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第41話

「リチャード、これ落ちたわよ」  セーラが床から白い封筒を拾い上げる。ジャケットが切られた際、ポケットから落ちたらしい。 「ああ、それはセーラが頼んでいた写真だよ」  セーラは封筒から、一枚の古いモノクロームの写真を取りだした。 「これは……」  写真を見て彼女は絶句した。レイとリチャードが脇から覗き込む。 「本当だ……あの絵の中に描かれている女性にそっくりだ」  レイが呟く。  写真の中で薔薇に囲まれて微笑んでいる女性、それはフィリップの前妻ロザリンド・アンダーソン、ローズと呼ばれた女性だった。三人はローテーブルの上に置かれた『薔薇の宴』に視線を移す。薔薇の中に埋もれて恍惚の表情を浮かべている若い女性。その顔はまさにローズのものだった。  あの日、レイのギャラリーでフィリップが驚き、値段を聞くこともせず、どうしてもこの絵を手に入れたかった理由がこれだったのだ。 「もしかしたらこの絵を見て、フィリップの中でずっと抑圧されていた欲求が、爆発したのかもしれないな」  リチャードが呟く。  妻のローズが亡くなった後、廃人同様だったフィリップがようやく生きる道を見つけたのが、美術品の収集だった。そんな美術品だけに情熱を傾けてきた彼が、ある日見つけた絵の中に、恍惚の表情を浮かべる最愛の女性を見つけた時の気持ちを、リチャードは想像した。それはフィリップにとっては、とっくに葬り去った筈の愛しい人を、記憶の彼方から無理矢理引きずり出すような苦しみだったのかもしれない。そのことが彼を少しずつ狂わせていったのだろうか。 「……そう言えば偶然というのは恐ろしいな、ってフィリップ言ってたんだよね」  レイがぽつりと呟く。ローレンスとの会話の時に出てきた言葉だったな、とリチャードも思い出す。 「僕のギャラリーで、偶然見つけた絵の中で薔薇に埋もれるローズを見て、彼は薔薇に取り憑かれたのかもしれないよね。そして庭の温室で薔薇を育てるために、薔薇専門のガーデナーを探し出したら、薔薇の痣があるアダムさんだった。今となってはフィリップが知っててアダムさんを探し出したのか、それとも彼の言葉を思えば、庭師を探したら偶然息子のアダムさんだったのか……」 「レイ、覚えていますか? 最初に事件現場で言いましたよね。フィリップが自分自身で『薔薇の宴』を再現したんじゃないか、って。あの現場には、レイの推察通り床の絨毯に香水がこぼれていました。フィリップがドロシーさんに殴打されて倒れた時に、アマンダの香水瓶をマントルピースの上から落としたんです。その後ダイニングホールに入ったアマンダは、自分の犯行だと思われたくなくて、ローレンスと薔薇を撒いて偽装工作しました。まさかフィリップも、彼自身が偶然に『薔薇の宴』の再現シーンに組み込まれるとは思っていなかったでしょうね」 「そうだったんだ……薔薇と偶然の連鎖が常にこの事件の背景にあったんだね。それしても、フィリップはやり過ぎたんだよ。彼はローマ皇帝ヘリオガバルスを気取ったつもりだったのかもしれないけど、そうは行かなかった。そんな思い上がった行動は、いずれ身の破滅を招くだけだったんだ。本物のヘリオガバルスのように」  レイは苦々しい表情でそう言う。  フィリップは自分の欲望の為に、ドロシーやアマンダ、ローレンスだけではなく、自分の息子である筈のアダムですら手玉に取ろうとした。長年ひたすら耐え続けて来たドロシーにとって、それがどんなに辛いことなのかを知ろうともせずに。 「結局のところ、自業自得だった、って訳ね」  セーラは言った。  リチャードは後ろ手に手錠をかけられ、ソファに座らされているドロシーを見た。彼女は項垂れてじっとしている。彼女は何を考えているのだろう? アダムのことだろうか? アダムはドロシーが母親で、フィリップが父親であることはまだ知らない。このまま知らない方が幸せだろうが、これから捜査が進み、裁判が始まればそうは行かない。全ての真実が明らかになった時、アダムは一体どう思うのだろう? リチャードは先行きを考えると、暗い気持ちになった。

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