2. 　あれは数日前のことだった。いつものように仕事終わりにレイと落ち合って一杯やってる時に、ふと思いだしたように彼はこう言った。 「ねえ、リチャード、あの時のユニフォームどうしたの？」 「は？　ユニフォーム？」 　丁度その日は付き合い出して一年経とうか、という頃だった。レイは記念日とか全然気にしない、と言っていたので何も特別なことを考えていなかったが、彼は気にしない、とか言いつつヴァレンタインやクリスマスなどの行事は意外とちゃんとするので、俺も何かしてあげた方がいいのかな、と思っていたところだった。 「そ、ユニフォーム。ヘンドンの卒業セレモニーの日に着てたやつ」 「ああ、あれか。あのユニフォームなら、フラットのワードローブに掛けっぱなしだな。METに勤務して最初の数ヶ月は、街中の巡回で徒歩警邏だったから、あれ着てたんだ。でも、その後、警察車輌を使っての警邏に変更になったから、制服が替わったんだよ。でもって、その次は特捜配属になったから私服になっちゃったし、結局あのユニフォーム着てたのって、最初の数ヶ月だけだったんだな……」 　俺はあの頃のことを思いだして、懐かしくなった。レイはまた違う懐かしさを感じていたようで、俺の顔をじっと見つめると「もう6年前になるんだね」と呟くように言った。 　そうか、と思う。俺にとっては、ヘンドンの警察学校を卒業してからの5年間は、METで忙しく勤務して、自分のキャリアを築くのに必死だったけれど、レイにとっての5年間は俺への辛い片思いの記憶が詰まっているんだ。 「ユニフォームがどうかしたのか？」 　俺はレイの顔を覗き込むようにして、なるべく優しい口調で尋ねる。彼は俯いていた。少し悲しい顔をしていたのは、あの頃のことを思い出していたからではないのか？ 「あのさ、僕のお願い聞いてくれる？」 「何？」 「明日、僕のところに来る時にユニフォーム持ってきてよ。リチャードがユニフォーム着てるところが見たい」 　彼は恥ずかしそうに、でも、はっきりとした口調でそう言った。 　俺は黙り込んでしまった。 　明後日はオフなので、明日の夜はレイの家に泊まりに行く予定だった。つまりその時にユニフォームを持参して、彼の目の前でそれを着て見せろ、と言う事らしい。 「……駄目？」 　レイは遠慮がちにそう尋ねる。 　ずるい、そういう顔されて、俺が駄目って言った試しがあったか？　ある訳ないだろ？ 「……分かったよ。持って行く」 「ありがと、リチャード」 　満面の笑顔でそう言われたら、もう二の句が継げなくなってしまった。 ――明日は忘れずにユニフォーム持参しないとだな…… 　翌日、俺は終業時間までそわそわと落ち着かない気分で過ごした。デスクの下には紙袋が押し込まれている。 　中には……ユニフォームが入っていた。もしもセーラにでも見られた日には、何を言われるか分かったもんじゃない。絶対に見つからないようにしなくては。 　あと5分で勤務時間が終わる……壁に掛かっている時計をちらちらと気にしながら、急いで残りの仕事を片付ける。 「リチャード、明日休みよね？」 　後ろから突然セーラが声を掛けてくる。 　俺は思わず必要以上に驚いてしまった。 「何びっくりしてんの？」 　セーラは俺の側まで歩み寄ると、不審な顔をして見つめる。 ――やばい、怪しまれた。 「ねえ、何か隠し事してない？」 「え？　何言ってんの？　俺がセーラに隠し事なんてする訳ないだろ？」 「……怪しい。そういうことを言う時に限って、リチャードって何か私に知られたくない事あるよね？」 　流石に付き合いが長いだけあって、セーラは鋭い。鋭いのは勘だけじゃない。彼女はじっと俺の顔を見つめる。それは犯人を追い詰める時の警察官の顔だった。 ――俺、犯罪者じゃないし…… 「あ、あの、もう行かないと」 　俺は及び腰になってそう言う。その瞬間セーラの表情ががらり、と変わる。 「なんだ、レイくんのところに行くのに、焦ってたの？」 「あ、ああ、そ、そうなんだよ」 　その時思わず足が紙袋に当たって、音を立ててしまった。 　セーラはそれを聞き逃さない。眉を潜めてデスクの下を覗き込む。 「リチャード、その紙袋何？」 「え？　これ？　いや、その私物……」 「珍しいよね。私物なんて滅多に持ってこないくせに。何が入ってるの？　レイくんへのプレゼントか何か？」 　セーラはそう言うとさっさとしゃがみ込んで、足元から紙袋を引っ張り出す。 「うっわ、懐かしい！　どうしたの、このユニフォーム！」 「こっ、声がでかいから……」 「隠す必要ないじゃない。……え？　もしかして、リチャード警察辞めるの？！」 　セーラが驚いた顔でそう言う。 　普段ユニフォームを着用しない署員、つまり俺たちのような私服組がユニフォームを着るのは、何かの式典の時か、もしくは退職する時だった。 　何も式典の予定はないので、セーラは俺が退職する、と思ったらしい。 「いや、違う！　辞める予定は全然ないから！　今辞めたら勤めるところなんて、どこにもないし……」 「レイくんのギャラリーで雇って貰えるんじゃないの？」 「……それはちょっと……」 　俺は口ごもる。一日中レイと一緒にいたら、絶対仕事にならない。それだけは間違いなく言える。 　何故って？ 　あんな可愛い恋人がずっと側にいてみろ、仕事になんて集中出来る訳ないだろ？ 「じゃなんで？」 　セーラが不思議そうな顔で尋ねてくる。 「いや……その、レイがユニフォーム着たところを見たい、って言うから」 　俺は声をひそめてそう言う。セーラは黙って俺の顔を見つめていたが、数秒後、顔を顰めてこう言った。 「リチャード、変態」 「は、はあ？」 　俺は驚いて何と返答していいのやら分からず、呆然とセーラを見つめる。 　セーラは口元を手で押さえながら俺に向かって言った。 「一体、何するつもり？　制服プレイ？」 「え？　何それ……」 「やらしいわねえ。そう言えばこの間のヴァレンタインデーの時は、お風呂でシャンパンプレイだったっけ？」 　彼女はにやにやしながら俺を見つめている。 「ち、違うってば、あれはレイが……」 「ほら、すぐレイくんのせいにして。レイくんみたいな清純派の子がそんなやらしいこと言う訳ないでしょ？　そういうのは全部リチャードのアイデアに決まってるじゃない。今更隠したって無駄よ」 「違うんだってば……」 　俺が必死に否定すればするほど、セーラの疑惑は深まるようで、まったく耳を貸そうともしない。 「長い付き合いだと思ってたけど、意外な一面を知って驚いちゃったわ。まだまだ知らないことがたくさんあるのね」 「だっ、だから、セーラ誤解だってば。俺じゃないんだって」 「ほらほら、早く行かないと、レイくんと会うのに遅刻して怒られちゃうわよ？」 　時計を見るとすでにシフトの終業時間はとっくに過ぎていた。 「あ、まずい、待ち合わせ時間に遅れる！」 「じゃ、また明後日ね。レイくんと楽しんでね」 　セーラはにやには笑いを止めようともせず、俺に向かって手を振った。 ――変な誤解したままじゃないか…… 　俺は弁解を続けたかったが、待ち合わせに遅れてレイにお小言を食らう方がダメージが大きい、と判断してオフィスを後にすることにした。 　急いでジャケットを羽織ると、紙袋を引っ掴んで急いでレイのギャラリーへ向かう。