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第24話

「私の番号、着拒にしたのって逢坂?」 助手席に乗ったサエは流れていく街をぼんやりと見ながら、ふと思い出したようにそう言った。柴田は着拒の意味が一瞬分からなかったけれど、サエが白い手で自分の携帯電話を握っているのを見て、あぁそうかと思い直していた。彼女たちの言葉は時々難しい。 「なってた?そういや、するとかなんとか言ってたな・・・ほんとにしたのか」 「別にいいんだけど、ケータイなんて山ほど持ってるから」 ドアのわずかにせり出している部分に肘を突いて、サエは少し可笑しそうにそう言った。山ほどとはどういうことだろうと、携帯電話を勿論一台しか持っていない柴田はまた混乱した。 「すごい独占欲、尊敬しちゃうな、逢坂」 「・・・はぁ、そこ尊敬するところなのか」 「あはは、でも柴田さんもそれでよく文句言わないね、嫌じゃないの」 「言ったって聞かないよ、あいつは」 柴田が諦め半分でそう言うと、サエは何が可笑しいのかまた高い笑い声を立てて笑った。 「はー、おもしろ。ほんと馬鹿、逢坂」 「・・・そんなに笑ってやるなよ」 「だって馬鹿じゃん。何ムキになってんの、そんなことしなくたって、柴田さん、私のこと好きになったりしないのに」 「・・・―――」 ふっと呼吸が途切れるみたいに、車の中の空気が急に冷え込んだような気がした。柴田はハンドルを握ったまま、ちらりとサエの様子を伺った。相変わらず、ドアのささやかなせり出しに肘を乗せたまま、サエは窓の外を見ており、その表情は読み取れなかった。 「サエちゃん、そのことなんだけど」 「やめてよ、その話するの」 柴田が切り出したそれは、一瞬で彼女に叩き落されて無残に床に散らばった。さっきまではしゃいだ声で笑っていたサエは、その声色を少しだけ低くしただけで、随分と強く見えた。そう見えただけだったのかもしれない。だってサエは柴田にとってみれば普通の女子大生にすぎないのだから。柴田はそれ以上その話が出来ないのは分かっていたが、今日はそれをするためにわざわざ大学まで出向いて、サエを迎えに来たのだ。彼女がそれを強く拒否したって、何もできずに帰るわけにはいかなかった。 「そんなわけにはいかないだろ。その話をするために来たんだよ」 「・・・だってふたりも連続でフラれたら、私立ち直れないもん」 「はは、俺のことは数に入れなくていいよ」 そうして柴田はゆっくり言葉を切った。 「サエちゃん、本当は俺の事なんて好きじゃないだろう。ほんとはまだしずかのことが好きなんだろ?」 サエは窓の外を向いたまま、ぴくりと肩を震わせた。それが答えだと思った。どうして一度あのバーで逢坂に復縁を迫ったサエが、次の瞬間に手のひらを返すように柴田に身を寄せてきたのか、柴田も考えなかったわけではない。柴田の周りをうろちょろして、逢坂に鬱陶しそうな顔をされるたびに、彼女はそれを面白がるように笑っていたけれど、でも本当はそんなことをしながら苦しかったのだろうと、こちらを全く向こうとしない、彼女の白い頬を見ながら柴田は思った。興味がないのだと自覚するのは怖かった、はじめは嫌悪でも憎悪でもいいからなんかしらの感情を向けてくれることが嬉しかったのかもしれない。それでも本当は、彼女が逢坂に向けて欲しかったのは、本当に欲しかったのは嫌悪でも憎悪でもなかった。そんなことは明らかだ。でも明らかにするのは怖かったし、苦しかった。彼女のそういう気持ちを、柴田は何となく知っているような気がした。 「逢坂ってね、結構かっこいいじゃない」 ふっとサエが呟くように言った。 「あれでちゃんと講義出てて真面目でさ、明るいし友達多くて、ブスにも優しかったりするの」 「・・・ブスにも優しいって、サエちゃん」 「はは、だってほんとなんだもん。それで結構人気あってさ、私の友達も好きでさ、私は別に好きでも何でもなかったんだけど、友達だったし」 聞きながら柴田は、いつかサエが『別に好きで付き合っていたわけではない』と言っていたのを思い出していた。サエがその時言っていたのは、言いたかったのはこのことだったのだろうか、それとも別の何かだったのか、柴田は推測を立てることしかできない。 「でも友達が好きだって分かったら、なんか欲しくなっちゃったの」 サエの声のトーンがまた一段と落ちて、柴田は少しだけその続きを聞くのが怖い気がした。彼女の言い分が分かるようで、一方では全然理解できないところもあって、それが彼女の若さのせいなのか、それとも別の何かが作用した影響なのか、柴田にはもう判別がつかない。逢坂にだって分からないところは一杯あって、その度にどうしてこんなに分かり合うことは難しいのだろうと思っている。それは相手が逢坂だからという理由ではどうやらないらしい。サエとのこともその延長にすぎないことは分かっていた。 「逢坂も多分、私が本気で好きじゃないの分かってたんだと思うけど、でも私こんなだから付き合ってくれて。はじめのうちは良かったんだけど、友達にも勝てて気分良くてさ」 逢坂はどうして彼女のそれに頷いたのだろうと柴田は思った。柴田は逢坂ならそんな風なサエの魂胆が、本当に分かっていたのなら、きっと断るはずだと思ったけれど、彼女の前の逢坂を上手く想像できなくて、それも余り自信がなかった。 「今まで付き合った人って、私の事すっごく大事にしてくれたの。私、家も金持ちだし、かわいいから。それこそお姫様みたいな扱いを受けてたの、ずっと」 そうして自分のことを言い切ってしまえるのはサエの強さなのか、それとも何かの諦めの形なのか、柴田にはよく分からなかった。扱いを受けていたという言葉の選択の仕方が、それをサエが何と思っていたのか、何となく察しが付くから余計に。 「でも逢坂はちがくて。全然特別にしてくれないし、私のこと。なんか付き合っててもずっと苛々してて」 付き合っていても苛々しているのは自分も同じだと、聞きながらひっそりと柴田は思った。くだらないことで言い争って疲弊して、を繰り返しているような気がする。逢坂の何かが悪いわけではないと思うし、自分もそれなりにやっているつもりだけれど、柴田はひとりで考える。 「だから逢坂を試すようなこと、いっぱいしてたの、ひどいこともいっぱいした」 「それで最後は別の男と浮気してサヨナラ、ほんとになんだったんだろ、私と逢坂」 自嘲するようにサエは笑ったが、笑い声は随分と乾いていた。柴田はそれを見ながらまた、勝手に切なくなった。お節介だとは分かっているが、そうしてひとりになったサエのことを、誰か分かってやって傍にいてくれたのだろうかと思った。そうして逢坂がサエに対して必要以上に冷たい理由も、こうしてみるとなんとなく合点がいくような気がしてそれはそれで悲しかった。

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