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第13話

電話口でサエは明るく続けた。 『柴田さん休日は何してるんですか?』 「・・・えー何って、何にもしてないよ、別に」 『へぇ、もったいない。遊びに行きましょうよ』 「遊びに?はは、どこに」 『えー?遊園地とか?』 言いながらサエがまた笑う。遊園地なんてそんな人の多いところに、休日わざわざ出向いたりしない。最早、柴田にとっては異国の話でもされているみたいだった。けれど明るくて若々しいサエの声は、多分そこにも似合うのだろうなと柴田はぼんやりと思った。 「あ」 するとするりと手の中から携帯電話が抜き取られて、はっとして見上げると側に逢坂が立っていた。柴田と目線を合わせると、眉間に皺を寄せて咎めるような目で見られた。怒っている。サエの声が聞こえない逢坂には、会話の内容までは分からないと思ったけれど、流石に良くなかったかなと思って、柴田は取り上げられた携帯電話の行方を気にしながら、それには黙っていた。 「もしもし」 『・・・あれ?もしかして、しずか?』 「なんだよ、お前。なんで侑史くんの番号知ってんの?」 『何って、別にいいじゃん。月森が教えてくれた』 「はぁ?ほんと何なの。いい加減にしろってば」 逢坂がほとんど怒鳴るみたいに電話口でそう言った時、柴田はまたゾッとして震えた。慌てて逢坂に手を伸ばして服を引っ張る。しかし、逢坂は柴田が引っ張っていることなど気にならないのか気付いていないのか、視線は違う方を向いたままだった。 『どうしてしずかがそんなこと言うの。関係ないじゃない』 「関係ないって・・・だから侑史くんは俺の・・・―――」 『だからそれが何だって言うのよ』 電話の向こうでサエの声が急に冷えて、逢坂は吃驚した。サエの目的はよく分からなかったが、面白半分でやっているわけではないらしいというのが、そのトーンから読み取れた。関係ないと言い放つことのできる彼女の強さは、一体どこから来るのか分からないが、彼女の気の強さにそのまま押し切られてしまいそうで、逢坂はぐっと携帯電話を握りしめた。 「だから、侑史くんは俺のものなんだから!」 『馬鹿じゃないの、逢坂』 サエの冷えた声は、逢坂の名前を呼んで少し掠れた。サエは付き合う前、ふたりがまだ友達だった頃、逢坂の名前を名字で呼んでいた。閑と呼ぶようになったのは、付き合った後からだ。逢坂はずっとサエのことは名前で呼んでいたし、特に違和感がないから、別段呼び方なんてどちらでも良かったが、そうやって改めてサエに言われると、急激に突き放されたような気がして、腕の筋肉が震えた。今更サエを相手にこんなことを思うなんてどうかしている、どうかしていた。 『柴田さんはモノじゃないのよ』 そうして、一方的に通話は切れた。逢坂はふつふつと沸いたこの嫌な気持ちを、一体どこにぶつけたらいいのか分からなくて、暫くディスプレイを眺めていた。 「しずか」 ふと呼びかけられて、視線を落とすとソファーに寝転がっていた柴田は、いつの間にかそこに座って、バツの悪そうな顔をして手を逢坂の方に伸ばすとそれをひらひらと動かした。握ったままだった柴田の携帯電話をそこに乗せると、柴田がそれを無言で受け取る。 「侑史くん、サエから電話、よくかかってくるの」 「まさか、はじめてだよ、吃驚した。っていうか、お前が教えたんじゃないの、番号」 「そんなことしないよ」 サエは月森が教えてくれたと言っていた。そもそも月森が柴田の番号を知っているというのも可笑しな話だが、逢坂が働いているバーで時々会うようで、カウンターに座ってふたりで何か話している場面を何度か見かけたことがある。それでも連絡先を交換するような仲になっているとは思わなかった。もっとも月森は無害だと逢坂は分かっているつもりだったけれど。逢坂はもうどこにこのもやもやした気持ちをぶつけたらいいのか分からずに、月森のことも嫌いになってしまいそうだと思った。 「なぁ、お前、俺前も言ったと思うけど、サエちゃんに対して何であんな感じなんだよ」 「あんな感じって」 「いや、何か冷たいっていうか怖いっていうか。女の子なのに可哀想だろ、もうちょっと優しくできないのかよ」 「できないよ、できるわけないじゃん、だってサエとはもう別れたんだよ。侑史くんだって俺がサエに優しくしてたら嫌じゃないの、嫌でしょ」 どうしてそんな簡単なことが分からないのだろう、こんなにも単純で明白なのに、逢坂には理解が出来ない。柴田に対してこんな風に苛々したくないのに、逢坂はそれをおさめる方法を知らない。ソファーに座ったままの柴田は、ひとつ呆れたみたいに溜め息を吐いた。 「そういう問題じゃないだろ」 「どういう問題?俺は侑史くんが元カノといちゃいちゃしてたら嫌だけど」 「いちゃいちゃって。別に優しくすることはそれとはまた別だろ」 「分かんないよ、そんなの」 逢坂には分からなかった。柴田はそれを見ながらまた、溜め息を吐く。その形が何だか悲しかった。分かり合えないのが苦しくて嫌だった。目の前にいる人のことを大事にしたいと思うことが、そんなにいけないことなのだろうか、逢坂には他にやり方が思いつかない。 「侑史くん、サエのこと好きなの」 「・・・何でそうなるの?お前、ほんと」 「だって侑史くん、ほんとは女の子の方が好きでしょ。男と付き合ったのだって俺がはじめてだし」 「そうだよ、だから?」 「・・・だから」 逢坂は言い淀んでしまって、その後の言葉がどうしても出てこなかった。言葉に詰まる逢坂を見上げて、柴田は目を細めた。逢坂はありもしない幻想にそうして勝手に怯えている。逢坂からしてみれば、柴田の不安もありもしない幻想なのかもしれないけれど。こうしてふたりで違う方を向いて、全然違うことで頭を悩ましているなんて、そのせいでしなくもいい喧嘩をしてしまうなんて、愚かだなと思ったけれど、その時柴田は下唇を噛んで苦しがる逢坂を、慰めてやる気にどうしてもなれなかった。 (別れてしまえば、俺のこともあんな風に、怒鳴ったりするのかな、お前は) 柴田は違うことを考えていたから。

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