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第43話

「……そうですか。分かりました」  レイはとりあえずといった感じで、納得したように頷き、質問を続ける。 「ところで、ベイカーさんにあの文机を売った後、お金で揉めたのはどうしてですか?」 「それは……あの文机がもっと価値がある、って分かったからだよ」 「もっと価値がある? どういう意味ですか?」 「ベイカーは、あのチッペンデールの文机は本物じゃないって言い張ったが、あれは間違いなくチッペンデールが作った本物だよ。だからベイカーが提示した金額よりも、もっと価値があるに違いないんだ」 「……チッペンデールが作った本物だと、どうして分かるんです?」 「それはだな……」  一瞬ポールが言い淀む。その隙を縫ってエカテリーナが口を挟んだ。 「私があれは本物だ、と言ったんです」 「あなたにアンティークの真贋が分かるんですか?」  レイはエカテリーナをじっと見つめて尋ねる。その態度は真摯に話を聞こうとしており、どこにも彼女を馬鹿にした様子はない。エカテリーナは、そんなレイの態度が気に入ったらしく、上機嫌で話し始める。 「私はあの文机と同じような机を、母方の祖母の家で見たことがあるんです。母方の家はロシア貴族の血を引く家系で、革命前はニコライ皇帝一家にも重用された家柄でした。その家にあれとほぼ同じものがあったんです。祖母からチッペンデールが作った本物だ、という話も聞いてます。だから間違いなく本物のチッペンデールに違いありません。ポールが言うように、もっと買い取り価格が良くて当たり前です。ベイカーさんはそれを知ってて値切ったに違いないんですわ」  エカテリーナは自慢気に話し終えると、挑戦的な目付きでレイを見る。自分の言葉に絶対の自信があるようだった。  リチャードは、そんな彼女の様子を見て不安になる。彼はあくまでもベイカーの見立ては正しいと信じていた。元教官のベイカーが、そんな不誠実な人間だったとは思いたくなかったからだ。  リチャードは隣に立っているレイの様子を伺う。あんな質問をしたのも、きっと彼には何か考えがあるからに違いない。だが、一体レイは何を考えている? エカテリーナの説明は、もっともらしく聞こえる。彼女の発言に対して、反論出来るだけの材料をレイは持っているのだろうか? リチャードは次第に心配になってきた。  レイは少しだけ考えるような顔をした後、ゆっくりと口を開く。その態度はエカテリーナ以上に自信に満ちていて、どこか凜とした美しささえ感じる。 「皆さんは、チッペンデールに関してとても大きな誤解をされています。チッペンデールが作った本物と呼べるものは、現在のところ一般市場で出回る可能性はありません。あるのはチッペンデールの工房で作られたチッペンデール製か、もしくはチッペンデールスタイルの家具でしかないのです」  リチャードは、レイが数日前の夜にディナーテーブルの席で、チッペンデールについて講釈してくれた内容を思い出していた。 『もしも本当にトーマス・チッペンデール本人が作ったと証明出来る家具がマーケットに出たとしたら、天文学的な価格になると思うよ』  もしも存在するのならば、そのトーマス・チッペンデールが作った家具こそが、本物と呼べるものに違いない。だが、その家具はそんじょそこらにはあり得ない。マーケットに普通に出るような代物ではないのだ。だからベイカーもあの文机は違う、と判断してそれなりの価格しか値付けをしなかったのに違いないのだ。 「あの文机は、きっとチッペンデールスタイルとして作られたものでしょう。ベイカーさんの値付けは、間違っていなかったと思います」 「……そのチッペンデールスタイルとか工房で作られたチッペンデールとか、それは一体何なんだ?」  ポールが混乱した表情でレイに尋ねる。  そしてレイはそこで初めて、ポールを少し見下したような表情をする。それまでは微塵もそんな態度を表わさなかったのに。  リチャードは気付いた。レイは今まで自分が取るに足らない存在であると、わざとガートフィールド家の人間たちに思わせるようにしていたのだ。そうして彼らの本音を聞き出そうとしたのだろう。案の定引っ掛かったエカテリーナは、べらべらと彼女の高説を披露してくれた。多分レイはそこに何かしらの齟齬を見つけ、反論の機会を得たのだ。  今までリチャードの影に隠れるように控えめにしていたレイから、まるで羽化した蝶のように華やかなオーラを感じる。  ガートフィールド家の人間たちの視線がレイへと集中した。レイはそんな視線を楽しむかのように、艶やかな微笑みを浮かべて口を開く。 「チッペンデールの生みの親であるトーマス・チッペンデールが設立した家具会社で作られた家具は、チッペンデール製と呼ばれています。でもそれはトーマス・チッペンデールが実際に手がけたものではありません。