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第15話

7.  リチャードがAACUのオフィスに行くと、すでにスペンサー警部が彼の到着を待っていた。セーラから「オフィスで待ってるから、顔出せって言ってたわよ」と言われて、スペンサーのオフィスとなっている小部屋へ入る。 「おはよう。リチャード、昨日は災難だったな。まさか我々の元同僚の事件に、きみが巻き込まれるとは思わなかったから、驚いたよ」 「私も驚きました……」 「そりゃそうだろう……ご苦労だったな。それで、今朝早速特捜のクロスビー警部から捜査協力の依頼が来て、こちらはきみを担当官に指名したと伝えてある。事件の発見者だから嫌がられるかとは思ったが、きみが無罪なのは誰もが承知のことだから構わないだろう。かえって、事件の第一発見者ということで何か気付くことがあるかもしれないし、向こうと協力してせいぜい上手くやってくれ」 「あちらの担当官は、フォークナー巡査部長なので、私も慣れていますし大丈夫です」 「さすがリチャードだな。しっかり根回し済みという訳か」 「……」  スペンサーにはすでに見破られていたか、とリチャードは少し苦笑して俯く。 「褒めてるんだよ。それぐらい上手く立ち回ってくれた方が、うちのためにもなるから」 「ええ、分かっています」  所詮は狸と狐の化かし合いのようなものである。同じMET署内とはいえ、向こうとこちらでは立場が違いすぎる。あちらは犯罪捜査の花形部署、こちらは誰も来たがらない島流し部署。まったく無縁とも思える犯罪捜査の場においても、政治的配慮というものが必要なのだ。リチャードは特捜にいた5年の間に嫌と言うほど、その重要性を思い知らされた。  とりあえず向こうは、常に上から目線でリチャードたちを見下した態度しか取らないだろうと簡単に想像がつく。だから、自分もそれなりに先読みして動くしかない。リチャードには、特捜側の意識が手に取るように分かるので、ハワードに担当を受けるように話をつけておいたのだ。 「とりあえず、昨日も言ったが、もしもレイモンドくんの協力が必要なようなら、すぐに連絡して手助けして貰ってくれ。その際は私にいちいち許可を求めずに、リチャードの裁量で判断してくれて構わないから」 「あ、あの、いいんですか?」 「きみもここに来てもう1年が過ぎただろう? そろそろもっと責任のある仕事を任せようと思っていたところだ。レイモンドくんについては、きみが連絡係を務めているし、これからは彼に関しての件はきみに一任するから」 「……分かりました」  リチャードは仕事がやりやすくなったと思う反面、ますます公私混同に繋がるのではないか、という懸念を同時に抱いた。自分自身は仕事とプライベート、けじめをつけているつもりにはなっているが、どことなく曖昧な部分があるのも確かだ。プライベートにまで仕事を持ち込んで、レイを疲れさせてしまわないだろうか? と心配になる。  だがとりあえず、これからはその都度スペンサーに許可を得なくても、レイに仕事上の依頼を気軽に出来るようになったのだ。その事実がリチャードの気持ちを明るくする。  リチャードはスペンサーの部屋を辞すると、セーラのデスクの側に立った。 「……何?」  セーラはあからさまに迷惑そうな顔で、リチャードを見上げる。 「もしかして、忙しい?」 「忙しいわよ。今3つの件を同時に処理してるんだから。まあ、どれも大した事件じゃないから、今日明日にはケリが付くと思うけどね。私の手助けが必要なの?」 「いや、まだ大丈夫。どうしても必要になったら、無理矢理にでも助けて貰うから」 「リチャード、何だか最近貫禄出てきたよね。そろそろ警部に昇格の話でも出てる?」 「まさか。このポジションに就いてまだ2年目だよ? 最低でも5年はそういう話にはならないだろう? 大体、俺が貫禄って柄かよ」  リチャードは呆れた顔をして、セーラを見つめる。 