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第27話

「分かりました。……そのお隣のソファの男性のお名前は?」  ハワードは彼女の反応に、少しいらっとした表情を浮かべたが、すぐに落ち着きを取り戻し、エカテリーナの隣のソファに座るダークブラウンの髪の男性に尋ねた。 「グレン・ハートリーです」 「ポールさんの遠縁の方ですね?」 「ええ。どうにか血縁だと言える範囲の遠い縁ですよ。でもお陰でこんな良いところに住まわせて貰ってるんでね。ありがたいことです」  グレンは口の端だけでにやっと笑った。彼はハンサムだが、残念ながら笑い方に品がなかった。 「どういう経緯でこちらに?」 「親が死んで独りぼっちになったんですよ。母親は俺が小さい頃に別に男作って逃げて、それから父親が一人で育ててくれてたんですけど、2年ほど前に死にましてね。ああ、言いましたかね。ずっと南アフリカに住んでいたんですよ。父親がヨハネスブルグで事業をやってたんです。ところが死んだ時のごたごたで、共同経営者が資金や株を全部持ち逃げしましてね。天涯孤独の上に一文無しですよ。どうしようか、って途方に暮れてたら、どこから聞いたのかマーゴおばさんが俺を探し出してくれて、それでこの家に引き取ってくれたんです」  彼は淀みなくそう答える。  ハワードはその言葉をメモに記入すると「一昨日の午後1時半から4時半の間の行動を教えて下さい」と尋ねる。 「その時間帯は外出してましたね。ここからそう遠くないカフェでコーヒー飲んで、携帯でネットチェックしてから、ぶらぶらとこの辺りを散歩して5時頃家に戻ってきたかな……時間はあまり詳しく見てなかったので、はっきり何時にどこにいたとは分かりませんけど」  もっともらしいアリバイだった。大体において何時何分にどこそこで何をしていた、なんて余程の人間じゃない限り、きっちりと覚えている訳がない。その点グレンの言い分は自然だった。 「カフェはどちらのお店でしょうか?」 「えーと、ほらあの、アメリカのコーヒーチェーン店、だったかな。よく覚えてないけど。オックスフォードストリート沿いにある店ですよ。混雑してたから、きっと俺のことなんて店の人は覚えてないと思うけど……」  ハワードの問いに、グレンは突然しどろもどろになる。 「店員があなたを覚えているかいないかは、こちらで調べますから、ご心配なく」  ハワードは嫌味っぽくそう言うと、グレンの隣に座っている女性に目を向けた。 「次はお隣の……」 「スザンナ・アボッツです」  スザンナは如才ない態度で答える。  この女性がパーソナルショッパーをしているグレンのガールフレンドか、とリチャードは彼女を観察する。確かにそういう仕事をしているだけあって、センスもスタイルも良い。彼女はシンプルだが凝ったデザインの黒いミニドレスに、短いゴールドチェーンのネックレスを身につけていた。富裕層相手のビジネスをしているからか、愛想も良く控え目で落ち着いた雰囲気の持ち主だった。 「あなたはいつからこちらに?」 「1年半ほど前です。彼と付き合い初めてすぐに誘われてこちらに。付き合ってすぐに一緒に住むなんて、って思われそうですけど、私の仕事先はロンドン中心部なので、この家のロケーションの良さは魅力的だったんです。以前は郊外のフラット住まいでしたから」  彼女も、やはりロンドン中心部に住める便利さを享受している一人だった。  誰しもがロンドン中心部に住めたら、と願うが、今やほんの一握りの富裕層だけがその夢を叶えることが出来るのだ。スザンナがグレンから誘われて、一も二もなく彼の誘いを受け入れたのも無理はなかった。 「皆さんと同じ質問です。一昨日の午後1時半から4時半の間はどちらに?」 「その時間は、仕事をしてました。顧客の一人から依頼があったので、セルフリッジでの買い物に付き添っていたんです。