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第7話

逢坂の目が何かを迷って揺らいでいる。柴田はそれに期待するのを辞めた。くるりと振り返ると、サエは逢坂ではなくて柴田をじっと見ていた。不思議そうな顔をしている。近くで見ると彼女の美しさは圧巻で、そんな泣き顔でさえ、いや泣き顔だったからこそ、一層他人を引きつける何かを持っていた。その大きな瞳に一瞬怯んで、柴田は言いかけた言葉を飲み込んだ。 「・・・サエ、ちゃん?」 「侑史くん、ちょっと」 逢坂の焦ったような声が背中にぶつかったのを無視した。 「外出ようか、店に迷惑かかっちゃうし」 「なん、・・・侑史くん!」 後ろから急に腕を掴まれたのを、柴田は見ないように振り払った。後ろで逢坂が息を飲んだのが、気配だけで伝わってきた。 「お前は仕事に戻れ、しずか」 「なん、でだよ・・・」 逢坂はまだ何か言いたそうだったが、柴田が無言でサエから取り上げたグラスを渡すと、それを逢坂は素直に受け取った。そして一回はカウンターの中に引っ込むと、何かを思い出したように急に外に出てきた。 「侑史くん、運転駄目だからね!俺が終わるまで待っててね!」 「・・・分かってるよ」 それに柴田が返事をすると、まだ気に食わない顔をしていたが、もう一度カウンターの奥に消えた。柴田がその背中を見送った後向き直ると、カクテルを浴びせかけた時の激昂はなんだったのか、サエは実に大人しくぼんやりとそこに立っていた。 「サエ、ちゃん。大丈夫?外でようか・・・」 「・・・はい」 そうしてサエは実にしおらしく頷いた。 「ごめん、コンビニ遠くて」 フーガの後部座席に俯いて座っていたサエは、柴田の声に反応してぱっと顔を上げた。柴田がビニール袋の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、サエはそれを無言で受け取った。逢坂が運転をする時、柴田は後部座席にゆったり座るのが好きで、余り助手席に座らないのだったが、今日はサエもいるし、この後どうするかはまだ考えていなかったが、取り敢えず助手席で良いかと、体を開けたままの扉から離そうとすると、サエが急に動いて柴田のジャケットをその白くて細い腕で掴んだ。びんとジャケットだけが引っ張られて、柴田は遠くには行けなくなる。視線を下げると、彼女は俯いていた。 「ごめんなさい」 「・・・あ・・・あぁ」 そうしてひどく小さい声でそう言ったので、柴田は一体彼女が何を言いたいのか、一瞬分からなかったが、きっと店の中のことを言っているのだろうとその震える手を見て理解した。ふっと彼女に視線をやると、その顔は伏せられて表情までは読み取れない。 「・・・大丈夫、俺のことは、別に」 「・・・―――」 それにサエは何も言わなかった。柴田が体を引こうとすると、サエが掴んだままのジャケットがまた引っ張られて、柴田はそこを動けない。 「・・・サエちゃん」 「柴田、さん、となり、座って」 「・・・」 「だめ?」 ふっと彼女が顔を上げて、涙で潤んだ瞳で見つめるので、柴田はそれ以上何も言えなくなってしまった。仕方なくそろそろと後部座席に腰を下ろして、扉を閉めた。こんな密室で見知らぬ男と二人になって、大丈夫なのだろうかと見当違いにも柴田はサエのことが心配になったが、『ホモ』相手だから警戒心も何もあったものではないのだろうか。それは少し空しいような気がするけれど、思いながら柴田はビニール袋から自分用に買ったミネラルウォーターを出して、それを飲んだ。 「・・・ほんとに、ごめんなさい。カッとなってあんなことして。閑もすごい呆れてたなぁ・・・もう駄目だな、わたし」 「・・・いや、俺は大丈夫だけど・・・」 サエが自嘲気味に笑うのに、柴田はそれに何と言って慰めてやればいいのか分からなかった。笑いながら大きい目からぽろりと涙を零して、サエは俯いてまた小さく鼻を啜った。 「私、しずかと付き合ってたの。でも急に冷たくなって、連絡取れなくなって・・・」 「・・・そっか」 何となくそんなことだろうとは思っていたけれど、考えながら柴田はもう一度ミネラルウォーターを飲んだ。店の中でサエを軽蔑するような目で見ていた逢坂の冷たい視線を思い出して、背筋がぞくっとする。柴田はあんな目を向けられたことがない。彼女もそうなのだろうか、付き合っていた頃の逢坂は優しかったのだろうか。考えて柴田はまた胃の中が冷えたような気がした。 「サエちゃんも、必死だったんだね」 俯く彼女の頭をぽんぽんと撫でると、サエは吃驚したように柴田のことを見やった。その俊敏な動作を見て、柴田はまずいと思った。サエが幾つなのか分からないが、きっと逢坂とそう変わらないのだろう。そんな若い女の子相手と話す機会がなくて、何となく逢坂相手に喋っているみたいで気が抜ける。気が抜けて、彼女が女の子であるということを一瞬忘れる。保身のためにもあんまり過度なボディタッチは良くない、良くないと思って柴田は中途半端に浮いている手をさっと引っ込めた。 「あ、ごめん・・・」 「・・・やさしい、柴田さん・・・」 「え?」 先程まで潤んでいた目をとろんとさせて、サエはずずっと後部座席を移動し、柴田の方に近寄り、柴田が意図的に引込めた手を両手で包むみたいに握った。訳の分からない柴田は、彼女のするがまま、されるがままになっている。そうしてサエは柴田の方に体重を預けるみたいに寄りかかって来た。 「え・・・え?」 困惑する柴田に向かって、サエは肩でふふと笑い声を漏らした。

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