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第45話
三人が外へ出ると、空からぱらぱらと小雨が落ちてきた。灰色の重苦しい雲はまるで、この事件に関係する全ての人の心の中を投影しているようだった。
リチャードは何かが雲の影に隠れていると、そんな気がしてならない。きっと雲が晴れれば、その時にこの事件の隠れた真実が明るみに出る。だがその隠れた真実が一体何なのかが、今一つ掴みきれずにいた。
「レイ、これからベイカーアンティーク店へ向うから、チッペンデールの文机を検証してもらえるかな?」
「分かった。僕も実際に見たかったから丁度良かったよ」
三人はハワードの貸与車輌に乗り込む。レイはリチャードにさり気なく「一緒に後部席に乗ってよ」と目で訴えたが、ハワードにどう思われるのかが気になり「ごめん」と表情だけで返して、助手席に座った。レイは少し不満そうな顔をしたが、ベイカーアンティーク店はすぐそこだ。大した距離ではないので、自分の我が儘を通すのは諦めたようだった。
「ところで、リチャードはベイカーさんが残した『グラン』って言葉の意味は分かったの?」
レイに尋ねられて、リチャードは忘れていた、という顔で後部席を振り返る。
「いや……全然。何かアイデアはあるのか?」
「んー、少し考えてみたんだけど、もしかしてグレンって言ったんじゃないかと思って」
レイの言葉にハワードが自分も同感だ、という風に頷く。
「あの男、ちゃらちゃらしてて何かいけ好かないんだよなあ。隠し事してます、って顔してるじゃないか。やっぱりグレンがベイカーさん殴ったんじゃないの?」
リチャードはハワードの発言に思わずレイの表情を伺う。まさかレイがハワードを「あのちゃらい人」と評していたなんて、口が裂けても言えない。
「それにグランとグレンだったら音も似てるし、頭を殴られたショックでグレン、って言えずにグランになったって言うのはありそうだよな」
「確かに可能性としては一番考えられそうだな」
リチャードがハワードの言葉に理解を示す。だがレイは納得した様子ではなかった。
「そんな簡単に決めちゃうのは早計だよ。もっと色んな可能性を吟味してから、結論は出すべきだと思うけど?」
「レイは他にも可能性があるって言うのか?」
「例えば、エカテリーナを指した言葉だったとしたら?」
「エカテリーナを? でもどうして?」
「彼女は自称元ピアニストだ。もしベイカーさんがグランドピアノ、って言ったとしたら?」
「でもそれなら、エカテリーナって言った方が早いんじゃ……」
「頭を殴られたショックで、通常とは違う思考回路になってたんだよ。それに意識が朦朧としてる状態で、エカテリーナなんて言える?」
「うーん、確かにレイモンドくんの言い分にも一理あるような気がするな」
ハワードはいつの間にかメモを取り出して、レイの発言を書き込んでいる。
「それだけじゃない。もしかしたらスザンナを指していたのかも」
「スザンナを? でもグランとスザンナがどう繋がるんだ?」
リチャードの疑問に、レイは得意気な顔で話を続ける。
「ベイカーさんは、グランって言ったんじゃなかったんだ。ブランドって言いたかったんだ」
「ブランド?」
「そう。リチャード、忘れたの? スザンナのビジネスって何だった?」
「パーソナルショッパー……そうか、高級ブランドでショッピングをしている人間を指していたのか」
「正解」
「でも、スザンナとベイカーさんの繋がりがまったく分からないんだが……」
「それこそ、グレンと一緒で、もしもポールから値段交渉をしてきてくれ、って依頼されてたとしたら? その代りにあの家に住んで良い、って交換条件を出されてたら、あの家にこだわるスザンナだったらやるんじゃないの? あの人パーソナルショッパーなんて仕事するくらいだから、対人スキル高くて交渉役は向いてるんだろうし」
「なるほど……」
レイに次々と提示される『グラン』の可能性に、リチャードもハワードもすっかり考えがまとまらなくなっていた。二人共じっと考え込んで言葉を発しなくなってしまう。そんな様子を横目に見て、レイは楽しそうに自分の推論を更に続ける。
「やっぱり一番怪しいのはポールだよね。グランはやっぱり、ポールを指してるのかもしれない」
「ポールとグランの繋がりは何なんだ?」
レイはリチャードの問いに「こんなことも分からない?」という顔をした。
「ポールのいけない趣味って何だったっけ?」
「いけない趣味……? 賭け事か?」
「そう。彼がブッキー(賭け屋)で賭け事した足でベイカーさんの店に寄って『今ブッキーに行ってきたところなんだ』なんて会話してたとしたら? そこからベイカーさんが想像した言葉が、グランだったのかもしれない」
「賭け事とグランの繋がりが分からないんだが」
「賭け事には無縁なリチャードには分からなくて当然かもね。でもグランド・ナショナルって言葉は聞いたことあるんじゃないの?」
「英国競馬の最高峰レースのことか」
「そう。もしポールが『ブッキーで競馬に賭けてきた』とでもベイカーさんに話していて、そこから彼がグランド・ナショナルを連想してたとしても、僕は全然驚かないけどな」
「グランド・ナショナルかぁ、それは盲点だったな。全然気付かなかった! さすがレイモンドくんだなあ」
ハワードがメモを取りながら感嘆している。だがリチャードは、そんなに単純な話なのだろうか? と少々疑問が残っていた。このままレイの話を全部鵜呑みにしていいのかどうか、自分の中で今までの発言を思い返してみる。
そんなリチャードの思考を表情から読み取ったらしく、レイは悪戯な笑みを浮かべて、ハワードに気付かれないように、そっと視線をリチャードの視線に絡める。「リチャードには、ちゃんと分かったんだね」とその目が語っていた。
「とにかく、僕が今まで話した内容は、全部単なる憶測に過ぎないから。フォークナー巡査部長、メモ取っても無駄ですよ」
レイに素っ気なく言われて、ハワードが驚いて顔を上げる。
「え? 無駄って……」
「だから、僕が言ったのはただの当てずっぽうなので、多分全部間違ってます。きちんとした証拠もないのに、言われた言葉を鵜呑みにするのは、警察官としてどうなんですか?」
厳しい一言に、ハワードが唖然とした顔でリチャードを見る。リチャードは苦笑して言った。
「レイの洗礼を受けたな。彼はいつもこんな感じなんだ。賢く立ち回らないと、もっと苛められるぞ」
「苛められるって……」
「僕、そんなに意地悪じゃないと思うけど?」
「ああ、そうだな。きみは意地悪じゃないよ。少しばかり賢すぎて天邪鬼なだけだ」
「ひどいな、リチャード」
レイはむくれてリチャードを睨み付ける。
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