
リチャードは、この屋敷へ来てからの自分の行動を思い返していた。そう言えば、アマンダの部屋をドロシーの付き添いで捜索していた時、何か不自然な点がなかったか?
「そうだ……どうして、俺が香水瓶を探していたのが分かったんだ?」
「え? 何? どういうこと?」
セーラは突然リチャードが何を言い出すのか、と不審な顔で見つめた。
「俺がアマンダの部屋で香水瓶を探していた時に、何も言っていないのに、ドロシーさんは香水瓶のある場所をわざわざ俺に教えてくれたんだ。何で俺が探しているって分かったんだろう?」
「まさかテレパシーでもあるまいしね」
セーラが冗談めかして言う。
「ドロシーさんは、俺が探している物を知ってたからだ。でもどうやって?」
「私たちが香水について話しているのを、どこかで立ち聞きしていたのかしら?」
「……あの時だ」
リチャードは思い出していた。前日、レイとセーラと自分の三人でキッチンにいた時に、確か香水の話をしなかったか?
あの場には三人しかいなかった。だがもしもドロシーが、目に付かないところで立ち聞きしていたとしたら?
「きっと、昨日キッチンでランチを食べていた時に、話したことを立ち聞きされていたんだろう」
「でも、どうして? 何のためにリチャードに香水瓶がある場所を、わざわざ教えたりするの?」
「それだけじゃない。事件の日の朝、事件現場に撒かれていた薔薇の香水が配達されて、それがアマンダにプレゼントされたことも俺に伝えてきた。つまり故意にアマンダへ意識を向けさせたかったからだ」
「アマンダが犯人だと言いたかったってこと?」
「ああ。だがアマンダは犯人じゃない。フィリップを殺す動機がないんだ。彼女は現状の生活に満足していた。金はあるし恋人もいる。アダムとの関係もすでにフィリップは承知していたんだ。わざわざ殺人なんてリスクを冒す必要はないんだよ」
「それじゃ、犯人は……」
「こういう場合、大抵犯人は自分から目を逸らそうとして、他人を犯人だと指摘するものだろう?」
「まさか」
「多分、そのまさかだ。セーラ、ドロシーさんを今すぐに探すんだ」
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