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第35話
16.
だいぶ雨の降りが収まってきたとはいえ、まだまだ止むことはない。白っぽい色の街灯に照らされた道を、リチャードとレイは雨の中、濡れ鼠になりながらギャラリーまで戻る。
「Singin' in the Rain(雨に唄えば)みたいだね」
レイは少しはしゃいだ様子で、雨の中くるりと一回転してみせる。
「ジーン・ケリーとドナルド・オコナーか?」
「うん」
人通りがまったくないロンドンの街中で、雨に濡れながらレイは楽しそうに、I'm singin' in the rain Just singin' in the rain……と鼻歌を歌いながらリチャードと腕を組んで歩く。誤解が解けたことで、彼の気持ちもすっかり和んだ様子だった。リチャードはホッとするのと同時に、彼を悲しませてしまったのを申し訳なく思う。
――また泣かせちゃったな。
レイは決して泣き虫で弱い人間なのではない。ただいつも我慢し過ぎて、限界が来るとぽきりと心が折れてしまうのだ。多分リチャードと付き合うまでは、自分一人で限界まで追い込んでは、辛い気持ちを自分自身でどうにかやり過ごしていたのだろう。そう思うと、リチャードはレイと知り合えて、そして恋人同士になれて良かったと思う。今やリチャードにとってレイを支えてあげられるのは、何よりも幸せなことだった。
ギャラリー内に入ると、レイは手早く内側の鍵を閉めて、セキュリティボックスのスイッチを入れながらリチャードに話しかける。
「随分濡れちゃったね。今日は泊まっていく?」
「……いいかな?」
「駄目って言ったら、ずぶ濡れのままフラットまで帰らないといけないだろう? 風邪ひくよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「……あ、でも今日はしないよ。いい?」
「連日はさすがにきついだろう?」
「……うん」
「レイ、体力ないもんな。いつもセックスの後、先に寝ちゃうし。俺はもう少しピロートークして余韻を味わいたいのに。……それに、主に体動かしてるのは俺の方だと思うんだけど」
「なっ、何急にそんなこと言ってんの?! そういう話、こんなところでしないでよ」
突然、慌てたようにレイは言う。リチャードがふと彼の顔を見ると、ほんのりと頬が赤く染まっていた。
「何で照れてるんだよ? そんな照れるような間柄じゃないだろ?」
彼の慌てぶりが何だか不思議な気がして、リチャードは尋ねた。いつもであれば、何か強気で言い返してくるのがレイなのに、一体今夜はどうしたというのだろう?
「だって、明るいところでそういう話をするの、何だか恥ずかしくて」
「……暗かったらいいの?」
「真面目に質問返さないでよ。その話題はもうお終い」
レイは照れているのを隠すように、早口でリチャードに言い返す。そして少し考えてからこう付け加えた。
「……体力なくて悪かったね。昔から運動苦手なんだよ」
「そうなのか?」
「体動かすぐらいなら、頭動かしてた方がいい」
「はは、レイらしい言い分だな」
「リチャードは運動得意そうだよね。筋肉綺麗についてるし」
「昔、ボート部にいたことがあるから」
「……そうなの?」
レイは驚いた顔でリチャードを見る。
「肩壊してすぐ止めたけど」
「そうなんだ……僕、リチャードについて何も知らないのも同然だね」
「そんな顔するなよ。一度に全部知ったらつまらないだろう?」
リチャードがそう言うと、レイは微かに笑みを浮かべた。
「そうだね」
「ほら、早くシャワー浴びよう。風邪ひくぞ」
リチャードは優しい眼差しでレイを見つめると、濡れそぼった彼の栗色の髪の毛を手でくしゃくしゃにした。
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