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離さないで…
「ねぇ~のぼるぅ~…チューしよ?」
「…しません。」
レストランから約一時間半以上かけて自宅のあるマンションまで戻って来た信は
車をマンションの地下駐車場に停め…
酔っぱらってへにゃへにゃになっている葵を助手席から降ろすと
そんな葵に肩を貸しながら、ゆっくりとエレベーターに向かって歩いていく…
「ね~え~…ちゅ~う~!」
「…だからしないって。」
―――まったく…知らずに飲んじまった酒とはいえ酔っぱらいすぎだ。
車の運転中やコンビニなどでの休憩中にも終始こんな風に葵に絡まれ…
信はほとほと疲れ切った様子で「ハァ~…」と溜息を吐きだしながら
エレベーターの呼び出しボタンを押し――
上で切り替わる数字を眺めながら下りて来るエレベーターを待つ…
すると葵が突然ガバッ!と信に抱きついてきて――
「ッ!?、おい…っ、」
「…しよ…?」
「ッ、」
両腕を絡めるように信の首の後ろへと回し…
トロンとした表情で信の事を見つめながら葵はその顔を近づける…
「…キス…」
「ッ…わかった。キスだったら部屋に着いたらいくらでもしてやるから…
だから今は――」
信は焦りながら近づいてくる葵から顔ごと視線を逸らそうとするが
信の首回りを挟むように回されている葵の両腕がそれを阻止し…
「やだ。……今がいい…」
「ッ…」
「ダメ…?」
潤んだ瞳で自分の事を見つめながら首を傾げる葵に信は息を呑み…
暫くの間まるで魅入られたかのように信は葵の濡れた瞳を見つめ続ける…
そんな中――
二人しかいない広い地下駐車場にチンッ…という電子音が辺りに響き渡り…
ハッとなった信の目の前で、誰も乗っていないエレベーターのドアが開くと
信は少しホッとしながら葵の背中を軽く叩くポンポンと叩いた
「…ホラ…エレベーターが来たぞ。」
「むぅ~…」
葵はあからさまに不満そうな様子で口を尖らせ…
チラリとエレベーターにその視線を移すと――
渋々といった感じで信の首に回していた腕を解 き…
信に背中を支えられながらエレベーターへと乗り込む
―――ふぅ…ヤレヤレ…
信はそんな葵の様子にフッ…と苦笑を漏らすと
慣れた手つきで行き先と閉めるボタンを押し…
二人を乗せたエレベーターは静かにそのドアを閉じた…
チンッ…
「…着いたぞ。…ホラ、シャンとしろ。」
「ん~…着いたぁ~?だったらチューして…」
「…まだ部屋には着いてねーよ。ったく…」
最上階に到着したエレベーターから二人は降り…
信は再び足取りの覚束ない葵を支えながら、長い廊下をゆっくりと歩く
その時
―――そーいえば…
『…大丈夫か…?』
『ッ…』
信は自分の部屋へと続く長い廊下を眺めながらふと…
葵を初めて家に連れ帰った日の事を思いだし――
―――…葵と初めてこの廊下を歩いたあの時…
葵…震えていたよな…
痛いくらい強く俺の手を掴んで…
「………」
目を瞑り…
まるで何かに縋るかのように自分の手を握る葵の掌から伝わる微かな震え…
それらを思い出し――信は微かに眉を顰める
―――あの時は事情が分からず…
てっきり高所恐怖症から来る震えだとばかり思ってたが――
今にして思えば…
あの震えは自ら死を選ぶほどに逃げたかった“父親”に対する怯えや
その“父親”と俺が同じことを自分にするかもしれないという
不安から来てたものだったのかもな…
実際あの後葵は――
ベッドで俺が“父親”と同じことをすると思って怯えてたし…
『…なんで…何もしてこないの…?』
「ッ…」
小さく身体を震わせ…
同じく震えるか細い声で不安げに尋ねてきたあの日の葵が
鮮明に信の脳裏を過り――
―――葵をあそこまで怯えさせ――追い詰めた葵の“父親”…
どんな奴かは知らんが必ず見つけ出して後悔させてやる…
信は“父親”に対する嫌悪感に顔を顰め…
ギリッ…と歯噛みをしながら
無意識に支えていた葵の身体をグッと強く自分の方へと引き寄せる…
すると葵が不思議そうに信の方に視線を向け――
「のぼる…?どうかした…?」
「ッ…すまん……ちょっと考え事してて…」
信はハッとなり――葵を支えていた手を思わず離しそうになる…
しかし葵が酔っているとは思えない速さで
パシッ…と離れようとする信の腕を掴み――
「…離さないで…」
「ッ、葵…?」
そう言うと葵は信の正面に立ち…
掴んだ信の腕を自分の方へと引き寄せながらスッ…と自分の顔を信に近づけると
困惑で揺れる信の瞳を見つめながら静かにその口を開いた…
「離さないで信…
俺も――何があっても信の事…絶対に離さないから…」
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