その後、リバティに場所を移して、更に買い物を続けました。買い物が終わった後は、顧客と中のカフェでお茶をして、キャブで帰宅しました。時間は5時半を過ぎていたかしら……ちょっと記憶がないんですけど」 「分かりました」  スザンナの答えをハワードは書き終えると、顔を上げてドアの側に立っていた看護師に視線を向ける。 「えーと、あなた……」 「ヴェロニク・マルタンです」 「ヴェロニクさんは、いつからこちらに?」 「奥様がここに移られてすぐですから、1年ほどでしょうか」  フランス語訛りの英語で、ヴェロニクは答える。彼女はもじもじと落ち着かない様子で、ソファに座るリチャードとハワードを見ている。 「どういう経緯でこちらに?」 「プライベートの看護師を探している、と勤務していた先のクリニックで声を掛けられたんです。私、以前はハーレイストリートのドクター・ギルモアのところにいたんですが、そこに奥様が診察にいらっしゃって、それが切っ掛けで」 「分かりました。ところで、一昨日の午後1時半から4時半ですが、どこで何をされていましたか?」 「その時間帯は勤務時間にあたりますから、家にずっといました。基本的に住み込みですから、24時間勤務みたいなものなのですが、一応9時から5時と決めて貰っています。もしもそれ以外の時間帯に、奥様に何かあったら私が対応する、ということにはなっていますが」 「そうですか、ありがとうございました。ところでポールさん、レディ・ガートフィールドは?」 「会ってもいいけど、お話にならないと思いますよ。惚けちゃってますから。たまに正気に戻るんですけどね」  ポールは溜息交じりにそう言う。その態度が気になったので、リチャードはハワードに代わって質問した。 「だいぶ痴呆症はひどいのですか?」 「ひどい、と言えばひどいのかな。他の患者さんを知らないから比べられないけど、たまに発作を起こして暴れるんですよ。手当たり次第に近くにある物を投げたり暴言を吐いたり。そうなると誰にも手が付けられない。あれには本当に参っちまう」 「どうしてロンドンに連れてこられたんです? 田舎のお屋敷の方が空気もいいし、住み慣れておられるでしょう? レディ・ガートフィールドにとってはそちらの方が、療養には良い環境なのでは?」 「いやあ、それがね、母は夜中に夢遊病者みたいに部屋抜け出して庭をうろうろしたり、広い屋敷内のどこかに行っちゃうもんだから、探す方も大変でね。庭には池や堀があるから、落ちて死んだら大変だって、家の人間も気が気じゃなかったんですよ。付き添いの看護師も雇ったんですけど、母は気難しい人ですぐ怒鳴り散らすもんだから、皆怖がってすぐ辞めちゃって。仕方なく義姉さんが代りに面倒看てたんだけど、ずっと気を張り詰めてないといけないでしょう? だから神経やられちゃって、どうしようもなくなってね。それで俺のところに連れて来られたって訳。兄さんから『今まで親不孝してたんだから、それくらいしろ』って言われて、体よく押しつけられたんですよ」 「それなら、養護施設などに入所させれば良かったのでは?」 「あなたねえ、簡単に言ってくれるけど、レディ・ガートフィールドが養護施設に入ってるなんて、外聞悪くてそんなことはとてもじゃないけど出来ませんよ」  ポールはあからさまに嫌な顔をして言った。  貴族なんて面倒くさいもんだな、とリチャードはそれを聞いて思う。 「ここなら屋敷と違って狭いから、隠れん坊してもすぐ見つかるし、家の外にはそうそう出られないから安心なんです」 「そうなんですか……あの、レディ・ガートフィールドに面会は出来ますか?」 「どうかな、この時間は寝てるんじゃないかな。最近はほとんど一日中寝てるからな。起きてる間も、呆けたみたいにぼんやりしてることが多いしね。あれは薬のせいなの?」  ふいにポールが、ドアの側に立っていたヴェロニクに尋ねる。 「そうです。