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第28話

「サエちゃん、この間、年上の男の人連れて歩いてたじゃん、あれ誰?カレシ?」 「あー・・・ううん、違う、知り合いの人」 有紗はテーブルに置いたカフェオレに刺さったストローを綺麗にネイルされた指で触って、興味がなさそうにふうんと言った。興味がなければ聞かなければいいのにと思いながら、サエはそれには何も言わない。彼女たちは彼女たちで、伺いを立てるみたいにサエに話を振る義務があるのを忘れてはいないらしい。何処で情報を仕入れたのか分からないけれど、柴田と腕を組んで歩いたあの日、あんなに大学内は閑散としていたのに、何かと彼女たちは情報が早い。そしてそれをサエ本人に確認することを、おそらく何とも思っていない。面倒臭いなと思いながら、先日カラーしたばかりの髪に指を絡めて、サエは大学の2階にあるカフェテリアから外を見やった。今日は平日であったから、そこは先日サエが大学を訪れた時よりは賑わっていた。けれどそのほとんどが下級生で、自分たちと同じ4年生の姿はちらちらとしか見かけない。 「サエ」 お昼時のカフェテリアには人が多い。ざわざわした喧騒の中から、突然ふっと自分のことをそんな風に馴れ馴れしく呼ぶ声がして、けれど反応が早かったのはサエよりも隣に座っていた有紗だった。彼女は白い頬をピンク色に染めて、ふっと笑ってまるで自分が呼ばれたみたいに手を上げた。 「逢坂くん、どうしたの?学校来てるの、珍しいね」 声から男だとは分かっていたけれど、それが逢坂だとは思わなかった。思わずサエは勢いよく振り返っていた。逢坂はそこでいつもみたいに派手なTシャツにゆるっとしたカーディガンを着ていて、けれどその髪の毛だけはサエの記憶とは違っていて真っ黒だった。その頭の逢坂の姿は何度も見ているのに、いつまで経っても見慣れる気配がない。最近少し伸びてきたから、また相手に与える印象が変わってきたような気がする。就職活動中の逢坂は、またその内短く切るのだろうけれど、黒がそもそもダサくて似合っていないけれど、せめて長いほうが良いとサエは思っているが口に出したことはない。 「あー、うん、たまたま。今日ゼミの振り替えで」 「そうなんだ、あ、座る?」 「いいや、サエちょっと来れる?話あるんだけど」 「・・・いいけど」 良かったと言って、逢坂はにこっと笑った。先日まで親の仇みたいに睨みつけていたことは忘れたらしい。この分ではちゃんと柴田と話がついた後なんだろうなと思って、そう思ったら何だか逢坂の話に付き合うのは億劫だった。サエが立ち上がって鞄を掴むと、有紗が口惜しそうな顔をしながらも膝を丸めて、サエが通る道を作った。帰ってきたらまた一体話とは何だったのかしつこく聞かれるのだろうなと思った。興味もない癖に彼女たちはそうやって、毎日話のネタを探しているのだ。それこそ面倒臭い。逢坂がにこにこ笑ったまま、座っている彼女たちに手を振って、そんなだからいけないのにと思いながら、サエはざわざわ煩いカフェテリアの中、ひとりだけ不機嫌で、ひとりだけ詰まらなかった。すたすたカフェテリアを抜けていく逢坂の後ろに、どこに行くかも尋ねないままで黙ってついて行く。なんだかとんでもなく惨めな気がした。 「サエ、髪の毛また染めたの」 「え?あ、うん」 「そんな色にしてていいの、就活は?」 「私お父さんの会社に入るの決まってるし、そういうのないから」 「はは、そっか。いいな、羨ましー」 茶色と金色の間みたいなサエの髪の毛を指して、逢坂は笑いながら言った。普通だった。余りにも逢坂は普通で、サエは拍子抜けしている自分のことを見つけた。何だかずっとずっと昔に戻ったみたいだと思いながら、サエはそれをぼんやり見ていた。 「侑史くんから聞いたよ」 「あー・・・そう」 聞いたって何をだろう、何をどこまで聞いたのだろう。柴田は勝手に自分の気持ちを逢坂相手に話さないだろうと、サエは何故か確信するみたいに思っていたけれど、逢坂の態度が余りにも軟化していてそれも怪しいと思った。どちらにしても上手く逢坂の顔を見ることが出来なくて、サエは無意識に廊下の模様を目でなぞっていた。この気持ちは恥ずかしいのか気まずいのか、それとも他の何かなのか。その時サエはそれを判別することが出来なかったし、判別するつもりもなかった。 「なんか、ごめん」 「なんで逢坂が謝るの」 「いや、だって酷いこととか、いっぱい言ったし、侑史くんにも怒られたよ、サエちゃんは女の子なんだからもっと優しくしてやれって」 「柴田さんの言う事なら何でも聞くのね、逢坂」 そんなことは言いたくなかったけれど、口を突いて出てくるのはこんな時でも強がりばかりで嫌になった。逢坂は少しだけ驚いた顔をした後、それをふっと笑顔に変えて俯いた。 「そうでもないよ、散々言われてたけど無視してたもん」 「そう、それでいよいよ優しくしようと思ったのは、どういう風の吹き回し?」 「・・・なんかサエ怒ってる?」 サエの質問には答えないで、逢坂はそう言いながら心底不思議そうに首を傾げて、サエは柴田は何も言っていないのだと確信した。逢坂が自棄に馴れ馴れしいのは、きっとふたりの問題が解決したからだ。それ以上でも以下でもない。解決って何なのだろうと、自分でそう納得しながらサエはふっと思った。そして車の中であんな風に柴田をけしかけたことを少しだけ後悔した。そうでなければ逢坂は、きっとこんなに清々しい表情をしているわけがなかった。こんな清々しい顔の逢坂を、自分はきっと見たかったわけではないだろう。けれど他のどんな逢坂が見たかったのだろうか、自分にだけ優しい逢坂だろうか、そんな、まさか。 「別に怒ってない」 「あ、そ。じゃあまた皆で飲みに行ったりしようよ、就活終わったら、さ」 「話ってそれだけなの」 「・・・あとなんかある?」 逢坂が首を傾げて、黙っていればこのまま友達に戻れるのだろうかとサエは思った。柴田には逢坂に謝っておけと言われたけれど、こんな逢坂相手に謝罪など今更不要なのは分かった。そして自分の気持ちも、こんな逢坂相手に吐露したところで虚しいだけだろうことは良く分かった。だからサエは首を振った。笑顔を作ろうと思ったけれど、逢坂相手にどんな風に笑っていたかなんて、もう忘れてしまった。だから微妙な表情になってしまった。不機嫌そうに見えてなければいいのに、サエは思った。 「ううん、別にない」 「そ、じゃあ、またね、サエ」 にこっと笑って逢坂が手を振る。そういうなんでもない笑顔は懐かしかった。それを隣で見ている時の自分は、ろくにその笑顔を見ていなかったと思うけれど。そのまま渡り廊下を歩いていく逢坂の背中を、サエは黙って見ていた。これで良かったのだろうかと、思いながら何もできないのは分かっていた。柴田に吐露したところで、自分の気持ちには決着がついている。これ以上何もないはずだと思いながら眺めている逢坂の背中は、思ったよりも小さくて、何だかそれが妙に切なかった。 「逢坂!」 思わず叫んでいた。逢坂がふっと渡り廊下の向こうで振り返る。

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