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第21話
10.
「まったく、一体何なんだよ、あの男……」
ハワードは、ぶつぶつと口の中で文句を言い続けながら、車のエンジンを掛ける。
「まあまあ、貴族なんてあんなもんだろ? 気にするな」
「それにしたって、人が一人殺されかけたってのに、もうちょっと協力してくれたっていいと思わないか?」
「雲上人にとって下界の人間なんてものには、一欠片も協力する価値はないんだよ」
「腐っても貴族って奴か。まったく嫌になるな」
ハワードが苦い顔をするのも無理はなかった、ポール・ガートフィールドに面会を求めたものの、すぐには会って貰えず、しつこく食い下がってようやく話を聞かせて貰える、と思ったのもつかの間、ポール本人がドアを開けた途端に「何しに来たんだ、税金泥棒」と大声で罵られた。
一瞬かっとなったハワードの表情を見たリチャードは、そっと彼を押しとどめ、持ち前の柔らかな人当たりの良い態度で「ベイカーアンティーク店に売却したチッペンデールの文机の件で、お伺いしたいことがあるのですが」と丁寧に尋ねると、ようやくポールは二人を家の中に通したのだった。
この家の主、ポール・ガートフィールドは50代前半くらいの小太りの男性で、だいぶ後退して残り少なくなった茶色の頭髪を何とか頭に撫で付け、自信のなさそうな顔付きで、きょろきょろと人の顔色を常に伺うような目付きをしていた。家は相当な金持ちだと聞いていたが、彼が身につけているのはどこか時代遅れなスタイルの、よれよれのシャツと膝が抜けたコーデュロイの茶色いボトムス。前もって彼の出自を聞いていなければ、とても貴族の家系だとは思えなかった。
何とか部屋に通して貰えたリチャードは、ベイカーに売った文机の件の経緯を尋ねたものの、ポールはのらりくらりと質問をかわし、何も彼らの実になるような新事実を教えては貰えなかった。
ただ一つ、彼が強硬に言い張ったのは「ベイカーが、あれは本物のチッペンデールじゃない、って言うから向こうの言い値で了承したが、あれは絶対本物だから、その差額分を早く支払って貰いたい」ということだった。
何故そこまではっきりと言い切れるのか、リチャードが疑問に思い「どうしてあれが本物だと分かるんですか? どういった確証があって、仰られているんでしょうか?」と尋ねると、ポールは途端に顔を真っ赤にして怒り出した。
「あれが本物だと知ってるから、そう言ったまでだ。あんたみたいな素人に、あれこれ口出しされる謂われはないだろう? とにかく、差額分を支払って貰わないと困るし、支払って貰えないんだったら、あの文机は今すぐ返して欲しい」
「申し訳ないのですが、あれは事件現場にあった証拠品ですので、簡単にお返しする訳にはいかないんです」
「何だって? あれは元々俺のものだろう? 何で返せって言って返して貰えないんだ!」
ポールは、ますます顔を真っ赤にして怒鳴る。それを見たハワードは不機嫌な顔をして、そっぽを向いていた。やたらに口を開いたら、自分まで怒鳴り返してしまいそうだ、と思っていたのだ。こういう時はリチャードに任せるに限る、とばかりに彼は傍観者を決め込んでいた。
「捜査終了後にお返しできるかもしれませんが、そもそもあの文机はもうベイカーさんの所有物ですから、事件解決後にベイカーさんとお話して頂くことになります」
「……ベイカーはどうなったんだ?」
「意識不明の状態です。とにかく、今は彼を襲った犯人を捕まえなくてはならないので、どうかご協力下さい」
「俺は何もしてないぞ?」
「あなたを疑っているとは、一言も言ってません」
それとも何か後ろ暗いところでもあるのか? とリチャードは密かに思う。ポールが突然、そわそわと落ち着きない素振りを見せ始めたからだ。
「なんだか、俺がベイカーと金銭トラブルがあって襲った、って言ってるみたいに聞こえたんだよ」
「そんなことは言ってませんよ」
リチャードはあくまでも落ち着いた態度と、淡々と変わらないトーンで話し続ける。それとは対照的に、段々とポールは焦ったような表情になり、しまいには額には脂汗すら浮かべていた。
「ベイカーさんとのお付き合いは長いんでしょうか?」
「ん? ああ、そうだな、長いと言えば長いのかな? はっきりとどれくらいとは分からないが」