奥様はよく気が立って怒鳴られたり、物を投げつけたりなさるので、気持ちを落ち着かせる薬を飲んで貰っています」  精神安定剤の一種のような物だろうか? とリチャードは思う。薬についての医学的な知識がないので、詳しいことは何も分からなかった。  そんな状態なのであれば、レディ・ガートフィールドに無理に面会する必要もないだろう、と判断する。隣のハワードに小声で相談すると、彼も同じ考えだった。  そしてその時ふいに、リチャードは部屋に置かれていた飾り棚の上に並べられている写真立ての中に、若い頃のレディ・ガートフィールドらしき写真を見つけて興味を惹かれる。  彼は立ち上がると、飾り棚の上の写真立てを指して、ポールに尋ねた。 「こちらがレディ・ガートフィールドですか?」  その写真は凜とした表情の若い女性が、軍服姿で屋敷の入り口の前に立っているものだった。 「ああ、それが母です。第二次世界大戦に従軍しましてね。大陸まで行ってたそうなんですよ。女伊達らにやりますよね。今でも正気に戻ってる時は、たまに武勇伝を聞かせてくれるんですけど、何でもフランスでレジスタンス活動にも協力してたらしいです。よく生きて戻って来れたな、と感心しますよ」  写真の女性は、まるでこちら側を睨み付けているかのような、鋭い眼光の持ち主だった。  そしてリチャードはその隣に、彼女がウェディングドレスを着て、いかめしい顔をした男性の隣に立っている写真が置いてあるのにも気付く。結婚式という晴れがましいイベントの日の筈なのに、レディ・ガートフィールドの顔はむっつりと笑顔もなく、軍服姿の写真と同じくこちら側を鋭い目付きで睨んでいた。  そしてもう一枚……家族写真が飾られている。レディ・ガートフィールドは、ソファに座ってレースの幅広の布に包まれた赤ん坊を抱きかかえている。洗礼式の時の写真だろうか。ガートフィールド家の田舎の屋敷にある部屋の一室で撮影されたとおぼしきそのモノクロ写真は、豪華な室内装飾の部屋に、レディ・ガートフィールドが座るソファ、傍らに控えめに立てかけられた杖、凝った作りの赤ん坊用の揺り籠、そしてその隣に小さな男の子が水兵服を着て、かしこまった表情で立っていた。ソファの後ろには、いかめしい顔の一部の隙もないスーツ姿の男性が、レディ・ガートフィールドの肩に手を置いて立っている。だがやはりこの写真の彼女の表情も硬く、とてもリチャードには幸せそうには見えなかった。 ――彼女の人生に幸せな瞬間はなかったのだろうか?  リチャードは飾られた写真を見ながら疑問を抱いていた。 「……あの旦那様、お客様にお茶をお出ししてなかったんですけど」  ヴェロニクがポールにこっそりと尋ねる。彼女は日頃、看護師の仕事の他に、家事手伝いの仕事もしているらしい。どうやら警察官の尋問があるから、と今まで部屋を出るに出られなかったようだ。ようやく尋問が一段落落ち着いたのを見て、ずっと気になっていたことを尋ねたようだった。 「いや、もうお客様はお帰りだから、紅茶は淹れなくていいよ」  ポールはわざと大きな声で、嫌みたらしくそう答える。それを聞いたハワードは露骨に顔を顰めた。 ――紅茶……?  その言葉を聞いた瞬間、リチャードの脳裏に昨夜の様子が鮮やかに蘇ってくる。 ――どうして、レイはあの袋の中身が紅茶だって分かったんだ?  リチャードのフラットのキッチンカウンターに置かれていたブルーの小さな紙袋。その持ち手部分には同じブルーカラーのリボンがきつく結ばれており、袋の中身は見えないようになっていた。  だがレイは中身を見ていないのに『すごく良い香りの紅茶だね、これどうしたの?』とリチャードに尋ねたのだ。 ――まさか、彼女と一緒にいるところを見られていた? 俺たちの会話をどこかで聞いていたのか?

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