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第8話
The Diary of Lord Wimborne/ウィンボーン卿の日記・3
僕はいつもの馴染みのジェントルマンズクラブの喫煙室で、ウィスキーの入ったグラスを片手に持ち、モスグリーンのヴェルヴェットのソファに深く体を沈めていた。
部屋の中には、僕以外には誰もいない。
クラブのまとめ役であるバトラーのメイソンに頼んで、しばらくの間だけ貸し切りにしてもらったのだ。
コンコン、とドアをノックする音が聞こえる。
――来たか……
「入れ」
「ロード・ウィンボーン、失礼致します。サー・アルフレッドがお着きになりました」
「通してくれ」
「かしこまりました」
メイソンが引っ込むのとほぼ同時に、赤ら顔の中年の男性が部屋に入ってきた。
「これは、これは従兄弟殿。私を呼び出すなんて、珍しいことをなさいますな」
「サー・アルフレッド、お久しぶりです」
僕はウィスキーグラスをサイドテーブルに載せると、立ち上がり右手を差し出した。アルフレッドはちらり、と僕の表情を伺うように見てから、手を出して軽く握り返す。
「……今日は何の御用ですかな?」
アルフレッドは疑いの眼差しを僕に向ける。僕に呼び出された理由がまったく分からないようだった。
「ミス・クリフォードをご存知ですね?」
僕は単刀直入に尋ねる。この男には遠慮という気遣いは無用だ。大体遠回しに尋ねたところで、答えに辿り付けるような脳みそを持ち合わせてはいない。
「……ええ、知っていますよ? それが何か?」
どうせ僕がこの次に言うであろう言葉なんて、とうに分かっているだろうに、わざと何も分からないフリをするなんて、やはりこの男は低能だな、と僕は思った。
「彼女のパトロンを降りて頂きたい」
「これはまたどうしてですかな?」
「彼女のパトロン役を譲って頂きたいんですよ」
にやり、とアルフレッドは下卑た笑いを浮かべる。
この男にサーの称号ほど不似合いなものはない。まったくどうしてこんな奴が、我が家系の末席を汚すことを許されているんだ。僕は腹が立って仕方なかった。
「珍しいこともあるものですね。お母上はご存知のお話で?」
嫌な奴だ。母の話題を出せば、自分が有利に立てるといまだに思っているのか? もう母の影に怯える子供じゃないんだ。お前が母方の従兄弟だからといって、僕が遠慮する理由なんて何もないと何故気付かない? 忘れたのか? 僕はお前よりも爵位が上なんだよ。
僕は見下すような視線を彼に向けると、冷たい声でこう言ってやる。
「……うちの屋敷で働いていた娘に手を出して、母の怒りを買ったあなたとの仲裁役を務めたのは、余計なお世話だったようですね」
アルフレッドの顔が真っ赤に染まる。
「あれは……もう3年も前だろう? そんな昔の話を持ち出して、今更……」
「ミス・クリフォードをお譲り頂きたい」
僕は少し苛ついた表情を浮かべると、毅然とした態度で言い切った。もうこれ以上の会話は無駄だ、と言わんばかりの僕の様子にアルフレッドが怯む。
「そ、そんな横から無理矢理奪うような卑怯なやり方をして、後悔することになりますぞ」
「無理矢理? あなたは喜んで僕に譲ってくれるのではないのですか?」
「ぐっ……」
アルフレッドは黙り込んでしまう。
無駄なんだよ、お前のような能なしがいくら吠えたところで、僕に敵う訳がないだろう? 最初から「喜んでその役、お譲りします」ぐらいの気の利いたセリフの一つも言えないのか?
「フランシス、ミス・クリフォードはお前のものだ……」
爵位名ではなく、僕の名前を呼ぶことで自分の自尊心を保ったつもりか? 本当に下司な男だ。
アルフレッドは悔しそうにソファから立ち上がると、握手と挨拶もせず、黙って部屋を出て行った。
僕は負け犬の後ろ姿を見つめながら、勝利の美酒に酔いしれた。
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