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第46話

 その様子を見ながら、ハワードはメモをこっそりとしまい込み、決まり悪そうな表情で車のキーを差し込むとエンジンをかけた。 「ベイカーアンティーク店に移動した方がいいだろう?」 「ああ、頼むハワード」  リチャードは前を向き直ると、シートベルトを締める。そしてバックミラー越しに「レイ、シートベルト締めて」と声をかけた。 「分かってる。警察官が運転する車で違反なんて出来ないからね」  ガートフィールド家からベイカーアンティーク店まで徒歩でもすぐの距離だ。車ならばものの二、三分の移動時間でしかなかった。逆に移動時間よりも、駐車場所を探すのが困難なくらいだ。案の定、午後のこの時間帯は、すでに車を停められそうな場所はあらかた埋まっており、ハワードは苛ついた調子で「この辺り一帯、駐車禁止にして欲しいな」と言いつつ周囲を見回す。 「リチャード、先にレイモンドくんと降りてベイカーアンティーク店に行っててくれないか? 俺はどこかに車停めたら行くから。こんなことなら、ガートフィールドの家の近くに停めっぱなしにすれば良かった」  そう言って、ポケットからベイカーアンティーク店の鍵が入ったビニール袋を取り出して、リチャードに手渡す。 「分かった。悪いな」  リチャードはハワードに車を任せると、降車する。同じく車を降りたレイと共に、道を反対側に渡ると、右に曲がってバークレーストリートに出た。道の真ん中には木々の緑が眩しいバークレースクエアがある。鉄製の柵に囲まれた街の人々のグリーンの憩いの場には、ベンチが幾つも置かれて、晴れた良い天気の日であれば、のんびりした時間を過ごす人々で埋まっている。だが、小雨が降る今日のような薄ら寒い天気の日は、さすがに誰も座ってはいなかった。時折傘を差した人が、足早にスクエアを通り抜けて行くのを見かけるぐらいだ。  そのグリーンのスクエアの脇を通り更に道を渡ると、目的のベイカーアンティーク店だった。あれからベイカーは未だに昏睡状態が続いていて、目が覚める様子がない。医師の話では脳波には異常がないので、あとは本人が目覚めるのを待つしかない、という話らしい。もしも彼が目覚めてさえくれれば、この事件は呆気なく解決する。彼は絶対に犯人とあの日、店で対面していた筈なのだ。  リチャードは、店の鍵をドアの鍵穴に差し込んで回す。  この辺りの店にしては、簡素な鍵だった。自分が元警察官である、という自負があったせいなのか、店の中にはCCTV(監視カメラ)すら付けていなかった。もしも付けてあれば事態は全く違っていただろうに。  リチャードは店の中に入る。たった数日締め切っていただけなのに、どこかかび臭いような湿った空気が店の中に充満している。アンティーク特有のにおい、とでもいうのだろうか。  普段リチャードはアンティーク店よりも、ギャラリーに行く方が多いため、あまりこういう雰囲気には慣れていなかった。それでも、二度目の訪問でようやくゆっくりと店の中を観察する余裕が出てきた。リチャードは周囲に置いてある商品を見て、どれも高級そうなものばかりだな、と価値が分からないなりにそう思う。 「ふうん、なかなかセンスいいね。この辺りの富裕層向けの品揃えってところかな。商品の質は良い物ばかりだ。ベイカーさんはかなりの目利きだと思っていいよ」  リチャードの後ろについて店に入って来たレイは、ぱっと店の中を見回しただけで、そう判断する。彼の審美眼の確かさをリチャードは改めて感じていた。 「あ、このスクリーンなんて僕好みだな。こういうの前から欲しかったんだけど、どれくらいの値段付けてるのかな?」  レイは店の奥まで入り込むと、ストックスペースと販売スペースの境目に置かれていたオリエンタルデザインの衝立を見て欲しそうな顔をする。値段がどこかに記載されていないか、しばらくチェックしていたが「値付けされてないな。ベイカーさんが退院したら、聞いてみよう」と言って、携帯で写真を撮影する。  その様子を見ながら、その衝立の向こう側にはあの日ベイカーが倒れていたのだ、とリチャードは思い出していた。 「レイ、そのスクリーンの後ろ側にチッペンデールの文机が置いてある」  レイは黙って衝立を動かす。そこに置いてあったのは、黒っぽい色の特徴的な形の文机だった。 「ふうん、これがそうなんだね」  レイは文机の上部をざっと見た後、しゃがみ込んで下部分を覗き込む。そして丹念にあちらこちらを触りながらチェックしている。 「……何か分かるか?」 「うん……もうちょっと時間ちょうだい。幾つか確かめてみたいんだ」  レイはリチャードの問いかけに振り返りもせずに、熱心に文机を観察し続ける。手持ち無沙汰のリチャードは、店の中をぐるりと一回りしてみた。それほど店内は広い訳ではない。バークレースクエア側に面したショウウィンドウには、オリエンタルデザインのチェストが置かれて、その上には中国製と思われる龍の絵柄の大きな壺が載せられている。その隣には東南アジア風デザインの一人掛けの籐椅子があり、気になって肘掛けの部分に付けられていた値段を見てみると『3000ポンド』と値付けされていた。 ――俺の月給の手取りより高いんだけど……  リチャードは、何故ベイカーがヘンドンの教官を辞めたのか、理由の一端を見た気がした。 ――そりゃ椅子一脚売って月給並みの収入を得られるんだったら、辞めるよな……  改めて自分がしがない一警察官でしかないことを思い知らされたような気がして、リチャードは溜息をつく。  そんな自分がレイのような人間と付き合っていて良いものなのか、とふと思い付くが、慌てて頭を振ってそんな考えを振り払う。もしもレイがリチャードのそんな考えを耳にしたら、絶対に怒るに決まっていた。彼にとってリチャードはリチャードでしかない。それ以上でもそれ以下の存在でもないのだ。金持ちだろうが貧乏だろうが、何の職業に就いていようが、彼にはまったく関係がなかった。それが分かっているので、リチャードも安心して彼と付き合えるのだが、時々自分自身の身の上を振り返って、レイの境遇と比べてしまうのもまた事実だった。 「リチャード」  レイに名前を呼ばれて、意識を引き戻される。

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