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兄弟。

「ッた…っ、たすけっ、」 一人の男が後ろを気にしながら地べたを這いつくばり―― 辺りで呻き声を上げながら倒れている男たちの合間をかき分け 手足を懸命に動かしてその場から逃げようともがく中… そんな男の後ろから小気味いい靴音を響かせ… ゆっくりと近づいてきた信が 地面を這いつくばる男の背中をその磨き抜かれた靴の底でそっと踏みつけ 逃げようとする男の動きを止める 「ぐッ、、ふっ、、助けて…助けてくれ…っ!」 「…葵は?」 「…ッ誰だよソイツ…ッ、知らねーよっ!」 「嘘つけ。」 グッ…と信が男の背を踏んでいる足に力を込め… 更に踵で背中を抉るようにしてグリグリと踏みにじると男は悲鳴を上げ 涎を垂らしながら地面を引っかいてのたうち―― 信はそんな男を冷めた目で見下ろすと ゾッとするほど低い声で男に向かって呟いた 「…このまま――脊椎へし折って…下半身不随にしてやってもいいだぜ?」 信の足が背中からスゥー…と腰のあたりにまで移動し―― 再び強く踏まれた事に男は焦り… たまらず身を捩りながら大声で信に懇願した 「ッ分かった…分かったからっ!頼むからそれだけは…っ、」 「…なら言え。葵は今、何処にいる?」 「ッ葵って奴かどうか知らねーけど…綺麗な顔したガキならさっき二階に――」 男の視線が近くの階段に向けられ―― 信と仁がその階段に視線を移す… すると丁度二階の手すりから 一人の男がコチラを見下ろしている姿が見え―― 「!兄貴…」 「っ誠…さん…?」 「よお……やっと来たのか仁……それと――」 誠がスッ…とその瞳を細めながら 信に視線を合わせる 「信……やっぱりあの子が助けを求めていたのはお前だったのか…  久しぶり。元気してたか?」 「ッ、」 誠と視線が合った瞬間…信の身体に妙な緊張感が走り―― 本能的に後ずさりそうになるのを堪えながら信は誠を見つめる… そこに誠が手すりに手をかけ ゆっくりとした動作で階段を下り始め… 「それにしても…暫く見ない間に随分と洗練された――  良い男になったじゃないか…二人とも…」 信同様…仁もまたその表情を険しくしながら誠の事を見つめ―― 誠がそんな二人にフッ…と自嘲気味な笑みを向けると 鋭い視線で二人を見下ろしながらその口を開いた 「…高そうなスーツなんか着て…  汚れ仕事しか出来ない俺なんかとは大違いだ…」 カツン…と誠が最後の段を下り… 気だるげに首を回してコキコキと鳴らしながら信たちの前まで来ると 不意のその表情を剣呑なものにしながら二人の方へと向き 信と仁に緊張が走る… そんな中、信に踏まれている男が誠に手を伸ばして助けを求め―― 「ッ真壁さん…っ、助けて下さい真壁さんっ!」 「…何だよ…作業場には10人以上いたハズなのにもう全滅か?  たった二人相手に情けねぇ~なぁ~…」 誠が呻き声を上げながら二人の足元に転がる男たちを一瞥しながらぼやく 「真壁さんっ!」 「あ?何だようるせ~なぁ~…  黙らねーと頭踏みつぶすぞ。」 「ヒッ、」 「………」 誠は冷めた視線で信に踏まれている男を見下ろし… 信は誠を見つめたまま踏んずけている男から静かに足を退かすと 男は「ヒィィッ!」と漫画みたいな間抜けな声を上げながら その場から走り去っていく… 「…あらら…逃がしちゃうのか?随分とお優しい事で…」 「………」 皮肉交じりの笑みを浮かべる誠を信は険しい表情のまま無言で見つめる そこに仁が誠の方を見つめたまま小声で信に囁いた 「信…此処は俺が引き受けるから――お前はその隙に二階へ行け。」 「ッ!しかし…、ッ、」 「…時間がない。弟がどうなってもいいのか?」 「っそれは――」 「だったら行け。俺に構うな。  それに…俺も丁度コイツに話があったしな…」 仁が鋭く誠を睨みつけながらジリ…と身構える 「…行け。」 「ッ、」 仁の声と共に信は階段に向け駆け出し 仁は誠に向かって走りながらその拳を誠の顔面目掛けて突き出す… しかしそんな二人の行動を見ても誠は動じる事無くニヤ…と薄く笑い―― 「おっと…そー来たか…  まっ…予想は出来ていたけど…なっ!」 「ッ!」 仁が誠に向かって伸ばした腕を、誠は難なく掴むと そのまま仁の腕を両手でひねりながら仁の両脚を素早く片足で払い… 支えを失った仁の身体はそのまま背中から地面へ… 誠に掴まれた腕を押される形でドサッ!とその場に倒れ込む 「ぐッ、、」 「ッ仁っ!」 階段を駆け上がる信の足が止まる しかし―― 「行けっ!!」 「ッ、」 仁の鋭い声と共に信は再び階段を駆け上がり… それを見て仁がホッとした表情を見せると 誠が仁を見下ろし…「フッ」と微笑みながらその口を開いた 「…相変わらず…信君の事が好きなのか?