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第17話
The Diary of Lord Wimborne/ウィンボーン卿の日記・6
とうとうこの日が来た。僕はいそいそと用意をすると、彼女の住むフラットへ車を向わせた。膝の上には小さなブルーの紙袋。中には二つの贈り物が入っていた。どちらも僕が心を込めて、彼女のために選んだプレゼントだ。大丈夫、きっと気に入って貰える筈。
車が彼女のフラットの前に停まる。運転手がドアを開けてくれたので、僕は車を降りてフラットのドアベルを押した。少しして「はい」と声がしたので「フランシスです」と言うと、すぐにドアの鍵が開く音がした。フラットは、階段を上って右手にある最初のドアだ。彼女のような素晴らしいオペラ歌手がこんなせせこましく、質素なフラットに住んでいるなんて、本当に信じられない。以前、僕が所有している西ロンドンのフラットに住まないか、と尋ねたのだが「私には身分不相応です」とすぐに断られてしまった。囲われている、と勘違いされるのが嫌だったのかもしれない。それとも彼女は独立心旺盛だからだろうか? どちらにしても、彼女は自分自身の力で生活するのを好んだ。
だがそれも今日で終わる。僕のこのプレゼントを受け取ってさえくれれば。
階段を上がり目的のドアをノックすると、すぐに彼女が顔を出した。
美しい金髪と深い蒼い瞳、にっこりと微笑んだ顔は、まるで聖母のように慈しみに満ちている。
「エレノア、中に入ってもいいだろうか?」
「もちろん」
彼女は優雅な仕草で僕を中に招き入れると「お茶を飲みますか?」と尋ねた。
「いや、その前にきみに渡したいものがあるから、ここへ来てくれるかな」
僕が改まった口調で言うと、彼女はこれから一体何が始まるのだろう? と不思議そうな顔で僕の前に立った。
僕は小さなブルーの紙袋を、彼女に差し出す。
ふわりと柑橘系の爽やかな良い香りが漂った。
「まあ、いい香り……」
「開けてみて」
エレノアは紙袋を開けると、中から小さな茶色の袋を取りだした。その小袋のラベルに書かれている名前を、彼女は口にする。
「Blue Lady(蒼い淑女)……」
「誕生日おめでとう、エレノア。これはきみのために作らせた紅茶なんだ。きみと初めて出会ったギルドホール音楽学院の卒業コンサート、あの時に演じていたミカエラをイメージしたんだよ。ミカエラの衣装のブルーのドレスときみの蒼い瞳が、とても美しく調和し舞台で映えていた。なんと麗しく神々しいのだろう、と僕は目を離すことが出来なかった。僕はあの時のきみを一目見て恋に落ちたんだ」
「……ありがとうございます」
エレノアは嬉しそうにそう言う。そして紙袋の中にもう一つ、小さな青いヴェルベットの箱が入っていることに気付いた。
「これは……?」
「その箱、貸して」
僕はそう言って、彼女の手から箱を受け取る。そしてそっと彼女に向けて、その箱を開いた。中にはブルーサファイアのきらきらと光る指輪が入っている。その指輪が入った箱を彼女の目の前に差し出しながら、僕は意を決して尋ねた。
「エレノア・クリフォード、僕と結婚して下さい」
「フランシス……」
彼女は驚いた顔で僕を見つめた。そして数秒後、頬を赤く染めて小さな声で「喜んで」と答えた。
ほうらご覧、僕が思った通りだっただろう? 彼女はきっとそう言ってくれるって信じていた。もう二度と僕はあの人の影に怯える必要なんてなくなったんだ。これからは彼女と二人で生きていく。僕だけの家族を彼女と作るんだ。
僕の胸は希望という名の温かな未来で充ち満ちていた。
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