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第18話

「柴田さん、体はもう大丈夫なの」 「・・・え?あぁ、うん、まぁ」 「そう、よかった。逢坂も言ってたけど、あんまりこういうところ得意じゃないのね」 サエは何故だか柴田の方は見ずに、真っ直ぐ前を向いたままそう言った。逢坂の話を聞いていないようで、ちゃんと聞いていたのだなと柴田は本質とは全然違うことを一瞬考えた。またはぐらかされている気がすると思いながら、柴田はそれをどうしたらいいのか考えながら、ただサエに相槌を打っていた。直接的に聞くのが一番だと思ったけれど、サエには余り通用しない。派手で遊んでいそうな容姿の割に、そういう賢さのある子だなと思う。ベンチはお土産屋さんの近くにあり、傍に生えている木のおかげで丁度日陰になっていて、遊園地の異空間の活気の中にありながら、少しだけそれから離れているような気がした。 「あぁ、うん、まぁ、そうかな・・・」 「ごめんなさい、私が誘ったから無理に来てくれたんでしょう?」 「いや、別にそう言うわけじゃないんだ。なんていうか、俺もちょっと興味あったっていうか、来てみたかったっていうか」 「・・・」 「多分サエちゃんが誘ってくれなきゃ、こんなところ一生来なかったし、面白かったよ」 先程までの強引なまでの明るさを翻して、急にサエがしおらしく謝ったりするので、柴田は隠しておこうと思った本心を、気付いたらサエにそうして吐露していた。柴田は偏食で、その上食べず嫌いなところがあることを自覚していたけれど、こういうことも経験せずに何となく自分には無関係だと決めつけていたような気がする。遊園地という場所自体が、すごく自分に合っていたとは勿論思わないし、もう多分来ることもないだろうと思ったけれど、この底抜けに明るい雰囲気も晴れやかな人々のかも陽気な音楽も、見ることが出来て感じることが出来て良かったと思っている。それはお世辞でも隣でしょんぼりしているサエを慰めるための言葉でもなく、本心だった。それを聞くとサエは、その表情を素直にぱっと明るくして、そしてにこっと微笑んだ。やはり彼女は眩しかった。柴田は思わず目を細めて、その光が目の中に入る量を無意識に調整していた。そうしないと目を焼かれそうになるほど、柴田にとって彼女は眩しい存在であった。 「良かった、また柴田さんに迷惑かけちゃったのかと思った」 「・・・いや」 サエはまたにこっと笑って、そしてベンチの上に無造作に投げてあった柴田の手の上に、自分の手を重ねるように置いた。柴田は内心びくっとして、大人だからと表情だけは取り繕って、ちらっとサエのほうに視線をやった。こんなこと前にもあったような気がする。あの夜、サエと初めて会った夜、逢坂の運転するフーガの車内で、サエは全くこっちを見ていないのに、その手だけは柴田を掴んで離さなかった。もうずっと前のことのように思い出されるそれは、一体何を目的としていたのだろう。あの時からサエの行動の目的が、柴田には全く分からない。今更思い出して、柴田は慌てた。しかしその時は、あの夜とは違って、サエは柴田の視線から少しも逃げずに、真っ直ぐその大きくて茶色の瞳で柴田のことを見返してきた。 「サエちゃん」 「分かってるでしょ、柴田さん」 「・・・何を」 「もう、逢坂の事なんてどうでもいいの、私は」 そうして逢坂の名前を神妙に呟くサエの大きい瞳が、濡れてきらっと光ったような気がした。柴田はそれから目を反らすことが出来なくて、重ねられた手を引くことも出来なくて、ただじっとそれを見ていることしかできなかった。どうでもいいなんて言い切ってしまえることができるのは、彼女の若さのせいだろうか、それとも強さのせいだろうか、もしかして弱さが彼女にそんなことを言わせているのだろうか、柴田には分からない。逢坂はどう思っているのだろう。柴田が聞いたら、きっと答えはひとつに決まっているのだろうけれど、逢坂は本当はどう思っているのだろう。逢坂の言葉が信用ならないわけではないけれど、顔を合わせれば喧嘩ばかりしているし、あれだけ注意しても逢坂は未だにサエを酷く冷めた目で見ているけれど、逢坂にだって彼女を特別な目で見ていた時期はあったはずだ。その気持ちは一体何処に行ったのだろう、そうして今の気持ちは、一体何処に行くために、逢坂の胸の内に仕舞っておかれているのだろう。今の気持ちは。 「意味は分かるでしょ、柴田さん」 意味なんて分からなかった。サエがそうして自分の名前を呼んでいるのは分かったけれど、意味なんて柴田には分からなかった。いくら考えたって分かりそうもなかった。けれどそうして微笑む彼女は、きっと自分の有り余る若さや美しさというものを、しっかり自覚しており、それが武器になることさえも既に心得ているのだ。自身のそれに頓着がないのではなくて、それは当たり前に彼女を包んでいたから、今更それに気をやる必要などなかったのだ。サエにしてみれば。 「柴田さん、逢坂と別れて、私と付き合ってよ」 「・・・は?」 重ねられた手がぎゅっと握られた。サエの手は白くて細くて、やっぱり女の子の手だった。柴田の手も痩せていて細かったけれど、その骨ばった形や、大きさはやはり男の手であった。柴田は握られた手を見てから、真意を確かめるつもりでサエの顔を見た。サエは笑っていた。それは柴田の答えを知っているみたいな笑みだった。絶対的な自信が、彼女にそういう笑みを作らせている。 「・・・急だな」 「そうかな?そうでもないと思うけど」 「だって会うのだって2回目だよ。俺はサエちゃんの事、何も知らないのに」 「別にそんなの付き合ってから知っていけば良くない?回数とか時間とかは関係ないと思うよ、私は」 彼女は茶色の髪を肩からはらって、またにこっと笑った。柴田は困惑しながらそれを見ていた。今問題にしなければいけないのは、時間や回数ではないような気がした。もっと大切なことがふたりの間にはあったはずだったが、何となく柴田はそれに触れるのが怖いような気がした。また怖いような気がしている。柴田は握られた自分の手の不恰好な形を見ながら、溜め息を吐きたいような気分だった。痩せた手首にレディースの銀色の時計が揺れている。いつか焼肉屋で同じように自分の手を握って、それを綺麗だねといって笑った、まだコンビニ店員だった逢坂のことを、柴田はぼんやりと思い出していた。 「そうか、でも、俺は今、しずかと付き合っているから」 「ふふ、分かってるよ、そんなこと」 「分かってるって?」 「今は、ね。でも柴田さんだっていつまでも逢坂と付き合うつもりはないんでしょ」 「え?」 自信たっぷりにサエはそう言って、柴田は思わず聞き返してしまっていた。彼女が余りにも物知り顔で、しかも言い切りの形でそれを柴田の前に提示してきたので、そんなやりとりを逢坂としたことがあっただろうかと、一瞬頭を掠めたほどだった。 「だって男同士なんて不毛なだけじゃない」 「・・・―――」 サエはもう笑わなかった。笑って欲しい時に限って、彼女は真剣な顔をして、はしゃいだ声のトーンを急に落として、そう呟いた。 「ね、柴田さん、考えてみて」 「私とだったら手を繋いでデートも出来る、結婚だってできるし、子どもだってできる」 「世間に後ろ指さされることなんてないんだよ」 そうしてサエは柴田の手の上に重ねた自分の手を、ぎゅっと丸める形にして、柴田の手を握りこんだ。

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