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第50話
リヴィングのソファにレイは座っていた。リチャードがドアを開けると、浮かない顔で「遅かったね」と声をかける。
「デスクワークが溜まってて。遅くなってごめん」
「ううん、いいよ。何か飲む?」
レイは手にしていた新聞を畳むと、目の前のコーヒーテーブルの上に載せて立ち上がる。
「ワイン、貰えるかな?」
「分かった」
言葉少なく部屋を出ると、レイは隣のキッチンにワインとグラスを取りに行く。
リチャードはジャケットを脱いでソファの端にかけると、どっかりと腰を下ろす。座った途端に全身に疲労を感じて、背もたれに体を預けて目を瞑る。
「リチャード……忙しくて疲れた?」
目を開けると、レイがグラスをテーブルの上に載せて白ワインを注いでいた。そしてグラスを手に一つ取ると、リチャードに渡す。
「ありがとう」
リチャードはグラスを受け取ると、半分ほど一気に飲み干す。レイの様子が気になって仕方ない。不安な気持ちを、アルコールを飲んで紛らわせようとする。だが、落ち着こうとすればするほど、焦りは募った。
「……レイ、話って何だ?」
レイはワイングラスを片手に、リチャードの隣に黙って座っている。ここまで来てまだ話をするかどうするか、迷っている風だった。
「……言うべきか、黙っておくべきか悩んだんだけど……」
レイはようやく口を開く。だが、言葉の途中でまた黙り込んでしまう。その顔には思い悩む表情が浮かんでいた。リチャードはワイングラスをコーヒーテーブルに載せると、レイの方を向いて真剣な態度で尋ねる。
「俺は何を言われても怒らないから、だからちゃんと話してくれないか?」
「……でもリチャードを傷つけたくない」
「……俺が傷つく?」
――まさか、本当に別れ話でもするつもりなのか?
リチャードの顔色が変わったことにレイも気付いたらしく、不安そうな表情でワイングラスをテーブルに載せ、体をリチャードの方へ向ける。
「リチャード……僕」
レイが決心したように口を開いた瞬間、リチャードが遮る。
「俺が嘘をついたからなのか? だから……」
「……え?」
「……分かってるんだ、俺が悪いって。レイは、俺と別れたいんだろう?」
「……な、何言ってんの?!」
レイは驚いた顔で声を上げる。
「だって……そんな思い詰めた顔して……俺が紅茶の件で嘘ついたの、今も怒ってるんだろう?」
「もうそんなのとっくに忘れたよ。どうして僕がリチャードと別れるなんて言うの? 言う訳ないじゃないか。……それともリチャード、本当は僕と別れたいって内心思ってるんじゃないの? だから僕にそう言わせようとしてるんじゃないの?」
レイの声が震えている。
「ち、違うよ。レイがそんな深刻な顔してるから、てっきりそういう話なんだとばかり……」
「あの女の人と、本当は何かあったんじゃないの?」
「え?」
「紅茶を買ってた、あの綺麗な女の人……」
レイの榛色の大きな瞳が、不安げな色をたたえて揺らいでいる。あの時リチャードが彼女は何でもない、と否定したのを信じてくれていた筈なのに、余計なことを言ったせいで、レイの心に不安が蘇ってきたらしかった。
リチャードは、強い口調で改めて否定する。
「彼女は本当に何でもない。ただの俺とカークランドさんの間の連絡係でしかないんだ。……不安にさせて悪かった」
リチャードは、腕を伸ばして隣に座っているレイを抱き寄せた。レイは黙って腕をリチャードの体に回す。
「ごめん。僕がはっきり何の話なのか言わないから、リチャードだって変な想像しちゃったよね……どんな話でも聞ける覚悟はある?」
「レイが俺と別れるって話でなければ」
「それは絶対ないから」
レイは、リチャードの顔を見つめると苦笑して言った。
「それなら大丈夫。どんな話でも聞く覚悟は出来てる」
リチャードの言葉にレイは黙って頷くと、体を離し、コーヒーテーブルの端に載せていたラップトップコンピューターを手元に持ってきて開く。すでに準備はしてあったようで、電源を入れてパスワードを入力すると、すぐに画面上に誰かの写真が出てくる。
「リチャード、この人に見覚えある?」
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