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第23話

そういえば、大学に来たのははじめてだったと柴田は思った。講義棟が立ち並ぶ一角から少し離れたところに、大学の専用の駐車場があり、そこに車を止めて待っていてと言われたけれど、折角ここまで来たのだからと車を降りて興味本位で講義棟のほうまで歩いてみる。休日だったので、学生の姿はちらほらとしか見当たらず、そんなに校内は活気があるようには見えなかったが、自分も大学生だった頃のことを忘れて、柴田にはそれが酷く新鮮に感じられた。軽やかな足取りで柴田の隣を過ぎていく大学生たちは、柴田のことをなんだと思っているのか、あまり関心がないようで、明らかに場違いであったが、ある程度覚悟していたけれど好奇の視線に晒されることは、こちらが拍子抜けするほどなかった。 (皆若いなー・・・若い子なんて街でそれこそ腐るほど見てるはずだけど、でもこうしてみるとなんか圧巻) (ここがしずかの生きてるところなんだな・・・) 中庭をうろうろしていた柴田だったが、流石に校舎の中に入ることは出来ずに、外に設置されている誰も座っていないベンチに腰かけた。約束の時間まではまだ少し余裕があった。目の前をはしゃいだ女子大生の集団が過ぎていく。女性の化粧品の匂いがふっと鼻を掠める。 「・・・あれ、柴田さん?」 ふっと声が降ってきて、声のした方に顔を向けると、そこには月森がひとりで立っていた。全く見知らぬ土地で知っている人に偶然会ったみたいに、柴田は別に今まで不安だったわけではないくせに急に安心した。月森に会うのは久しぶりだったけれど、その茶色かった頭が黒く染め直されていて、きっと月森も逢坂と同じで就職活動中なのだろうと柴田はぼんやり思った。 「こんにちは、月森くん」 「こんにちは。どうしてこんなところにいるんですか?閑?」 「あ、いやぁ・・・」 ひょこひょこと人懐こい笑顔を浮かべながら月森はベンチまで近づいてきて、そうするのが当然みたいに柴田の隣に座った。逢坂の友達らしい月森は、柴田にとっては逢坂がバイトしているバーで度々顔を合わせる程度の知り合いだったはずだ。月森は人懐っこいのに馴れ馴れしいところがなくて、距離は近いのに分は弁えていて、不思議な子だなと柴田は前々から思っていた。そしてその時、その所作に嫌なところが一つも見当たらなかったことで、その思いが一層強まった気がした。 「あれ、違うんですか」 「うん、今日はまた、ちょっと別件で」 柴田がそうやって曖昧に言葉を濁して言うと、月森はそのつるりとした茶色い目をぱちりとやや大袈裟に瞬きさせた。その何かを確かめるような視線に、柴田は急に居心地が悪く感じた。何か後ろめたいところでもあるのだろうか、この目に。 「柴田さーん」 その時、遠くから柴田を呼ぶ声が聞こえて、柴田がそれに反応するより早く、月森が自棄に俊敏な動作で振り返った。サエがにこにこしながら近づいて来た。今日は花柄のワンピースで、バーで会った時より、遊園地で会った時よりも女の子らしい雰囲気だった。柴田が待っているのがサエだと分かったらしい月森は、サエに移していた視線をもう一度柴田に戻した。それは柴田を非難するものではなくて、純粋な驚きのように柴田には見えた。そうであってほしいと思ったからかもしれない。 「あれ、月森。学校来てたんだ」 「サエこそ。最近見なかったけど」 「私はレポート出しに来ただけ、来週も行けそうにないから」 そういえば柴田の携帯電話の番号を、サエは月森から聞いたと言っていたような気がする。大学は広いように感じたが、ふたりは知り合いなのかと思いながら、柴田は目の前で共通言語で話すサエと月森のことをまるで他人事のように見ていた。するとベンチに座っていた月森からサエはすっと視線を移して、隣で居心地悪そうにしている柴田の方に目をやって、柴田と目を合わせるとにこっと笑った。 「柴田さん、お待たせ。行こう」 「・・・あ、うん」 サエの呼びかけに応じるように柴田が立ちあがると、サエはまるでいつもそうしているみたいに柴田の腕を取った。余りにも自然な動作に、柴田はどぎまぎしながらそれをどうしたらいいのか分からなかった。歩き出してからサエは思い出したように立ち止まって、ベンチを振り返った。月森はもうそこには座っておらずに、立ち上がってサエと柴田のことを見ていた。相変わらず茶色くてつるりとした目は純粋な驚きとともにあるように見えた。少なくとも柴田にはそう見えていた。 「いつの間にそんなに柴田さんと仲良くなったの、サエ」 「これからもっと仲良くなるよ、じゃあね、月森」 驚いたようにそう言う月森相手に手を振って軽やかに、サエは月森に背を向けて歩き出した。サエに引っ張られるみたいに、柴田も歩くしか選択肢がなくなる。先ほどまでひとりで歩いていた時は、誰も柴田に関心がなかったようだったが、サエと腕を組んで歩いていると、すれ違う生徒たちは皆不思議そうな顔をして柴田のことを見た。サエはそんなことまるで気にしていないみたいで、そういう視線に晒されていることに慣れているのかもしれないと柴田はひとりで考えた。 「月森、きっと逢坂に言うよ」 「・・・え?」 「そうしたら逢坂また怒るのかな、柴田さんだって、今度は怒られると思うけど」 ふふと含み笑いを漏らしながら、サエは何故か小声でそう言った。まるで内緒話でもするみたいだと思いながら、柴田はそれに何と返したらいいのか分からなかった。月森は逢坂の友達だから、きっと何らかの形で伝わることになるだろうことは、柴田も想像がついた。そしてその後、逢坂がどうするのかも考えることが出来ないわけではなかった。できなかったわけではないのに何故だろう、柴田はその時、サエの手を振り払うことも出来ないことは分かっていた。我が物顔で掴まれたそれを、自分だけは優しくしてやらなくてはなんて考えていることがサエにばれたら、サエはどうするのだろう。 「別にいいよ」 「・・・―――」 柴田が静かにそう言うと、サエは少しだけ驚いたように息を飲んだ。柴田がそんなことを言うなんて思っていなかったようだ。講義棟を抜けて人の少ない駐車場に辿り着いた時、サエはふっと掴んでいた柴田の腕を離した。そうして足を止める。柴田は振り返ってサエのほうを見やった。サエはそこで見たこともないような曖昧な表情を浮かべて、立ち尽くしていた。 「サエちゃんどうしたの、車そこだけど」 「あ、うん・・・」 彼女がその時何かを躊躇ったのを、柴田は気づいていたけれど見ないふりをした。

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