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もう君がいないなら Ⅰ

部屋の中にひとりでいた。外の空気は冷えている。柴田はテーブルに置いた食べかけのクッキーを口に入れようとして、やっぱりそれを元の位置に戻した。年末、テレビは騒がしいバラエティー番組しかやっていない。年始も含めると一週間くらい仕事に行かなくてもいい柴田は、その時間を2日ですでに持て余して、やることがないからテレビを見ている。ほんの何週間か前、内定がようやくもらえた逢坂は、年末は実家に帰ると言っていたから東京にはいない。そもそも逢坂の実家がどこにあるのか柴田は知らないが、大学に通うために一人暮らしをしているのだから、きっとそこそこ遠いに決まっていた。逢坂なら聞いたかもしれないそういう事を、柴田はまた二の足を踏んで聞くことが出来なくて、結局部屋にひとりでいる。逢坂と一緒に居ないとひとりでいることしか選択ができなくなったのは、一体いつからなのだろう。柴田はそれを考えることを拒否している。 (あ、年が明けた) テレビの中は明るくちかちかして、大勢の人間が何故かジャンプをして新年を迎えていた。その騒がしいスタジオと柴田の冷えた部屋の中はまるで地続きではない別世界だ。ちらりと携帯を見てみると、12時を少しだけ回っていた。新しい年が来たことを、まるで次の年は巡って来ないかもしれないみたいな頭の悪さで、喜んでいられたのはいつまでなのだろう。柴田にとっては12月31日も1月1日も他の日と特に変わらない。変わるとしたら仕事がないことくらいだ。考えていると欠伸が出て、起きている必要もないからもう寝ようかなと思ってテレビを丁度消したところだった。今まで沈黙していた携帯電話が鳴った。 (しずか?) 流石にこんな時間に真中から仕事の電話がかかって来るとは考えにくい。だとすれば柴田の携帯電話を鳴らすことができるのは逢坂くらいだと思った、それはもう惚気でもなんでもなく、ただの消去法と言う意味合いで。しかしディスプレイに表示されていたのは逢坂の名前ではなかった。 「・・・はい」 『あ、柴田さん、あけましておめでとうございます!』 明るい声が聞こえる。 「おめでとう、どうしたのサエちゃん」 その時柴田に電話をかけてきたのは、逢坂の元彼女のサエだった。逢坂は誤解が解けた今となっても、柴田とサエが仲良くしているのを余りよく思っていないようだったが、サエは何が面白いのか分からなかったけれど、柴田に時々電話をかけてくる。流石に会ったりすることはないし、逢坂にも一応釘は刺されているが、サエの明るい声は、そんな柴田の焦燥なんてなにも気にはしていないようだった。 『どうって、挨拶ですよ、新年の』 「あ、そう」 『柴田さん今家に居ます?』 「うん、そうだけど」 『逢坂もいます?』 「あー・・・」 この時なんと答えたら正解だったのか、柴田も少しは考えたけれど、彼女相手に警戒しているのはあくまで逢坂で、柴田はそれに加担するつもりはなかったから、本当のことを言っても良かったのだろうと思う。別に双方に下心なんてないのだ、柴田は誰かに言い訳するみたいに思った。 「いないよ、しずかは実家に帰ってる」 『あ、そうなんだ。じゃあ柴田さんひとりだ』 「そうだよ」 『丁度良かった、じゃあ柴田さん明日、初詣行きましょうよ』 「初詣?」 初詣なんていつから行っていないのだろう。柴田はそれに相槌を打ちながら考えた。年始の初詣なんて店はどこも開いてないし、人は多いしでいいことなんてひとつもないのに、どうして皆挙っていつもは行かない神社までお参りに行ったりするのだろう。柴田はそう考えながら、しかし多分明日も自分は暇なのだろうということは分かっていた。日々ろくに趣味もなく仕事ばかりしているせいで、長い休みをどんな風に過ごせばいいのか分からない。