「ま、いいわ。何かあったら手伝うから言って。それより、さっき内線電話でフォークナー巡査部長から連絡入ってたわよ。折り返し電話させるって伝えたけど」 「ありがとう。多分、鑑識の結果報告だな……」 「ああ、例のベイカー元教官の事件ね。あれ、署内でだいぶ噂になってるわよ」 「そうなのか?」 「警察官時代に何か恨み買ってたんじゃないか、とかヘンドン時代に苛めた生徒の仕返しじゃないか、とか変な噂だけどね。ベイカー元教官がそんな人物じゃないことぐらい、皆知ってるくせに、つまらない話を嬉々として喋ってるんだもん。何だか聞いてていい気はしないわ」  セーラの言葉に、リチャードは同感だった。自分もそうやって、過去に何度も根も葉もない噂話を署内で流されたものだ。MET内のお荷物部署AACUに異動になってからは、左遷部署に島流しにあったとばかりに、ようやくやっかみの対象から外れたらしく、最近ではあまり噂話の種に取り上げられなくなったが。 「そうか……とりあえず、今のところは俺一人で何とかなるから、困ったらよろしく」 「了解」  セーラはそう言うと、また手元の書類に目を戻した。リチャードは自分のデスクに座ると、内線でハワードの番号を押す。 「フォークナー巡査部長です」 「俺だよ」 「ああ、リチャード。鑑識の報告書が来たんだ。被害者の殴打痕から、凶器は何か棒の形状の物らしいっていうのが分かった。後ろから一撃されてる。店内を捜索したんだが、今のところ殴打痕と一致する凶器は見つかってない」 「他は?」 「店の中の売り上げを入れてある手提げ金庫は手つかずのままで、オフィスにあった固定式の金庫もこじ開けたような様子は一切ない。中身に実際手を付けてあるのかないのかは、こちらでは勝手に開けて調べられないから、本人の目が覚めてからじゃないと確認出来ないが。どうやら物盗りの犯行じゃなさそうだな」 「彼の容態はどうなんだ?」 「今のところ安定してる。昏睡状態は続いているが、脳に異常はないから、時期がくれば目が覚めるだろうって話だ」 「ベイカー元教官には、家族はいないのか?」 「5年前に父親が亡くなった後、あの店を継いでるのはお前も知っての通りだけど、母親はとっくに亡くなってて、兄弟や姉妹はいない。本人も結婚してないから、たった一人きりってことだな。遠い親戚の父方のはとこだかなんだかって人には一応連絡したけど、その人も一度も面識ないらしい」  リチャードはハワードの言葉を聞いて、思わず自分の身に置き換えて考えてしまった ――もしも今、自分がいなくなったら……  自分には両親も兄弟、姉妹もいない。母親の両親も早死にしているので、そもそも自分に親戚と名の付く人たちがいるのかすら、まったく知らなかった。そんな自分がベイカーのような目に遭ったとしたら……  だがそこまで考えて、ふいにレイの顔が思い浮かんだ。 ――少なくとも彼だけは悲しんでくれるだろうか。 「それと、お前が言ってたチッペンデールとやらの机の購入元だけど、店の帳簿調べたらすぐに分かったぞ。さすが元警察官だな。几帳面すぎるくらい細かく購入元について書き記してあった」 「誰から買った物だったんだ?」 「ポール・ガートフィールドって男で家はメイフェアだ。相当な金持ちだな。お前が言うように家族は貴族さまじゃないか? 本人には爵位がないみたいだけど」 「聞き込みに行くのか?」 「もちろん。ただ、お前が言ってたロシアンマフィアとの絡みがまだ分かってないから、今それを調査中だ。分かり次第行くから同行してくれ。ずっとデスクにいるんだろ?」 「連絡来るまで、デスクで待機してるよ」 「今スタッフにデータベース当たらせてる。そう時間はかからない筈だから」 「分かった」  リチャードは受話器を置くと、ぼんやりと薄暗い窓の外を眺めて溜息をついた。

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