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第54話

 レイはそんなリチャードの様子に気付いているのかいないのか、むっつりと黙ったままハワードの後ろについて、ガートフィールド家のゲートを入って行った。  ガートフィールド家のドアベルをハワードが鳴らすと、インターフォンで応答するまでもなく、すぐにドアが開く。看護師のヴェロニク・マルタンだった。薄いグリーンのワンピースを着た彼女は、今日もブルネットの髪をアップにしていた。今までとは違い、妙に緊張した面持ちでハワードを見つめて口を開く。 「あの……皆様広間でお待ちです」  この日はハワードではなく、METのもっと上の人間から面会の連絡が行っていた。どうやらそれが功を奏したらしい。ガートフィールド家の人間は、否応なくMETの訪問を受け入れるしかなかった。有無を言わせない態度で、ハワードは同行していた制服警官共々、家の中に遠慮なく入る。  ヴェロニクが広間のドアをノックすると、中からポールの声で「入れ」と一言だけ返事がある。彼女がドアを開けてハワード一行を中に通すと、ポールがぎょっとした顔で入ってきた警官たちを見た。 「今日はずいぶんと大所帯なんだな」 「うちの上司から、連絡が行ってたと思いますが」 「ああ、だからこうして貴重な時間を、わざわざお前らに割いて待ってたんだろうが」  不機嫌な顔でポールはそう言うと、ハワードを弱々しく睨み付ける。刺々しい口調の割に、いつものような威勢の良さは見られなかった。どことなく、これから何が起こるのか心配している様子が窺える。そもそもMETのお偉方が、直接面会の連絡をしてきたことからして、今までと違っていた。  膝の抜けそうなグリーンのコーデュロイのボトムスに包まれたポールの足が、落ち着きなく小刻みに揺れている。横柄な態度でハワードに答えたものの、やはり内心の緊張は隠しきれない様子だった。  ハワードの後について、部屋に入ったリチャードはぐるりと室内を見回す。いつもと同じ面子が、いつもと同じソファの位置に座っている。  ポールはよれよれのフランネルのチェックのシャツにグリーンのボトムス、隣のエカテリーナは高級そうな赤いワンピースを纏っている。夫の身なりが他人の目にどう見えようとは関係なく、自分だけがスマートならばいい、と思っているのが端から見ていても丸わかりだった。洋服だけでなく、彼女の身につけている宝飾品のアクセサリーは、どれも値段が高そうなものばかりだ。リチャードは、以前スザンナが彼女は浪費家だ、と言っていたのを思い出した。  そしてその二人が座るソファの隣に、グレンとスザンナがいる。  グレンはパーソナルショッパーのガールフレンド、スザンナに合わせたのか、それとも彼女にコーディネートされたのか、ホワイトのスラックスの上に薄手のグレーのセーターを着て、なかなかの洒落者ぶりである。ブラウンの髪も丁寧にセットされて、一見モデルのようにも見える。  彼の隣に座るスザンナは、いつもと同じように、流行のものと思われるスタイリッシュな服装をしていた。タキシードスタイルのブラックのジャケットに、インナーはホワイトのシンプルなトップス。そしてブラックのシガレットパンツを身につけていた。ブルネットのボブに真っ赤なルージュが映えている。さすがにファッション関係の仕事をしているだけあって、この部屋の中では一番自分の見せ方を心得ていた。  そんな彼らが、部屋に入ってきたハワードとリチャードに注目している。玄関ホールに一人、そして部屋の外の入り口にも、もう一人制服警官が張り付いている。残りの二人の制服警官は、部屋の内側のドアの脇の目立たない場所に立っていた。その隣には居心地悪そうに、ヴェロニクが立っている。客にお茶を出すべきか否か迷っている様子だった。だが、それをポールに尋ねられるような雰囲気ではなく、そのままどうしていいのやら分からない、といった表情でその場から動けずにいる。  誰もがこれから何が始まるのか? と尋ねたいけれど、口を開けるような状況ではないことを感じ取っている。部屋の中にぴんと張り詰めた空気が満ちていた。  そんな緊張した静寂を破るように、ハワードが口火を切る。 「連日のご協力感謝します。今日は、先日ポールさんが売却したチッペンデールの文机に関して、新事実が判明したのでお知らせするために訪問しました」  ハワードの言葉に、ポールが眉を潜める。 「新事実、って何だ?」 「それは、こちらのコンサルタントのハーグリーブスさんからお話して貰います。……あの、昨日のチッペンデールスタイルとそうじゃない方の違いってやつを、もう一度説明して貰ってもいいですか?」  ハワードはレイの耳元で尋ねる。 「いいですよ」  レイは頷くとリチャードの隣に立って、ポールをじっと見据える。その視線は冷たく、どこか彼を見下したような様子すら窺えた。 「これからお話する内容は、僕の専門知識を元に調査した結果です。これと同じ内容のレポートは正式にMETへ提出します。ですから、決して与太話でも適当な作り話でもありませんので、あらかじめご了承下さい」  やけに勿体ぶった口調なのがポールは気になるらしく、一度は落ち着いた足の動きがまた激しくなる。隣のエカテリーナはそれを見て嫌な顔をしていた。 「結論からお話します。ポール・ガートフィールドさんがベイカーアンティーク店に売却された、チッペンデールの文机ですが、あれはチッペンデールスタイルに過ぎません。昨日、エカテリーナさんから伺ったお話の際に説明しましたが、チッペンデールには大まかに分けてチッペンデール社製とチッペンデールスタイルの二種類が存在しています。あの文机は、現在のマーケットで高額で取引されているチッペンデール社製のものではなく、単なるチッペンデールスタイルのものです。ですから、ベイカーさんが支払われた代金以上の価値はありません」 「なんだと……」  断言したレイの言葉に、ポールが激昂する。顔を赤くしてソファを立ち上がろうと中腰状態になったのを見て、リチャードはレイとポールの間にさりげなく体を入れる。 「ポールさん、落ち着いてハーグリーブスさんの話を最後まで聞いて下さい」 「こ、これが落ち着いていられるか! 一体何を証拠に、あれが安物だって言い張るんだ!」 「チッペンデール社製の家具は主にマホガニー材で作られていますが、あの文机に使われていたのはローズウッドという素材です。ローズウッドが家具に使われるようになったのは、十九世紀に入ってから。チッペンデール社製の家具が作られていたのは十八世紀です。百年の開きがあるんですよ。それでもあなたは、まだあれがチッペンデール社製の家具だと仰るおつもりですか?」  レイのこの一言に、ポールはがっくりと座り込む。最後の頼みの綱も切れ、今や彼は為す術なしといった様子で呆然としていた。 「もうこれ以上、強情に言い張られても無駄ではありませんか?」

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