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第25話
サエはまるで自分の表情を隠すみたいに、ずっと窓の外を見ていた。柴田は時折サエの話に相槌を打ちながら、どこに行くでもない車のハンドルを握って、止まらないように走り続けた。窓の外は暮れはじめて、そろそろ明るい時間帯も終わろうとしている。
「別れた直後はどうでもよかったの。でも逢坂が今度は男の人と付き合ってるって聞いて、はぁ?って思って」
はじめてバーで逢坂の友達の月森と伊原と会った時、逢坂はそういう事を隠さないひとなのでと月森は言っていた。オープンなのが良いことなのか悪いことなのか分からないが、逢坂のスタンスがオープンである以上、それがサエの耳に入っても別段不思議なことではなかったのだろう。
「はじめはどんな人なのか、顔くらい見てやろうと思ってあそこに行ったの。でも柴田さんが逢坂にとっても大事にされているの見たら羨ましくて、悔しかった」
すっとサエの頭が動いて、ようやくこちらを向いたのが、ハンドルを握っている柴田にもよく分かった。サエと逢坂が付き合っていたことを、柴田は今のふたりの関係から想像することも出来ないが、案外今のふたりの関係とその時と大差ないのかもしれない。そう思うと少しだけ、自分の考えていたことなんて取り越し苦労以外の何物でもなかったような気がした。
「私のことは特別にしてくれなかったのに。柴田さんは逢坂にとって特別なんだもん」
「・・・そうかな」
「そうだよ、自覚がないなら自覚すべき。はじめは逢坂ってみんなに優しいから、誰かひとりに優しく出来ないんじゃないかって思ってたけど、そんなこともないし。結局、それは私だったからってことじゃない。虚しかったし悲しかったから、だからちょっと意地悪したの、それだけ」
それだけとサエは気丈に言ったけれど、結局その意地悪で一番傷付いたのはサエだったことを、柴田は何となく分かっていた。もうやめてくれないかと柴田がやんわり言った時に、本当は引くべきだったのかもしれないけれど、結局プライドが邪魔して、サエは上手く引くことも出来なかった。プライドも強がりも邪魔をしても、サエの助けにはなってくれなかった。それが結局こんな形で、明らかになっている。サエはまだ口角を上げて笑っていて、柴田はそれが何だか痛々しく見えた。
「私、こんなだから、今まで誰のこともあんまり本気で好きになれなかった。でも柴田さん見てたら羨ましくて、私も逢坂にそんな風に思われたかったんだって思った。そんなこと自分で思ったことなかったから吃驚したよ。でも私、逢坂のことは多分、本気で好きになっちゃったんだと思う、もう遅いけど」
「・・・サエちゃん」
「ごめんなさい、柴田さん」
俯いたサエの目からぼろりと大粒の涙が流れて、柴田はそれをどこかで見たことがあるような気がしていた。サエとはじめて会ったあのバーで、逢坂を目の前にしてサエは多分、一生懸命誠実であろうとしていたのだろうと、その時柴田は思った。あの時彼女が流したのは、逢坂の同情を引くためではない、本物の涙だったのだろうと柴田は思った。花柄のワンピースをぎゅっと掴んだ彼女の白い手が震えている。それはどんな意図を持って、柴田の手を掴んだのだろう。そしてそれは彼女に一体何をもたらしてくれたのだろう、考えると切なかった。柴田はほとんど無意識的に手を伸ばして、助手席で俯くサエの頭をぽんぽんと撫でた。いつかこんなことをした、その時も彼女は泣いていたし、謝っていた。優しい手が必要だと思った、それが自分の手で良かったのかどうか、分からないけれど。彼女には優しい手が必要なのだと柴田は思った。
「うん、俺は大丈夫だから、しずかにもちゃんと謝っておきなよ」
「・・・逢坂、怒るだろうなぁ」
「でも、ちゃんと謝っておきな。じゃないとアイツ勘違いしたままだから。それじゃ友達にも戻れないよ」
「そんなことしていいの、それで私と逢坂がヨリ戻しちゃうかもしれないよ」
まだ目は赤いのに、サエは笑ってそう言った。
「いいよ、別に」
「・・・柴田さんってクールだよね、クールっていうか、ドライ?」
「ドライ?」
「うん、逢坂が変に心配するのも何か分かる。ほんとに逢坂のこと好きなの?私みたいなのはもう近づかないでって言ったほうが良いんじゃない」
「はは、そっか。でも、もしそうなったら、それはそれで良いと思ってるから、俺は」
本当に?自分で自分に尋ねながら、柴田はそう言った。サエが赤い目をぱちぱちと瞬きをさせて、不思議そうに柴田のことを見ている。そう思っておかないと、もし本当にそうなった時に、自分を守ってくれるものが何もないからなんて、大人は卑怯で保身の事ばかり考えている。でも仕方がない、逢坂みたいに真っ直ぐ愛を叫べないのも、こうやって何があるごとに逃げ道を作ってしまうのも、今まで生きてきた年月が長い分の知恵なのだ、だから悪いことじゃないと呟いて柴田はまた逃げ出そうとする自分のことを守っている。サエみたいに傷つきたくなかった。傷ついたって自分には帰るところも優しくしてくれる人もいないのが分かっていたから、サエみたいに若くて美しければやり直しは効くけれど自分はどうだろう、そんなこと考えなくても分かっている。ひとりで格好悪く傷つくのは嫌だった、怖かったしとても耐えられそうになかった。
「それこそサエちゃんの言った通り、男同士なんて不毛だし、しずかにはもっといい相手がいると思ってるよ」
「・・・え?」
「それこそ手を繋いでデートしたり、結婚したり、子どもが出来たり、そういう将来のことを考えられる相手が」
「・・・―――」
本当に?自分で自分に尋ねるのは止めようと柴田は思った。そんなことをしても虚しいだけだ、虚しくなるだけだ。自分で自分をそこに誘って一体どうするのだろう、一体どうすれば良いのだろう。柴田には分からない。柴田はハンドルを握り直した。もうこのドライブは終わりだ。
「柴田さんって馬鹿なの?」
急に黙ったサエが次に口を開いた時、ひどく辛辣にそう言ったので、柴田は吃驚して思わずブレーキを強く踏みそうになった。助手席のサエに視線をやると、先程まで泣いていたはずのサエはそこで不貞腐れたように頬を膨らませて、不機嫌そうな表情をしていた。
「え?」
「何でそんなこと思うの?そんなこと考えながら逢坂と付き合ってるの?」
「サエちゃん・・・?」
「そんなの逢坂が可哀想じゃない?私の目から見ても羨ましいくらい愛されてるのに何がそんなに不安なの?分かんない」
「・・・―――」
畳みかけるようにそう言うと、サエはふいっとそっぽを向くように窓の外に目をやった。柴田はそれに何と言ったらいいのか分からなかった。自分とサエは全然違う。性別も年齢も立場も全然違う。同じ物差しで測られることに意味なんてない。意味なんてないことは分かっているけれど、柴田にはそれをどうやってサエに伝えればいいのか分からなかった。サエはきっと柴田のそんな言い訳なんて一蹴するだろう、分かっていた。柴田は自分のそれが所詮言い訳でしかないことを理解していた、理解しているのだと思った。
「そんなんじゃ逢坂が可哀想。逢坂は本気なのに」
「あの髪だって、柴田さんのためでしょ。あんなダサくしちゃって。かっこよかったのに」
そんなことは分かっていた。茶化さないでよと真剣な目をした逢坂のことを、柴田は知っているのだから。
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