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第2話
翌日も図ったように、昼休みに電話がかかってきた。柴田は仕事が終わる時間がまちまちだったので、昼休みを狙って逢坂は電話をかけてくることが多かった。まるで昼休みにひとりでいるのを知られているみたいで、柴田は少しだけ恥ずかしいような気がした。と言っても、柴田もいつもひとりではなく、その日は堂嶋と一緒に事務所近くの洋食屋にいた。メニューとにらめっこして食べられそうなものを悩んで選んだはずだったが、シンプルなケチャップオムライスが運ばれてきた時にはすでに食べる気が失せてしまっていた。向かいの席に座る堂嶋はクリームパスタを頼んでおり、柴田のしかめっ面なんて目に入っていないのか、運ばれてきたものを嬉しそうに食べている。柴田は自分の偏食の癖を知っており、兎に角外ではあっさりしたシンプルなもの目がけて注文することが多かったが、堂嶋は逆で、こってりしたものが好きだった。
「柴さん、食べないんですか?」
「・・・あー・・・失敗したかな、これ」
「え?これでも卵とチキンライスですよ、いけますって」
「いける気がしねぇ」
取り敢えず、皿に乗ったオムライスを添えてあった大き目のスプーンで崩してみる。その断面は上が黄色で中がオレンジ色をしていて綺麗だった。綺麗だったが、それに対して食欲が沸くかと言われたら、それは多分全く別次元の話なのである。考えながら、柴田はスプーンを置いて、テーブルに置いてあった箸を使って卵だけをぺろりと剥がして口に入れた。
「・・・柴さん、行儀悪いですよ」
「うるせぇ」
食べられるところを探したら、こうなっただけの話だ。行儀が悪いのは分かっているし、往生際だって悪いのは分かっている。卵はふわふわで温かくて、ケチャップの味がした。二口食べて胃もたれしそうな気配がして、柴田は箸も置いた。堂嶋はそんな柴田の目の前で、お皿の中のパスタを器用にフォークで巻き取って口に入れている。見ているだけで胃液が上がってきそうだと柴田は失礼にも思いながら、水を飲んだ。清涼な水が、熱くなった頭を中から冷ましてくれているような気がする。
「柴さん、柴さん」
「・・・なんだよ、分かってるよ」
「いや、ちがくて。ケータイ鳴ってますよ」
「え?」
空いている椅子の上に無造作に置いた鞄の中で、振動している携帯電話を指さして、堂嶋はひどく無害そうな顔をして言った。はっとして携帯電話を掴むと、ディスプレイには逢坂の名前があった。ちらりと堂嶋を見ると、堂嶋は無言で手を差し出すような素振りをした。それは出て良いという合図なのだろう。多分堂嶋はそれが仕事の電話だと思っている。
「悪い」
「いーえ」
にこっと堂嶋が笑ったのを確認した後、柴田は通話のボタンを押した。昨日の夜考えていたことは、その時柴田の頭の中になかった。携帯電話を耳に当ててから、ふっと思い出しそうになったが、ややあって機械の向こうから、逢坂の明るい声が聞こえてきてまた掻き消された。
『あ、侑史くん』
「なに」
『今ちょっといい?あの、今週末家行って良い?』
「あー・・・うん」
ふとまた昨日考えていたことが思い出された、逢坂のセリフは、本当は自分が言うべきだったのではないだろうかと思いながら、電話の向こうで柴田の了承に対してはしゃいだ声を上げる逢坂のことを思った。タイミングが良すぎると思いながら、一方で自分から切り出さなくても欲求は満たされそうで柴田はずるいと思いながらほっとしていた。ちらりと堂嶋の様子を伺うと、パスタを半分残したまま、堂嶋は堂嶋で携帯電話を弄っていた。それに若干ほっとしながら、柴田は堂嶋からまた視線を反らした。
『やったー、じゃあ金曜の夜、バイトが終わったら行くね』
「バイトってお前、何時に終わるの」
『あー、短いシフトだから10時くらいには終わるよ、寝てる?』
「だったら11時くらいには着く?なら起きてる」
『うん、じゃあ頑張ってはやく上がれるようにする』
逢坂の明るい声に、ふっと息が漏れた。するとぱっと目の前で何か動いたような気配がして、見ると堂嶋がこちらを見ているのとばっちり目が合って、柴田は心臓がひやっとした。耳元ではまだ逢坂が何やら喋っているが、それが段々遠くなっているような気がした。
『侑史くん?』
「あ、あぁ・・・悪い、もう、切るわ」
『あ、うん。じゃあ週末に。楽しみにしてるね』
「・・・あぁ」
小さく呟いて、通話が途切れる。沈黙した携帯電話を指先で軽く操作して、柴田はもうそれに用はないとでも言いたげにやや乱暴に鞄の中にそれを突っ込んだ。堂嶋はそれを珍しそうな目でついっと追いかける。何となく柴田は嫌な予感がした。
「誰だったんですか、仕事の人じゃないですよね」
「あぁ、うん、知り合い」
「へー・・・バイトっていうから凄く若い人なのかと思った」
「あー・・・うん」
無駄に良い洞察をしていると思いながら、柴田はそれに曖昧に返事をした。真中に会った時、別に逢坂のことを隠さなくてもいいと思った。それは真中の性的嗜好を知っていたからかもしれないし、そうでなくても真中なら別にそんなことを気にしないと思っていた。けれどそれは真中だからだ。他の人間にどう思われるのか、今まで勿論考えたことがないわけではなかったけれど、比較的気を許している堂嶋にも無意識的に隠したということは、自分の中に疾しい気持ちがないわけではないということだろうと柴田は思った。それは逢坂が同性であることもそうだし、若すぎることも多分理由になるだろう。本当はそんなことを、逢坂相手に思いたくはなかったけれど、現実的な柴田の頭は勝手に考えてしまう。いつかバーで会った逢坂の大学の友達は、柴田のことを逢坂から聞いていると言っていた。心底びっくりした。それなのに真中の前では隠したりして、逢坂とはそういう意味でもやっぱり噛み合ってない部分がまだまだ多いような気がした。
「柴さん、なんかすごい嬉しそうでしたけど」
「え?」
「なんかいい報告だったんですか?」
残りのパスタをフォークで巻きながら、堂嶋は首を傾げた。柴田はまた現実に引っ張り出されて焦った。黙る柴田を見ながら堂嶋はまたにこっと笑った。それを見ながら堂嶋はそうやって簡単に笑うことが出来て良いなと、少しだけ柴田は思った。
「よかったですね、柴さんが嬉しいと、何か俺も嬉しいです」
「・・・お、おぉ・・・」
俯いてそう言うのが精一杯だった。
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