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第27話

暗い道を少し歩けば、開けた高台からは東京の夜景が一望できた。 「久しぶりに来たけど、やっぱ綺麗だな」 柵に凭れるように立って、柴田は自棄に明るい声でそう言った。振り返ると逢坂は複雑そうな表情で、柴田の少し後ろから夜景を見るわけでなく見ていた。 「しずか、なんでそんなとこにいるんだよ、こっちこい」 「・・・侑史くん、話って何。サエと付き合うんじゃないの」 「まだお前そんなこと言ってんのか。付き合わないよ、そもそもサエちゃんは俺の事なんか好きじゃない」 「じゃあなんで、わざわざ大学まで迎えに来て、ふたりで何してたんだよ」 眉間に皺を寄せて、悲痛な顔をして逢坂はそう絞り出すように言った。真中の時は怒りの感情をただただぶつけていただけだけれど、サエのことは自分にも責任があると思っているのか、それほどの勢いがない分、逢坂は感情のやり場がなくてひどく苦しそうに見えた。柴田はそれにどう答えるべきか少し考えた。サエのことはきっとサエに任せておいたほうが良いのだろうと思った。別れ際に反省した顔をしていたサエが、もう今更逢坂相手に嘘を吐くとも考え辛いし、自分から言うよりも、きっとそのほうが良いだろうと思うと、余計なことは言えない気がした。それで逢坂が一層不安になってしまうのも、何となく想像がつくが。 「だからそれは・・・―――」 「・・・答えられないんじゃん」 「お前が考えてるようなことじゃない、サエちゃんとはちょっと話をしただけで」 「侑史くん、俺、もうふたりで会わないでって言ったよね。あの時分かったって言ってくれたの、嘘だったの」 「・・・そうじゃない、けど」 「なんだよ、それ。俺の話聞いてたの、そうやっていつも、適当にはぐらかして、侑史くんは全然、俺の事見てくれてない。俺のこと何とも思ってない」 「・・・―――」 そうやって苦しがる逢坂のことを、柴田はぼんやりと見ていた。自分だって逢坂のことを考えてきた、柴田は柴田なりに柴田のできる方法で、考えてきたつもりだったけれど、暗闇に俯く逢坂にはまるで理解されていないみたいで、それは何だか悲しかった。悲しくて遣り切れなかったけれど、ここでまた物分かりのいい大人のふりをしてしまったら、いつもと同じだと思った。柴田は握った手にぐっと力を入れた。 「そんなことない。俺は・・・俺は、ちゃんと、お前の事、好きだよ」 「・・・―――」 「好きだよ、しずか」 はぁと口から熱い息が漏れて、柴田は耳まで顔が赤くなっているのを自覚しながら、すっと黙っている逢坂のことを見やった。そこで逢坂は吃驚したように目を見開いて、柴田のことを見ていた。そんな目で見てくれるなと思いながら、柴田はそれを言う事が出来ない。逢坂の視線から逃れるために柴田はくるりと逢坂に背を向けて、もう一度眼下に広がる東京の夜景に視線を落とした。無数の光が瞬いているそこは、柴田の決心とは関係なく、今日も無数の人間が意図を持って動いている証拠の光だ。 「・・・侑史くん」 「聞けよ、しずか。これから恥ずかしいこと、話すから」 大きく肩で息を吐いて、柴田は東京の夜景に目を細めた。サエにあんなことを言われる前から、勿論そんなこと分かっていたけれど、本当は誰かにあんな風に背中を押して欲しかったのかもしれない。馬鹿じゃないのと眉を顰めたサエの顔が浮かんでくる。そんなことでもないと決心することが出来ないなんて、大人の振りして格好つけていても、結局中身が何にもなくて無様だと思ったけれど、柴田にはもう自分ではどうしようもなかったから、結果的にはこれで良かったのかもしれない。 「サエちゃんに嫉妬してたのは俺だよ」 「え?」 「お前とサエちゃん、お似合いだったよ、きっと誰の目から見ても。手を繋いで歩いてたって、誰も振り返らないだろうさ、けど、俺とお前じゃそうはいかないだろ」 柴田は言葉を切って、落ち着くためにゆっくり息を吸った。後ろにいるはずの逢坂は押し黙っていて、まるでそこには誰もいないみたいだった。その方が柴田にとっては好都合だった、暗闇にひとりで喋っているのだと、ひとりだと錯覚できるから。 「お前はまだ若いから、この先の人生で沢山色んな人に会うって、前も話したと思うけど、あの時俺は選択肢のひとつでいいなんてかっこつけたけど、本当はそうじゃない」 「選んでほしかったよ、俺のことを。俺だって、お前の隣に居たかったよ。でも、そうやってはっきり言うの、怖くてさ、いつも中途半端なこと言って、お前がはぐらかされてるって感じるのも、無理なかったと思う」 「お前は、いつも真剣だったのに」 ふっと肩に何か触れたような気がした。次の瞬間には、後ろからきつく抱きしめられていた。痛くて、でもそれが柴田には何故か嬉しかった。逢坂の腕が痩せた体に食い込めば食い込むほど、柴田にはそれが嬉しい痛みのように感じた。胸の奥から何かがぐっと込み上げて来て、柴田はぐっと奥歯を噛んでその焦燥に耐えていた。もっとはやく、きっと言うべきだった。そんなことも全部、本当は分かっていたけれど、臆病にいつも足踏みしてばかりだった。何も言わない逢坂の腕を掴んで、柴田はひとつ息を吐いた。明日になればまた、もう一歩進めるような気がした。進んでも怖くないような気がした。 「お前が家にいるのが普通になって、傍にいるのが普通になって、そういうの全部怖かった。お前はいつかいなくなってしまうかもしれないのにって考えながら一緒に居るのが怖かったよ、だからいなくなってもいいように、大人の振りして一生懸命ひとりでいる努力もしたけど」 「でも、しずか、俺はそれでも、お前がいつか俺じゃない他の誰かのことを好きになって、俺の傍を離れて行っても、それでもいいから」 「いいから・・・―――」 ぐっと喉に言葉がつっかえて、それ以上何も出てこないような気がした。それでも無理矢理に口を動かすと、目からぽろりと涙が出てきた。何を泣いているのだろう、柴田は慌てて涙を手で擦った。それでも涙が、ぼろぼろと目から溢れて出てくるのを止めることが出来なかった。柴田は逢坂に知られたくなくて、手で顔を覆ったまま、嗚咽を奥歯で噛み殺していた。 「侑史くん、もういい、分かった」 「・・・ごめ、ん」 「なんで謝るの、俺、今すっごい嬉しいよ。侑史くんが俺の事恋人にしてくれた時と同じくらいうれしい」 「・・・―――」 明るい逢坂の声が耳元でして、柴田はもう一度強く頬を擦った。言いたいことはもっと沢山あったように思う、言えなかったことの方が多かったかもしれない。でも逢坂がそう言うなら、それでもういいような気がした。まともに顔を見ることが出来ないから、後ろから抱き締められている分はまだ、顔が見えないから安心できる、なんてまた逃げている気がして嫌だった。体に食い込む逢坂の腕を掴んで、柴田はもう一度息を吐いた。 「夜景、綺麗だね」 耳元で逢坂がぽつりと呟いたのが聞こえた。

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