家具工房で彼の会社に雇われた職人たちが作ったに過ぎないんです。それに対してトーマス・チッペンデールが1754年に発行した『The Gentleman and Cabinet-Maker's Director/紳士と家具師のための指針』通称『Director』を元に、市井の家具職人たちが作り上げた家具を、チッペンデールスタイルと呼んでいるんです。主にディーラー間で'本物'扱いしているのは、チッペンデール社の工房で作られた家具を指します。でもそれが本当の本物か、と言えばそうじゃない。本来トーマス・チッペンデールが作った作品こそ、本物と呼ぶに相応しい。けれど、現在のところ一般市場にそれが出回ることはありません。専門家たちはそれが分かっているので、敢えてそういう扱いをしてるに過ぎないんです。だけど素人はこういったベースになる知識がないから、本物=チッペンデールが作った家具、という結論に飛びついてしまうんですよ」  ここまで話したレイはちらり、とポールに視線を投げる。彼はむっつりと面白くなさそうな顔をして黙り込んでいた。 「それから……エカテリーナさん、あなたがロシアのおばあさまの家でチッペンデールの家具を見た、というお話は嘘ですね?」  レイはじっと、まるで獲物を捕らえる直前の鷹のように鋭い目で、エカテリーナを見つめる。彼女は身じろぎもせずに、レイの視線をまともに受けていた。いや、彼女は動けなかったのだ。まるで魅入られたかのように、レイと見つめ合う。 「……それは、どうして?」  ようやくそれだけを口にする。彼女の自慢気だった表情は、今や引きつったように強ばり、目にはうっすらと恐怖の色さえ窺える。 「十八世紀のロシアの女帝エカテリーナ二世は、確かにチッペンデールを好んでいた、と伝えられています。ただしロシアで流通したであろうそれは『Director』を元に、ロシア国内、もしくは近隣ヨーロッパの国々で作られた、チッペンデールスタイルの家具だったのに過ぎません。英国ですら、自国で作られたチッペンデール社製の家具を見るのは難しいのですからね。それにもう一つ。当時のロシア宮廷で好まれていたのは、ロココデザインでした。彼らはフランス宮廷の真似事をするのを良しとしていたのです。貴族たちはフランス語を日常的に使っており、フランス文化を積極的にロシア宮廷内に取り入れようとしていました。エカテリーナ二世が所持していた『Director』も英語版ではなく、フランス語版だったそうです」 「……だから、あなたは何が言いたいの?」  追い詰められた表情のエカテリーナが苦しそうに言葉を挟む。 「つまり、もしもロシアでチッペンデールを見ることがあるとすれば、それは彼らが好むフレンチ・ロココスタイルであって、ポールさんが売却したシノワズリスタイルではなかった筈なんです」  エカテリーナは口元を押さえて息を呑んだ。 「本物を見ただなんて、嘘ついて一体どういうつもり? エカテリーナなんて女帝と同じ名前で偉そうにしてたけど、化けの皮が剥がれたって感じかしら?」  隣のソファに座っていたスザンナが、思いきり嫌味な口調でそう言う。 「な、なんですって!」  エカテリーナはじろりとスザンナを睨み付けると、きつい口調で言い返す。スザンナは呆れたような顔でさらに続けた。 「今まで人のこと庶民、庶民って見下して馬鹿にしてたけど、あんただってホントのところ分からないじゃない。貴族の血を引いてるなんて言ってるけど、そんな人間がコールガールの仕事なんてするかしら?」 「ちょっと、あんた! 言わせておけば! 私は元ピアニストよ!?」 「それもチッペンデールの机とやらを見た、っていうのと同じで嘘なんじゃないの?」 「このくそ女!」  エカテリーナは口汚くスザンナを罵ると、ソファを立ち上がり彼女に掴みかかろうとする。そんなエカテリーナの腕を、慌ててポールが引っ張ってソファに引き戻す。 「落ち着け、カーチャ!」 「おい、スージー止めておけよ。これ以上言って、後で仕返しされたらどうするんだ。ここを出て行けって、追い出されるかもしれないぞ?」  スザンナの隣に座っていたグレンは、本気で止める気があるのかないのか分からないような曖昧な態度で声をかける。この日も洒落た黒のシャツにグレーのスラックスを着て、足元の高級そうな靴がぴかぴかと光って目立っていた。 「ああ、すっきりした。今までずっと言ってやろうと思ってたの。大体、そんなにお金にガツガツした貴族なんて、私見たことないんだけど」 「スージー、いい加減にしておけよ」  スザンナはなおもしつこく言い続けていたが、流石にもう言いたいことは全て言ったからなのか、グレンの言葉に「分かったわよ」と頷いてようやく黙った。

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