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第24話

 The Diary of Lord Wimborne/ウィンボーン卿の日記・8  愛するエレノアのお腹が大きくなってきた頃、僕は決意したことがあった。それは彼女を連れて一度屋敷へ行くということだ。  本当は連れて行くつもりは全くなかった。  それどころか屋敷には、もう金輪際一歩も近づくつもりなんてなかった。  だがエレノアが「お腹の子にとってはおばあちゃんになるのよ? きちんとご挨拶しなくちゃ私が気になるわ」と言い張るので、僕は仕方なしに同意せざるを得なかった。  エレノアには十分に、あの気難しい人についての説明はした。それでも彼女は決して自分の意思を曲げようとはしなかった。それは彼女が幼くして両親を亡くし、天涯孤独の身であったという経験がそうさせるのかもしれなかった。  ある夏のとても良い天気の日、僕たちは車で屋敷へと向った。ロンドンから西へ2時間ほどのちょっとした旅行だ。考えてみたら、エレノアと一緒にロンドンの外へ出るのは初めてだった。彼女もそれが分かっていたからか、とても嬉しそうにはしゃいでいた。  2時間ほどで僕の屋敷に着くと、彼女は広大な敷地を見て驚いていた。 「……こんなに広いなんて、一言も教えてくれなかったから驚いたわ」  そうお腹の子にも言い聞かせるように、円く大きくなった腹部をゆっくりと撫でる。その彼女の表情は、本当に聖母のように美しかった。  車は屋敷の正面玄関に停車した。エレノアは降車すると、珍しそうに屋敷の入り口できょろきょろと周りを見回す。 「こんなに大きなお屋敷、映画でしか見たことないわ」 「映画では大抵、首なし幽霊が出て来たりするもんだけど、残念ながらここにはそんなのいないから期待はしないで」  僕の冗談にエレノアはくすくすとおかしそうに笑った。そんな彼女の表情が、緊張している僕の気持ちを解してくれる。  車が到着するのを見ていたのか、扉が開き中から執事が出てきた。 「お帰りなさいませ、マイロード」 「母はどうしている?」 「広間でお待ちでございます」 「分かった」  僕は母にエレノアを会わせて挨拶したら、すぐにロンドンに戻るつもりでいた。この屋敷に長居などして良いことなど一つも無い。  広間に入ると、母がソファに座ってこちらをじっと見ていた。まるで鷲のように鋭い眼光が僕を射るように見ている。昔からそうやって、僕を威嚇して自分の言う事を聞かせようとしてきた。だが、僕はもうあの人の言うなりじゃない。今の僕にはエレノアがいる。彼女が僕を必要としてくれるように、僕も彼女を心の支えにして、あの人に立ち向かわなければならない。そうしなければ、子供の頃から続いた呪縛からは解放されない、と分かっていた。  僕の後ろに隠れていたエレノアが、恥ずかしそうに前に出る。その彼女を見た途端、母はまるで痙攣を起こしたかのような様子で、がたがたと体全体を震わせ始めた。 「……?」  僕はそんな様子の母を一度も見たことがなかったので、ひどく驚いてその場に立ち尽くしてしまった。エレノアは冷静に母の元に近づくと「大丈夫ですか? お母さま」と尋ねる。だが、そんなエレノアに向って母は「近寄るんじゃないよ、この悪魔!」と怒鳴りつけた。  エレノアは驚いた顔で後ずさる。  その彼女に向って母は杖を振り上げた。  叩かれる……僕は咄嗟にエレノアを庇うように身を投げ出した。  がつっ、と音がして皮膚が裂ける感覚がした。 「フランシス!」  頭上でエレノアが恐怖の叫び声を上げていた。  僕はがくり、と両膝をついて俯く。右耳の上がずきずきと痛んだ。手を当てるとぬるり、と生暖かくねばねばとしたものが手の平を伝ってくるのを感じる。 「血が出てる……早く手当を」  エレノアが震える声でそう言う。 「……大丈夫。大したことはないよ」  僕はゆっくりと立ち上がり、目の前の母を睨み付けた。彼女は憎々しげに僕を睨み返す。 「子供の頃からちゃんと躾けたつもりだったけど、いい歳をしてまだ分かってないようだね。まったく、お前が女にうつつを抜かしていると話に聞いた時は驚いたよ。しばらくしたら熱も冷めるかと思って放っておいたら、このざまだ。まさかどこの馬の骨とも知れない女を孕ませた挙げ句に、のうのうと屋敷に連れて来るなんて、お前には貴族の誇りというものはないのかい?」  話を聞いた? 誰に? ……そうか、アルフレッドか。  僕は母のひどい態度の裏側に、従兄弟のアルフレッドの悪意に満ちた謀計を感じ取っていた。あいつはきっと僕がエレノアを横から奪い取ったのを恨みに思って、母にあることないこと告げ口したのに違いない。 「お前はもう縁談が決まってるんだ。こんな女とは早く別れて、屋敷に戻っておいで」 「縁談……何の話だ?」  僕は混乱した。  縁談? そんな話は、今まで一言だって聞いてない。 「この家の格式に相応しい家の娘と結婚するのに決まっているだろう? もう向こうの家も了承済みなんだ。今日戻ってくるっていうから、その件を話し合いに来たのかと思っていたのに、何だいその女は。さっさと一人で帰しなさい」  母はそう言うと、エレノアに冷たい一瞥をくれた。  そう、出て行け、と目で言ったのだ。エレノアはショックを受けた表情で、黙って部屋を出て行った。 「僕はまったくそんな話は聞いてない。母さんが決めた相手となんか、結婚しないよ。僕は彼女と結婚するんだ。もう決めたんだ」 「馬鹿をお言いでないよ。お前はこの家の跡取り息子なんだ。あんな女と結婚するなんて、家を潰す気かい? 冗談じゃない。私が決めた縁談通り結婚してもらうよ」  母はそう断言すると「話はこれで終わりだから。お前は早く屋敷に戻るんだよ。挙式まであまり間がないからね」と冷たく言い放った。

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