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惚気話
「ただいまー」
画面の向こうから、打ち合わせ相手とは異なる声が聞こえてきた。
「あれ、弟さん? 」
「いえ、恋人です」
表情に出ないよう、心の中だけで首をかしげる。私の記憶が正しければ、彼がいつも話している『恋人』とは、相当な不器用で、でも彼のことが大好きな、すてきなカノジョだったはずだ。
「去年から同棲してるって言ってた、かわい子ちゃんのこと? 随分と……いい声だね? 」
「そうなんです、わかります? すごく、いい声なんですよ」
……特に性別は聞いてなかった、気がしてきた。
「まいったなぁ。おじさん、そういうのに疎くて」
わざとらしく、薄くなってきた後頭部を掻く。バレバレなお茶を濁し方だ。
「疎くてもなんでもいいので恋人自慢を聞いてください」
「えええ……」
食い気味な返答に、画面の向こうから圧力を感じる。
「この前も、料理ぜんっぜんできないのに、朝ごはんに目玉焼き作ってくれたんですよ。健気でしょう? 」
彼はただただ、かわいい恋人の自慢話をしたいだけらしかった。仕事のときのクールな表情とは打ってかわって、宝物を見せびらかす子どものようだ。
「ほほー、それはかわいらしい」
「しかも、綺麗にできたほうの皿を、俺の方に置いといてくれて……。あいつの皿の方が先に作ったのがわかっちゃって、交換してもらったんです。うまかったなぁ」
なるほど、こりゃぞっこんになるわけだ。
その後も惚気話は続いた。一生懸命話す姿は、すでに独り立ちした息子が、まだ幼かったころを思い出させた。自然と目も細くなる。あいつは今どうしているだろうなぁ。
「こら、仕事中に何話してんの」
かわいい彼が戻ってきた。ラフそうな格好で、濡れた髪にタオルを乗せている。シャワーを浴びてきたようだ。
今日は関東全域に梅雨前線がかかり、明け方から雨が降っている。時計は昼の十一時をさしているのに、止む気配がない。
かわいい彼は雨に濡れながら帰ってきたのかもしれないな。
「惚気話! 」
「恥ずかしいからやめて。すみません、お仕事中に」
「いやぁ、構わないよ。僕も冬治くんに、家族の話を聞いてもらってたしね」
「ふたりとも仕事してください……」
そう言うと、かわいい彼は呆れたように眉根を下げて、フレームアウトしていった。
「打ち合わせも終わっているし、恋人さんも帰ってきたことだ。冬治くん、今日はこの辺でお開きにしようか」
「わかりました。今日はわざわざありがとうございました」
「いやいや。また、お話聞かせてくれるかな」
「はい! もちろんです」
「じゃ、またの機会に」
手を振りながら、会議のアプリケーションを閉じた。
四畳半ほどの和室に、女物の和服がずらりと掛けてある。一番奥にはこぢんまりとした仏壇。手を合わせるのは、先週ぶりだろうか。ろうそくに火をつけ、紫色の線香を立てる。
ラベンダーは、きみの一番のお気に入りだ。
「やあ、きみ。もう慣れたつもりだったんだけど、またきみに逢いたくなってしまったな」
写真のきみは、もう年を取らない。一番いい笑顔を選んだつもりだったけれど、記憶の中のきみは、怒った顔も、照れた顔も、素敵だった気がする。
しばらく感慨にふけっていると、胸ポケットに入れていたスマホがぶるりと震えた。冬治くんが、何か伝え忘れたのだろうか。
画面を開くと、息子からのメッセージだった。文章の最後に『盆には帰る』とある。
雨が止んだら、もうすぐ夏が来る。
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