サエのそれに付き合うのも悪くはないかもしれない。 『決まりー!じゃあ柴田さんうちまで迎えに来てね』 「・・・サエちゃんいつも強引だなぁ」 『いいでしょ、何か予定あるんですか』 「いや、別にないけど」 『ふふ、だと思った』 サエは悪気なく無邪気に電話口で笑い、柴田はそれに少しだけ眉を顰めた。なんだかこちらの手の内が全部ばれているような気がするなあと思いながら、勝手に約束をした電話はそのうちすぐに切れてしまった。サエの声はいつも明るいが、彼女が変に快活な時は、それはそれで作っている可能性もあるから、彼女に一日くらい付き合ってもいいかもしれないと柴田は自分に言い訳するみたいに思った。それに逢坂はまだ帰ってこない。自分がこんなに長い間仕事に行かずに家にいることは、一年のうちでも今しかないのに、逢坂が簡単に実家に帰ることを決めたことを、本当は自分は少し腹が立っているのかもしれないと柴田は思った。逢坂が一番に思うのが別に自分でなくても構わないし、他の事だってちゃんと大事にすべきと思っているのに、結局現実的な場面では、一番に考えてもらえないことに対して一丁前に腹を立てたりするのだから、大きなことは何も言えない。 (しずかがいなかったら俺はひとりだ、そんなのは駄目だし、そんなのは嫌なのに) 寝ようと思っていたのに、サエからの電話ですっかり目が覚めてしまった。テレビを消した殆ど無音の部屋の中で、柴田はテーブルに臥せったままじっと目を閉じていた。このまま動かないでいたら眠ってしまえるだろうか、冴えた頭でそれでも考える。するとその時、テーブルの上で沈黙していた携帯電話が鳴った。サエだろうか、何か言い忘れたことでもあったのだろうか。ふっとそれに感覚的に手を伸ばして掴むと、ディスプレイには逢坂の名前が浮かんでいて、考えていたことが一気に吹き込んだ。 「・・・はい」 『あ、侑史くん!あけましておめでとう』 明るくはしゃいだ声が聞こえた。サエとほとんど同じようなことを言う逢坂の顔を思い浮かべながら、柴田は少し笑った。 「おめでとう」 『はは、今年もよろしくお願いします』 「・・・こちらこそ」 かしこまった逢坂の声は、なんだか違う人の声みたいだった。柴田は自分の声がまた無意識的に低くなるのを感じながら、返事をした。 『何してた?今日』 「何って、何もしてない。仕事行かないと暇だよ、俺は」 『はは、侑史くんらしいけど、何か食べた?』 「・・・食べたよ」 エネルギーになりそうなものは食べていなかったけれど、柴田は少し考えて逢坂に嘘を吐いた。ふたりでいると嘘を吐くのも面倒くさくて、本当は心配されるのも少しは心地が良いと思っていたりして、本当のことを言う事がそれでも増えたけれど。 『ほんとに?ちゃんと食べてね。あと二三日したら帰るから』 「うん」 その時多分逢坂にも嘘だと分かっていたけれど、逢坂はそれ以上柴田のそれに突っ込まなかった。それが有り難かったのか、もしかしたら少し寂しかったのかもしれない。冷えた部屋の中で耳に当てる携帯電話の人工的な熱だけが柴田の体を温めている。 『そしたらいっぱいいちゃいちゃしようね』 「・・・しねぇよ、ばか」 はははと笑った声が、携帯電話に当たって消える。電波の向こうで逢坂の笑う声が聞こえて、柴田はふっと安心した。ひとりでいても大丈夫だと思った、こうやって声が聞こえている間は、ひとりになっても大丈夫でいられると思った。元々ひとりだったのに、いつの間にかそんなセンチメンタルを飼いはじめて、こんなに大きくなるまで育ててしまっていたことに気付かなかった。 『じゃあ、もう切るね、侑史くん』 「・・・あぁ」 『おやすみ』 「・・・―――」 呟いた逢坂が傍に居なくても大丈夫だった。

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