ポールは曖昧な答え方をする。何かを隠している様子なのが、ありありと分かるようなあやふやな答え方だったが、本人は上手く言い逃れたと思っているらしく、どこか安心したような表情だった。
「ところで、ポールさん。昨日の午後1時半から4時半までの間、どこで何をされていましたか?」
リチャードの冷静な問いに、ポールはびくり、と体を震わせた。
「な、なんでそんなことを聞くんだ? 一体それはどういう意味なんだ?」
「お答え下さい」
リチャードは、ポールの拒絶するような態度にも怯まずに尋ねる。
午後1時半から4時半、それはベイカーが襲われたと思われる時間帯だった。
前日、リチャードのところにベイカーから電話が掛かってきた後、通話が終了したのが1時半ちょっと前。そしてリチャードが彼の店へ出向き、襲われているのを発見したのが午後4時半。その間に、彼は何者かに背後から殴打されたのだ。
「き、昨日は一日中家にいたんだ。一歩も外には出てないぞ。だからベイカーを襲うなんて無理なんだからな。俺は違うぞ、分かったか!」
ポールは真っ赤な顔で言い返すと「もうこれ以上話す事はないから、帰ってくれ」と言った。
「分かりました。また事実確認のため、こちらに再度伺うと思いますが、その際はどうぞご協力をお願いします」
リチャードがそう言うと、ポールは、うう、とかむう、とか言葉にならない唸り声をあげて決まり悪そうな顔をした。
どこからどう見ても、ポールは怪しいとしか言いようがない。
二人は家を辞した後、車に乗り込んでからお互いの感想を述べ合う。
「絶対あのおやじ何か隠してるぜ」
「確かに本当の事を、素直に言ってるとは思えないな」
「後は、ここの家族と同居人のバックグラウンドチェックが終わったら、また詳しく聞き込みに来るしかないな」
ハワードはそう言ってハンドルを切ると、MET庁舎へ向けて車を走らせる。
――今日はこれ以上進展もなさそうだし……レイに会えないかな……
リチャードはそう思って、ジャケットのポケットから携帯電話を取り出す。その時、まるでタイミングを計っていたかのように、電話が鳴った。
携帯画面に映し出された名前は、フローレンス・ブレイク。リチャードはすぐに応答する。
「リチャードです。……お久しぶりですね」
リチャードは窓の方を向くと、声をひそめて会話する。
「はい……分かりました。その時間に伺います」
リチャードは電話を切った。普段誰にも見せない、どこか悲しげで物思いに耽るような複雑な表情を浮かべている。ちらり、とハワードは横目でそんなリチャードを見たが、何も言わずに運転に集中していた。
電話を切ってすぐに、まだリチャードの手に残されていた携帯が鳴る。今度の電話の主は……
「どうした?」
「リチャード、今話しても大丈夫?」
「ああ、俺も今かけようかと思ってたところだ」
「……今日会えないかな、と思って」
「構わないよ」
「今日のシフト早上がりって言ってたよね? 終わる時間に、リチャードのフラットに行ってもいい?」
「あ、ごめん……ちょっと急ぎの仕事が入ったんだ。7時頃だったら戻ってると思うから、それ以降なら」
「分かった。じゃあ、それくらいに行くね」
リチャードが電話を切ると、ハワードがからかうような口調で言う。
「なんだ、彼女とデートか?」
「まあな」
「お前いつの間に、新しい彼女作ったんだよ。AACUってそんなに暇なのか?」
「暇じゃないさ。それでも出来る時には出来るんだよ。お前は最近どうなんだよ」
「リチャード……誰か紹介して……」
「……俺に言うなよ」
リチャードは苦笑して言い返す。もしもハワードに、自分が付き合っているのが警視総監の甥のレイモンドだ、と言ったら一体どんな顔をするだろう? これまで女性としか付き合った経験がなかったのに、男の恋人が出来たと知って驚くだろうか? いや、彼の事だから、あんまり普段と変わらない調子で「何だ、羨ましいな」と言って終わりかもしれない。だが、レイモンドとの仲は他言無用だ。例え親しいハワードであっても、言う訳にはいかない。
二人を乗せた車は、静かにMET庁舎の駐車場へ滑り込んでいった。
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