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第12話
その週、逢坂は何度も学校に行ってみたが、案の定サエに出会うことは出来なかった。おそらく連絡先を知っている月森相手に、どうして教えてくれということが出来なかったのか分からないが、何の意地なのか結局聞けていない。そしてサエのほうからも連絡はなく、結局あれは一体何だったのか分からないのが気持ち悪かったが、日が経つにつれてもやもやした気持ちも薄らいでいくようだった。柴田もあれ以来サエのことは何も言わなくなって、相変わらず忙しい日々を過ごしているようで、週末いつものように逢坂が柴田の家を訪れると、出迎えてくれた柴田の顔色は余りよくなかった。
「侑史くん、なんか、今日疲れてるね。ちゃんと食べてる?」
「・・・うーん、なんか面倒くさくて、食欲もないし、あんまり」
ソファーに寝転んだまま、柴田が答える。その曲げた足首の骨が浮いて見える。元々痩せ型だったけれど、最近とみに小さくなっているような印象がして怖くなる。逢坂に色々言われるのが鬱陶しかったのか、食べていても食べていなくても、適当に逢坂が納得するように答えることの多い柴田だったが、最近それをすることすら面倒くさいのか、それとも鬱陶しくても本当のことを言ってくれているのか、返答にはバリエーションが増えた。逢坂は柴田の部屋のキッチンに足を踏み入れて、先週綺麗に掃除したばかりのシンクの中に、コップがひとつだけ置かれているのを見つけた。しかし変わっているのはそれくらいで、ほとんど使った形跡がない。引出しの中からエプロンを取出し、手際よくそれをつけた。そうしてまだソファーに寝転んだままの柴田に近づく。柴田はそこで目を閉じてうとうとしかかっている。食欲はないけれど、眠たい欲求だけはあるらしい。
「侑史くん、俺、平日もご飯作りに来ようか?」
「あー・・・いいよ、お前もほら、忙しいだろ」
閉じかかっていた目を瞬かせて、柴田が答える。その青白い顔を撫でると、柴田がクッションに顔を半分埋めたまま、身を捩ってふふっと笑った。
「いいよ、夜そんなに忙しくないし。作ったらほら、ちゃんと家帰るから」
「いいって、そんなこと、癖になったら困る・・・」
腕を伸ばして柴田は、それをひらひらさせて逢坂を追い払うみたいなふりをした。逢坂はそれを捕まえて、その痩せた手の甲にちゅっと音を立ててキスをした。それを感知するみたいにびくっと柴田の体が震えて、逢坂の手の中から柴田の手は消えてしまった。
「癖になっちゃえばいいのに」
「・・・お前な・・・」
困ったように柴田が笑う。逢坂はそれが嬉しくて、ソファーに寝転んだままの柴田の頬にキスをした。それにまた柴田は擽ったそうに笑って身動ぎした。そんな柴田を捕まえるみたいに、逢坂はソファーに寝転んだままの柴田に覆いかぶさった。
「しずか、コラ、調子乗るな」
「だって侑史くんが、かわいいこと言うから」
「かわいいってなんだよ、かわいくねーわ」
シャツを捲って下から手を入れると、柴田の薄っぺらい体がびくりと跳ねる。柴田の様子を観察しながら、するすると皮膚の上に指を滑らせると、それを止めるみたいに柴田がシャツを引っ張って逢坂の手を上から押さえた。逢坂は柴田の意思通りそこで手を止める。
「まだ昼間だぞ、何考えてんだ、しず」
「夜まで駄目?」
「だめ、ホラ、飯作るんだろうが」
多分ストップの意味合いを込めて、肩をぽんぽんと叩かれる。名残惜しい気はしたが、逢坂は言われた通り、柴田のシャツの下から手を抜いた。男の癖に柴田はそういう欲求もあんまり強くはないみたいで、時々悪気なく逢坂の手を拒んだりする。力で組み敷こうと思えば、痩せていて非力な柴田は簡単に思い通りになることを知っているけれど、逢坂は柴田が嫌がる時はちゃんと柴田の意思を尊重して、我慢したりもしているのだ。分かってはいるけれど、一応ポーズの意味も含めて腑に落ちない顔をして、柴田を見つめていると、柴田は仕方なさそうな顔をして、逢坂の頭をぽんぽんと撫でた。
「うまいの、待ってるよ」
「・・・うーん、なんか適当にあしらわれてる気がするなぁ」
「はは、なんだそれ、あしらってねぇよ」
笑いながら柴田がそう言うのに、逢坂はこれ以上は諦めて立ち上がる。乱れたエプロンの紐を結び直して、柴田のマンションに来るまでに買ってきたものを、スーパーの袋の中からテーブルに出して並べた。食欲の落ちている柴田は、あんまりこってりしたものはきっと食べたくはないだろうし、でもスタミナのつくものがいいなと逢坂も結構これでも悩んで選んだりしている。それを柴田が知っているかどうか、逢坂には分からないけれど。ふっと見やるとソファーに寝転んでいる柴田は、またおんなじ体勢に戻っている。そうして逢坂が黙っているとそのうちうとうととしてくるのだ、いつもそうだから分かっている。
「・・・あ、でんわ」
静かだった部屋の中に、柴田の携帯電話の着信音が響いて、逢坂は野菜を切っていた手を止めた。案の定うとうとしていた柴田は、面倒臭そうに寝ころんだままテーブルに手を伸ばして携帯電話を乱暴な動作で掴む。休日でも柴田は時々仕事に出かけるし、逢坂とふたりでいても、そんなに多くはなかったけれど緊急の呼び出しがかかれば事務所に出向いたりする。何となく嫌な予感がして、逢坂は手を止めて、電話に出る柴田のことをキッチンから見ていた。仕事に行くと言われれば、逢坂は物分かりのいい恋人のふりをして、いってらっしゃいと微笑むしかない。どんなに口惜しくてもそれには敵わない。
「知らない番号、真中さんかな・・・」
ディスプレイには番号のみが表示されている。それを見ながら柴田は、出るのを一瞬躊躇った。真中は出張先から電話をかけてくる時、時々知らない番号からかけてくることがある。今日は仕事に行くテンションではないのにと思ったけれど、そんなことで真中の呼び出しを断ることができないことは分かっている。柴田はひとつ溜め息を吐いて、通話のボタンを押した。こうなってしまえば柴田にできることはただひとつ、これが面倒くさくない案件であることを祈るだけだ。
「はい?」
『あ、柴田さんですか?』
「・・・え?あれ?」
『あはは、サエでーす、分かりますか?』
「・・・サエちゃん?」
しかし柴田の予想は外れて、電話の向こうから聞こえてきたのは、高いサエの声だった。サエと出会ったのは逢坂のバイト先のあのバーで、確かにあの時のことは衝撃的であり、記憶にも新しいが、以降音沙汰がなかったので半分以上忘れかけていた。あの時柴田は勿論、サエに連絡先など教えていなかったし、どうして番号を知っているのだろうと思ったが、漏れる先はひとつしか心当たりがなかった。
『この間はありがとうございました。迷惑かけちゃってすみません』
「あ、いいよ。別に」
『よかった。それが言いたかったの』
見た目は派手な女の子だったが、そう言って笑うサエは、思っていたよりはきっちりしているような気がして、何だか好感が持てるなと柴田はのんびりと思った。
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