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第16話

 ある英国人スパイの告白・3  あれから一体何時間、いや何日が経ったのか……まるで頭の中で鐘が打ち鳴らされ続けているような感覚が止らない。そのせいで、時間の感覚までおかしくなってしまった。出血は止まったが、頭がずきずきと痛み続ける。足もだ。体の鈍痛も続いている。このまま死ぬまで放って置かれるのだろうか。別にそれでも私は構わないのだが。  一つだけ心残りがあるとすれば、我が祖国の勝利の瞬間を見る願いが叶わなかったという事だろうか。  この戦いには絶対に勝つと、私はずっとそう信じていた。信じていたからこそ、この身を戦地へ投じたのだ。  半年前、ベーカーストリートにあるオフィスに、最後に行った日の光景を思い出す。  あの時、私の他に数人の工作員が呼ばれていた。全員祖国に命を捧げる覚悟であの場に立っていた。二度とここへは戻らないだろうと、柄にもなくどこか悲愴でセンチメンタルな気分になっていた。  SOE(Special Operation Executive/特殊作戦執行部)、別名チャーチル秘密軍または、ベーカー街遊撃隊と呼ばれる我々は、工作員としてフランスやポーランド、オランダ、ベルギーといった最前線、そして敵国ドイツやイタリアへ送り込まれる。つまりスパイとして、戦地で我が英国に戦勝をもたらすであろう、有益な情報を探り出し、そして様々な方法で母国へ送るのが仕事だった。スパイだと分かれば死は免れない。命がけなどという言葉では生ぬるかった。まさに常に死と隣り合わせで、任務を遂行するのが私達だったのだ。だが、今ここでこうしている瞬間も、前線では兵士たちが銃弾の雨の中、必死に戦っている。彼らのためにも何か一つでも、どんなに小さなヒントであっても、情報と名のつくものを探し出し、そして母国へ送るのが我々の使命だった。  私はこれから死ぬかもしれないのだ、というどこか冷めた気持ちと同時に、祖国のために命を散らすという事実に妙な高揚感を感じていた。  私と同僚である数人の工作員たちは、上官からチャーチル殿下のありがたいお言葉を頂き、翌日戦地へ送り出された。  そして半年後、私はどこだか分からない冷たい独房の中に一人横になっている。少し体が熱くなってきた。熱が出てきたのかもしれない。もう死は間際なのかもしれなかった。  最後にもう一度、屋敷の見事なウィステリアを眺めたかった……私はそう思い目を閉じた。瞼の向こう側に紫色の美しい満開の花を思い浮かべると、不思議と落ち着いた穏やかな気持ちになった。

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