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第3話

そして週末の金曜日、いつもより少しだけはやく退勤処理をして、柴田は家に戻るとソファーに転がって天井を見つめていた。さっきまで雑誌を読んでいたが、結局全然頭に入って来ないので、テーブルの上に放ってある。そうやってじっとしていると、すぐに眠くなるから、さっきからうとうとしてははっとして、を繰り返している。時計を確認すると11時が近い。そろそろ到着する頃と思いながら、柴田はごろりとソファーの上で寝返りを打った。そうしてまたうとうとしはじめる。するとそのタイミングでチャイムの音が聞こえた。はっとして起き上がると、慌てて体を起こしたせいでふらっとした。もう一度チャイムの音が聞こえる。速足でリビングを通ると廊下を過ぎ、適当な靴に足を突っ込んで扉を開けた。 「こんばんは、侑史くん」 「・・・おう」 そこには逢坂が立っていて、柴田は分かっていたけれど少しだけほっとした。逢坂がにこっと笑っていつものように挨拶をするのに、それに応える自分の声はひどくぶっきらぼうに聞こえる。柴田はいちいちそんなことが気になって仕方がなかったが、逢坂はにこにこした顔のまま、全く柴田のそれを気にする様子なく、するりと扉から入ってきて、後ろ手で扉を閉めると内鍵をかけた。柴田はそれをぼんやりと見ていた。逢坂が靴を脱ぐのに屈んで、最近染めた黒い髪の毛が目に入る。ふとそれに触りたいような気がして手を伸ばすと、靴が脱げたらしい逢坂がぱっと上体を起こして、柴田は慌てて手を引っ込めた。 「侑史くん、靴脱がないの?」 「え、あ」 そういえば、扉を開けるために自分も靴を履いたのを、いつの間にかすっかり忘れていた。逢坂にそう指摘されて、慌てて靴を脱ぐ。頭上で笑う声が聞こえて、柴田が顔を上げると逢坂が口元に手を当ててくすくす笑っていた。それに柴田が怪訝な顔をすると、逢坂が笑った顔のまま、手を伸ばして柴田の頬をついと撫でた。吃驚してびくりと肌の表面が跳ねた。 「侑史くん、寝てた?ごめんね」 「・・・なんで」 「んー、だって顔に跡ついてるから」 はっとして頬を擦ると、逢坂はまたそれを見ながら笑った。 「ごめん、ごめん。はやく上がったつもりだったけど、結局一時間かかっちゃった」 「あー・・・別にいいよ、明日休みだから」 「侑史くん明日休みなの?」 リビングまで行くまででふっと逢坂が振り返って、柴田はそれに頷きながら、そういえば土日どっちも休みなのは久しぶりかもしれないと思っていた。4月に新入社員が入ってきて、それを教育しなければならないリーダーは、今からの時期も自分の仕事以外の仕事が増えて大変だったが、柴田は直属の部下がいない分、そういう悩みとは今のところ無縁だった。 「じゃあいっぱいいちゃいちゃできるね」 「・・・いちゃいちゃって」 逢坂がふざけた調子でそう言ったのを、繰り返して柴田は唇の端で笑った。乾いたテーブルの上に逢坂が鞄を下ろす。夕飯に何も食べていないのを咎められるかなと思ったけれど、その時逢坂はそれには触れずに、さっと軽いスプリングコートを脱いだ。 「あ、しずか」 「なに?」 「そうだ、これ。渡そうと思って」 くるりと逢坂が振り返る。きょとん顔の逢坂の目の前に、差し出した手の上に銀色の鍵がのっている。逢坂がそれを黙ってつまみ上げて、柴田は空になった手を、スエットのポケットに突っ込んだ。作ったものの、何かとタイミングを逃して渡しそびれていた。セフレの時は欲しい欲しいと強請られていたが、そういえば付き合うようになってからはぴたりと言わなくなった。もう必要がなくなったのかもしれないと思ったけれど、今日みたいな日は逢坂がそれを持っていたら助かるなと少し思ったのだ。 「ウチの鍵。持ってろ」 「え?え?・・・いいの?」 「落とすなよ」 きょとん顔の逢坂はその頬をみるみる赤く染めて、手の中の鍵を見つめた。その顔を見ながら、やっぱり渡して良かったと柴田は思った。逢坂の喜んでいる顔を見ると、柴田も自分の口角が勝手に上がる気がした。逢坂はその鍵をぎゅっと握って柴田の方を見た。顔はやっぱり真っ赤だった。 「ありがとう、侑史くん、大事にするね」 「・・・ん」 真っ直ぐ見つめられて何と言って良いのか分からなくて、口から曖昧な返事が漏れる。逢坂がゆっくり柴田の方に手を伸ばしてきて、もう一度頬を撫でられる。眠たいようなもう少し逢坂と話していたいような気持ちがして、柴田はそれに目を細めた。するともう片方の手で腰を引きつけられて、そのまま唇を塞がれた。唇に逢坂の体温だけを感じながら、柴田はゆっくりと目を閉じた。逢坂がキスの時に目を閉じて欲しいと思っていることを、柴田は何となく知っている。なんだかこんなキスですら、随分懐かしく感じる。腕を逢坂の首に回してきゅっと体を寄せると、キスがまた一層深くなっていく。 「・・・侑史くん」 「んー・・・なんだよ」 「このまましていい?今日はもう寝る?」 腰に回した手で、逢坂は柴田の着ていた寝巻代わりのTシャツを捲って下から手を入れる。でも敏感なところは触らないで、せいぜい脇腹を撫でるくらいで留まっている。そういうことをちゃんと確認するようになったのも、付き合うようになってからだなぁと柴田はぼんやり考えた。腕を逢坂の首に回したまま、体をぴったりつけるとひどく逢坂の体は熱いような気がした。 「ねぇ、どっち」 「んー、眠い、かな・・・」 「眠いの?その割に今日、甘えた顔してるよ、侑史くん」 ふふふと逢坂は笑って、逢坂の鎖骨あたりに顔を埋めたままの柴田の頬を、遠慮なくついと触った。甘えた顔って一体どんなだろうと、それを聞きながら柴田は思った。自分の顔のバリエーションにそんなパターンは果たしてあるのだろうか。 「なんだよそれ、してねぇよ」 「無自覚なの?性質わる」 「だからしてねぇって・・・」 「はいはい、じゃあ今日はもう寝よっかぁ」 笑って逢坂はもう一度柴田の唇にちゅっと音を立ててキスをすると、ふっとその体を呆気なく離した。不意に自分の足で立っていなければならなくなり、柴田は慌てた。逢坂が大きく伸びをして、勝手知ったるバスルームの方に歩いていく背中を見ながら、もしかしたら自分は、もう少し触ってくれることを逢坂相手に期待していたのかもしれないと思った。

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