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雨は夏の匂いをつれてくる。
こういう日に限って快晴なんだなと、一限のあと喫煙所で煙草を吸いながらぼんやり考えていた。この曜日、この時間は、いつもここで高岡さんと会う。2・3限は同じ授業をとっているので、そのまま行動を共にすることも多い。
しかし今日、どれほど待っても高岡さんはやってこなかった。
「おっす」
「はよ……あのさ、高岡さん一限来てた?」
「高岡さん?」
「あー、あの、ほら、お前と同じ授業の、いつもよくわかんない色のパーカー着てる目ぇ座ってる人」
「あー、よくお前と一緒にいる人? 今日は見てないけど」
清水という仲の良い友人を捕まえて尋ねてみても不発。そうしているあいだに2限がはじまり、欠席者にかまわず授業は重要な内容へ進んでいく。物音がするたびに顔を上げるが、遅刻をして入ってくる人はいなかった。
単なる寝坊かもしれない、実際高岡さんの出席率はさして良いほうではない、でもこのところはしっかりしていた。毎週隣に並んで授業を受けていた。間に合わないときには連絡がきた。風邪を引いたのか、連絡ができないほどにか、そもそも来るつもりも連絡をするつもりもないのだろうか。
いよいよ鳴り響いた授業終了のチャイムが最悪の事態を予感させ、いても立ってもいられず昼休み中に電話をかけた。予想に反し、数回のコールの後電話が繋がった。
「高岡さんっ?」
『んー……』
「……高岡さん?」
『はよ……』
「……おはよーじゃないです、もう昼です。まだ寝てるんすか?」
『あー……もうそんな時間かー……やべー二度寝したー……』
「二度寝ってレベルじゃないでしょ」
『んー……、次のコマから行くわ』
「なんだよもー……心配して損したあ……」
『……なんか心配してたの?』
「そりゃ、昨日あんだけ雨に濡れてたし、体調崩したんじゃないかとか……あと、気まずいんじゃないかとか」
『それは伊勢ちゃんでしょ』
「違いますよ!」
『違わないじゃん』
いつも通りの高岡さんの声を聞いたら張り詰めていた緊張がほどけた。うれしかった、不覚にも。
「……俺、もうなかったことにしませんから」
『……え?』
「早く来てくださいよ、今日は代返しないっすからね。じゃあ」
電話を切って数分。学食に行って、今日の日替わりが一番好きなメニューだと知って、さらに売り切れてしまったことも知って、テンションが下がって学食を出て、校内のコンビニに行って、適当にパンを買って、どこで食べようか迷いながら校内を歩いていた、ただそれだけの時間。
「伊勢ちゃん!」
「あれ、もう来たんすか。まじで早いっすね」
振り返ると、息を切らした高岡さんが立っていた。髪はセットできておらず、足もとはサンダルという気の抜けた姿で、本当にさっきまで寝てたんすね、と言おうとしたところに間髪いれずに詰め寄られた。
「あれOKってこと?」
「え?」
「さっきの電話のやつってさ、OKってことなの?」
「え? いや……違いますけど……?」
「えー…………? なんっだよもー……めっちゃテンション上がって走ってきちゃっただろバカ……」
とたんに高岡さんは脱力し、ふらふらと近くのベンチに歩み寄って座り込んでしまった。「走ってきちゃった」を象徴するように切らしていた息を整えている、その隣に座ってパンの袋を開ける。
「食べます?」
「いらない……」
「つーかOKってなんすか、どういうことですか」
「……だからさ、伊勢ちゃんが『なかったことにしない』っていうから、俺の気持ちを全部受け止めて受け入れて付き合いましょ、っていうOKサイン出してくれたのかと思って」
「え、どんだけ行間読んでるんすか。ポジティブすぎだろ」
「お前このやろう」
なかったことにしない、という言葉は、一度はとぼけて冗談にしようとしたことを反省して出てきた言葉だった。額面どおり「もう冗談としてとらえません」という意味しか持たない。もともと「付き合ってくれ」と言われていたわけでもないのだし、と都合よく考えていたが、そう思っていたのは俺だけだったらしい。当たり前と言えば当たり前だ。
「高岡さん付き合いたいんすか、俺と」
「うん」
「……さらっと言いますね……」
「今さらごまかしてもどうにもなんないじゃん」
「まあそうですけど……」
なんで付き合いたいんですか。付き合ってどうしたいんですか。っていうか本当に俺のこと好きなんすか。なんで好きなんすか。いつからすか。つーか男いけるんすか。男と付き合ったことあるんすか。昔からですか。女の子はどうすか。女も男も好きなんすか。男だけすか。どっちのがいいとかあるんすか。セックスとかどうしてるんですか。つーか男同士って……?
口を半端に開いたまま次の言葉につまる。聞いていいことと悪いことの区別ができず『けど』の続きに困っているうち、高岡さんが別の話題をはじめた。
「なんか伊勢ちゃんちょっと肌焼けてない?」
「え。あー、俺日焼けしやすいんすよ」
「そうなんだ」
「こないだ友達と一緒にサッカーやったら一気に焼けてー、いつも赤くなって終わりなんすけど、今回は痛みひいたあと結構焼けてて」
高岡さんは俺にOKもNOも言わせず、いつも通りの表情をしている。俺もその方が楽だからありがたい。ウィークな話題から目をそらすため、草サッカーの勝敗から袖の分だけ白いままの肌のことまでどうでもいい話と知っていながら饒舌になる。
「そんで見てくださいコレ、肌弱すぎて日焼け跡こんなくっきり出てるんすよひどくないすか」
「うわーエッロ」
そういう俺のずるさを、高岡さんは優しく殺す。袖をめくり白い肌の境目を見せると、高岡さんはごく自然に呟き、そのまま二の腕に触れた。白い肌に熱い指が埋もれる。人差し指が、つつ、と動いて、袖の中にもぐりこんでいく。俺は高岡さんを見ることしかできない。高岡さんは手を離し、そして笑った。
「なかったことにしない、っつーのはこういうことでしょ?」
しまった、なにやってんすか、と言いそびれた。いつも通りに笑えば良かったのに、意識してしまったのは俺のほうだった。
そしてやっぱり高岡さんは、俺に返事を求めない。ずるい人だと思う。
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