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刺青。

信が忠を見送り、リビングに戻ると 葵も丁度食器洗い乾燥機での洗い物を終えたのか ダイニングキッチンから姿を見せ―― 「あ、信。洗い物終わったよ。」 「ん。ごくろーさま。今日はカレー作ったり忠とのことで色々と疲れたろ?  先に風呂入って来いよ。俺はここで待ってるから…」 そう言うと信は何時も通り黒いソファーの上に腰かけ 上着のポケットから取り出したスマホで何かを見始める… すると葵がソファーに座る信のすぐそばまで近づくと 信の着ているワイシャツの肩部分をクイクイと引っ張り… 「ねぇ…信…」 「ん?」 信がスマホから視線を外して葵の方に目をやると 葵がちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべ 小首を(かし)げながら信の事を見つめており… 「…?」 信が不思議そうに葵の事を見つめていると 不意にその形のいい薄い唇が、躊躇いがちに開かれた… 「一緒に――入らない…?」 「………」 何に?とまでは聞かないが その一言に信は呆気にとられ… 暫くの間ポカンと口を開けたまま葵の顔を凝視する… そんな信の様子に葵は遂に耐え兼ね、クスクスと笑い出し―― 「フフッ…冗談だよ信…何もそんな顔しなくても…」 「ッ、お前なぁ~…焦ったじゃねーか!…ったく…」 そういうと信は少し顔を赤くしながら再びスマホに視線を移そうする… しかし葵が俯き…モジモジとしながら言葉を続け 「…でもさ信…」 「…ん?」 「俺達――同じ男同士なんだしさ…  別によくない?一緒にお風呂入ったって…」 「ッそれは――」 「…ダメ…?」 「ッ…」 甘えるような表情で自分の事を伺い見る葵に 「じゃあ一緒に入るか。」と信は思わず言いそうになる… だが信はそんな言葉をグッと飲み込み―― 「…駄目だ。」 「…どうして?」 「…どーしても!  そんな事より何時までもこんな所で突っ立ってないで  早く風呂に入って来い!後がつかえてんだから…」 「っでも…っ、」 「いいからっ!  早く行かねーと…今日は抱きしめて一緒に寝てやんねーぞ?」 「ッ!やだ…っ、」 「だったらホラ…さっさと行ってこい。」 「むぅ…分かった…」 葵は納得いかないといった感じに、それこそ本当に子供みたいにむくれ… 仕方なしにトボトボとバスルームに向かって歩いていき 信はそんな葵の後姿を見つめながらひっそりと溜息をつく… ―――入れるわけ…ねーだろが… 信は“まだ”…葵に対して欲情とかそんな感情は抱いてはいないし もし葵と一緒に風呂に入り“変な気分”になったとしても 葵を襲ったりしないと断言できるだけの 自分を律することの出来る理性は持ち合わせていると自負している… しかしそれでも信には葵と一緒に風呂に入れない理由が他にあり… ―――入れるわけ…ねーよ…    “こんなもん”…肩に背負(しょ)ってんだから…    葵が見たら…怯えさせちまう… 信はチラリと自分の左肩の方に目をやると 右手に持っていたスマホをソファーの上に置き そのまま右手で左肩を押さえながら静かに瞼を閉じ、俯く… ―――椿…さん…ッ、 今はキッチリと着こんだ服の下で見えないが―― 信の左肩から左腕の肘の辺りにかけ… 所謂(いわゆる)五分袖状に真っ赤に咲き乱れる椿の花の刺青が施され… 更には普通の人には分かりようもない銃創の痕が一発… 信の胸のほぼ中央に生々しく刻まれており… 信は押さえていた肩を握りしめるように掴みながら身体を前へと屈める… その表情はまるで今感じている苦痛に耐えているかのようで―― ―――俺は貴女を…思い出にしたくない…忘れたくない…、ッ、 今まで離すまいと信の中で必死に繋ぎとめていた“橘 椿”への想いが―― 葵との生活の中で徐々に薄れいこうとしている感覚に信は焦り… 信は椿を忘れないためにと彫った“椿の刺青”に縋るかのように 自分の左肩を強く掻き抱く… ―――フッ…我ながら女々しいな…    それでも俺はまだ…貴女を殺した犯人を見つけるまでは    貴女を忘れるワケにはいかないんだ…        だからせめて…    せめて俺がこの手で犯人を見つけ、始末するその時までは――    俺の中にいてください…椿さん…

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