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第15話

午前中の会議が終わって、柴田はひとり給湯室でコーヒーを淹れていた。午後からは内勤の予定で、特に急ぎの仕事もなさそうなので、久しぶりに少し肩の力が抜けている。真中が出張で事務所を離れている最中、本来真中がしなければならない仕事をさせられるのは、少し気が重かったけれど、それが多分役職がつくということで、真中の言う仕事が頼みやすくなることなのだろうと、ぼんやり柴田は考えた。自分のしたかったことや見たかったものが、これであっているのか分からない。氷川から独立をまことしやかに囁かれてから、柴田は真中には内緒でそれをリアルとして時々考えてみたりもする。 (まぁ、そんなことできないことくらい、分かってるんだけど) そこまでの思い切りがつかないことくらい、柴田は自分のことだから何となく分かっていた。だからこそ氷川は囁いたのかもしれないし、あのひとのやることだから、本当に真中へ嫌がらせをするためのツールとして使われた可能性も高かった。やかんの中で水が泡を吐き出すさまを見ながら、柴田はぐるぐるとひとりで考えていた。するとポケットに入れっぱなしにしていた携帯電話が震えて、慌ててそれを引っ張り出すと、またディスプレイには知らない番号が表示されていた。 (誰だ、真中さん?) 仕事中なら職場の電話に直接かけてきてもいいのにと思いながら、柴田は通話のボタンを押した。中の水が沸騰しているのを確認して、左手でガスの火を止める。 「はい、柴田です」 『あ、柴田さん、こんにちは』 しかしまた柴田の予想は外れて、今度のそれも真中ではなかった。電話口の向こうからは、真中の低い声とは程遠い若い声が、まるで跳ねるようにそう言った。柴田はそれを聞いてぎょっとして、携帯電話を一旦耳から外し、ディスプレイを見やった。そこには知らない番号と通話中の文字が見える。そんなものを見てもどうしようもないが、柴田はそれを見て確かめずにはいられなかった。 『柴田さーん、もしもし?』 サエの声が聞こえて、柴田は慌てて携帯電話を耳に当て直した。 「サエ、ちゃん?」 『そうです。あはは、びっくりした?』 「・・・びっくりした」 正直にそう言うと、サエは電話の向こうでまたあははと高い声で笑った。 『この間、逢坂に邪魔されてちゃんとお話しできなかったから』 「あー・・・」 そう言えばサエと話している間に逢坂に携帯電話を取られて、その後逢坂はサエにまた怒っていたようだったが、柴田は通話の切れた携帯電話を返してもらっただけで、話の内容までは知らなかった。また勝手に電話なんかしていたら、逢坂に怒られるのだろうなと思ったけれど、怒られる理由が柴田には分からない。だからまぁいいかと割と軽く考えていることが、多分逢坂にもばれている。 「話って?」 『今度、デートしません?』 「・・・は?」 相変わらず電話口の向こうのサエの声は明るい。姿が見えない分、軽くて高い声だけが響いていて、実態が掴めなくて嫌だった。 『遊園地行きましょう。柴田さんあんまりそういうとこ行かないでしょ』 「あー・・・まぁ行かないけど」 『じゃあ決まり。今週末あいてます?』 さくさく余りにも強引に話が進んで、柴田はそれに口を挟む余裕がなくて、少し慌てた。週末は概ね仕事は休みだけれど、いつも空いているわけではないから確認しないといけないと考えて、そこまで考えて、柴田ははっとした。サエのそれに行く方向で考えを進めていいのだろうか。流石の柴田もそれには軽率に逢坂を怒らせることになるだろうと、察しがついた。 「いいの、そんなことして。しずかが怒るよ」 『あはは、それ私に確認するんですか?なんか違いません?』 「・・・あー・・・そっか。変だな」 『別にいいんじゃないですか。柴田さんが嫌じゃなければ』 あっけらかんとサエは言って、またくすくすと笑った。一体何が目的なのだろう、この女の子は、柴田はサエの笑う声を聞きながら考えた。はじめは逢坂とよりを戻すために柴田の前に現れて暴言を吐いたし、奇行もしてみせた。しかし柴田がサエに水を差しだした辺りから、妙におかしな方向に進んで行っている気がする。そんなことはあるわけがないと柴田自身、自分にブレーキをかけるつもりで思うのだが、それをサエは勝手にアクセルに入れるみたいな無茶さで、無邪気に振舞っている。 「サエちゃん、何を企んでるの。俺は別にしずかの味方はしないけど、あいつもあれで参ってるみたいだから、もうこのへんでやめておいてやってくれないか」 『あはは。別に私、何も企んでないですよ。でもそっか、逢坂、参っているのね』 「あぁ、うん・・・」 『それは嬉しいかも。ざまあみろって感じ』 確かに柴田は逢坂の味方はしないと言ったけれど、現在進行形でその逢坂と付き合っている柴田に対して、サエは実に気持ち良くそれを吐露した。そういうものは思っていても隠したほうが良いのではないかと思って、柴田はまた無意識にサエの方に加担をしている。逢坂とサエのことはよく知らない。ふたりが過去付き合っていた時期があって現在は別れていて、同じ大学に行っていることくらいしか知らない。逢坂にサエのことを聞いたって、どうしてそんなこと侑史くんが聞くのと眉を顰められるのがオチだと分かっているから、柴田はそれ以上詮索していない。それにしても痴話喧嘩に巻き込まれているみたいでいい気はしない。 「サエちゃんしずかのことが好きなんだろ?あんまりそういう言い方するとよくないと思うけど。こんなこと俺が言うのも変なんだけど」 『あはは、柴田さん勘違いしてる。私、いつ好きだなんて言いました?』 「・・・だって付き合ってたんだろう?」 『付き合ってたからって別に、好きで付き合っていたわけじゃないから』 「え?何だよ、それ」 『あはは。兎に角もう逢坂のことはいいの。ね?』 「ねって・・・」 それをサエに直接尋ねても確信には至らず、結局はぐらかされているような気がする。柴田はそれ以上サエに何を言っても無駄な気がして、聞きたいことは多分沢山あったような気がするけれど、口を噤んでしまった。逢坂に聞くことも出来ないけれど。 『じゃあ週末、空けといてくださいね!』 そうしてその高い声は一方的に約束を柴田に取り付けると、ぷつりと実に気持ち良く通話を切った。

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