仁…」 「ッ!」 誠のその言葉に…仁はハッと我に返ると その長い脚をグンッ!と誠の脇腹目掛けて思い切り横に振り… その動きを察知した誠が掴んでいた仁の腕をパッと離して仁から距離を取ると 振り切られた仁の足は風を切って空を裂き… 仁は自分から誠が離れた事を察すると 両足に反動をつけながら弓なりになってその場から飛び起き 再び誠と対峙する 「…いきなり酷いじゃないか仁…  久しぶりの再会だっていうのに…」 「ッ…どうして…」 仁が身構え…その険しい表情を崩さないまま誠と向き合い… 今まで誠に聞きたかった事を仁は思い切って口にする 「どうして事件の後…鑑別所から逃げ出した?兄貴…」 「…どうして…?」 仁からの問いかけに誠はクッ…と口角を上げ―― 薄い笑みを仁に向ける 「どーしてか……だって?」 「ッ、答えろ!あのあと兄貴が逃げだしたせいで親父は――」 「更迭(こうてつ)――だっけ?  かわいそ~になぁ~…20年コツコツと積み重ねてきた地位が…  出来の悪い息子のせいで一瞬にしてパァだもんなぁ~…  堪ったもんじゃなかったろーよ…」 「ククククッ…」と、遂に堪え切れなくなった誠は引き笑いをしだし… 誠のその様子に仁がその表情を更に険しくしながら誠を()めつける 「答えろよ兄貴…何故逃げた?  兄貴があの時逃げさえしなければ  親父だって責任を取らされ更迭されずに済んだし…  何より逃げなければ親父が兄貴の事を――」 「“守ってくれた”と…?」 「ッ………」 「お前――本気でそんな事思ってたのか?“あの”堅物の親父が――  出来の悪い俺の為に何とかしてくれたと…?  ハッ!だとしたらとんだお花畑だな仁…」 「兄貴…」 仁の表情に困惑の色が浮かび―― 誠の表情からは薄ら笑いが消え…代わりにその表情にほのかな憎悪が乗る 「アイツが――俺の為に何かするワケないだろ…  出来の良い…“期待通りの息子”であるお前の為ならともかく…」 グッ…と拳を握りしめ… その瞳を鋭くしながら誠は静かに仁を見つめる 「…当時…県有数の進学校である沈丁花高校に通う為に  マンションで一人暮らしをしていたお前は知らんだろうが――  アイツ…事件後鑑別所に収容されてた俺に対して開口一番何て言ったと思う?」 「…?」 「俺の言い分も聞かずに  『…お前は何処まで俺を失望させる気だ…』だとさ…」 「…」 「ハッ…失望だってよ!笑わせてくれる。  はじめっから…俺には何も期待なんかしていなかったくせに…」 「…」 ギリッ…と歯を食いしばり… 憎悪の色が濃くなった瞳で誠は仁を睨みつける 「そう…アイツは初めから俺に期待なんかしちゃいない…  アイツにとって必要で“期待の息子”はお前一人…  何でもそつなくこなし――  完璧で優秀なお前だけがアイツの“期待の息子”だった。  俺じゃない。」 ジリ…と靴底が地面を擦る音だけがやけに大きく響く中… 仁と誠は微妙な距離感を保ちつつ見つめ合う 「…優秀な弟を持ったせいで――  親に期待をかけられなくなった兄ほど惨めなものはない…  お前には分からないだろうがな…」 「ッ、」 「そうそう…“なんで逃げたか?”だっけ?答えは簡単だ…  アイツにとって俺は不要だったからだよ。  問題ばかり起こし…失望ばかりさせる俺はアイツにとって目障りな存在…  …だから――お望み通り消えてやったんだ…アイツの前から。    “復讐”ついでにな…    逃げる途中…鑑別所の職員を怪我させたのは悪かったが――  おかげでアイツは監督不行き届きで更迭…いい気味だ。」 「ッ…兄貴…、」 再び「ククッ…」と笑い出した誠に仁は憤る… 「さて――お前との積もる話も済んだことだし――  俺はそろそろお(いとま)させてもらうとしよう…」 「ッ逃がすと思うか?」 仁が鋭い視線で誠を射抜きながら身構え―― 誠がフッ…と笑みを深める 「…お前に――俺を止められるとでも…?  小さい頃から俺に一度も勝てたことのないお前が…?  止めとけ。怪我するぞ。」 「…あの頃とは違う。」 「ほ~お…」 誠も微笑みながらスッと身構える… すると突然二階からバンッ!というけたたましく扉を開く音が聞こえ―― 「信…っ、しかりして信っ!!」 「ッ!?」 「ッ真壁さんっ!」 二階から姿を現した木下が 勢いよく階段を駆け下りると、真壁の元に走り寄る 「真壁さん…マズイっすよっ!逃げましょうっ!!」 「…お前……ソレは…?」 誠が木下の手を見ればそこには―― …血に濡れたナイフが握られていた…

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