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思い出せる限り振り返って、高岡さんという人を考えようとした。しかしどれほどの情報を足し算していっても、やっぱり高岡さんはよく分からない人だったのである程度のところで放棄してしまった。 高岡さんはお酒が好き。あほみたいに飲むけれど顔にはほとんど出ないタイプだと思う。そのくせ急に消えたりして、後で聞くと「トイレで死んでた」と言ったりする。パフェでも酒を飲むのはさすがに信じられない。甘いものと音楽が好きで部屋には楽器とCDが雑に積み上げられている。おすすめの一枚を貸してもらったがホワイトノイズの中で女の人が叫び声をあげてるようなとんでもないCDだった。果たして本当に「音楽」なのか否かも俺には判断できない。恐ろしく表情筋を動かさずに喋る人だが、突然キレるし突然テンションがあがる。掴みどころのない人だから、何を言っても「ああ、高岡さんだ」と思う。でも予想外だった。俺を好きになるような人だとは思わなかった。 「よ」 「あ、高岡さん」 「今から帰るの? バイト?」 「あーはい。でもその前に明日の授業内の発表で使うレジュメコピーしようと思ったんすけど、校内のコピー機むちゃくちゃ混んでて。少数だし近くのコンビニまで行こうかなーと思って」 「あーそうなんだ。俺も腹減ったからコンビニ行こうと思ってた」 「一緒に行きますか」 今にも雨が降り出しそうな曇天の下、正門を出てコンビニを目指す。予想通りコピー機は空いていたので、レジュメのコピーもスムーズに済んだ。隣で待っていた高岡さんは、すぐさま自分のクリアファイルを取り出した。 「貸して」 「え?」 「急に雨降り出してせっかくコピーしたもん濡れたら困るだろ」 「わー、さっすがー!」 「つーかなんでお前持ってないんだよ」 さすが、と言ったとき、高岡さんの目は鈍く光っていた。きっと無遠慮な囃し立てのように感じたのだろう。俺は高岡さんの、こういうところを普通に、ごく普通にかっこいいと思うのだけれど、一度「すき」と言われてしまうと互いの反応に敏感になる。もうむやみに高岡さんのことを称賛してはいけない気さえしてしまう。 コンビニを出ると、曇天はさらに重く湿気を含んで待ち構えていた。雷雨の予感が街を暗くする。 「あっちの方ゴロゴロいってますね……」 「こんなぺらっぺらのもんに入れたとこで、まじで降り始めたらアウトだな」 「そうですよねー。どうしよっかな、一回学校戻って置いてこようかな」 「むしろ学校まで持つか微妙だぞこれ」 高岡さんが手のひらを空へ向けてつぶやいた瞬間、ぱつ、と頭上の看板が弾かれる音が響いた。 「あ、雨」 それから次の行動に悩むたった数秒間で、向かいの歯医者の外壁が雨に濡れてしっとりと色を変えてしまった。この歯医者を曲がって少し行くと、高岡さんのアパートがある。 「あーくっそ結構濡れた!」 「一瞬でしたねゲリラ豪雨ってやつすかね!」 「わっかんね……とりあえず入って、汚いけど」 「いつものことなんで気にしないです」 「テメェタオル貸さねぇぞ」 「はは、すいません」 しかし俺がどれほど悪態をついたって、高岡さんは部屋に入れてくれるしタオルを貸してくれる。レジュメを一晩預かって明日学校で渡すという提案も、高岡さんから切り出してくれたのだ。濡れた靴下と長袖シャツを脱ぎ、髪を拭きながら一息つく俺を、高岡さんはじっと見ている。 「誘っといてこういうこと言うのもなんだけどさ」 「はい?」 「雨に濡れて家にあがる神経はほんとにわかんないんだよね」 「なんでですか」 「風邪引いちゃうよー、シャワー浴びてくればー? って言ったら伊勢ちゃんほんとに風呂入りそうだもんな」 「悪いんすか?」 同じように髪を拭くタオルの隙間から、またあの鋭い目が光る。そして深いため息が漏れた。 「俺が風呂場まで追いかけていって、ぶち犯されたらどーすんの、ってこと」 人を試すために扱われる言葉は変にぬるいので、鈍感な俺にもすぐ分かる。 「俺高岡さんち何回も来てるし、高岡さんだって俺んち何回も泊まってるじゃないですか。でもそんなことなかったじゃないですか」 だからこそ思わず強く言い返した。どーせ何も考えてねぇんだろ、と言われた気がして腹が立ったのだ。小さい脳みそかき回して考えこんでいた数日間を、なかったことにされたように感じた。 言葉に反応するように、高岡さんが厳しいまなざしのまま近付いてくる。殴られると思って身構えた。結果から言うとそれは不要だった。 「いあ……っ!?」 正面から近づいてきた高岡さんは、そのまま俺の肩に顔を寄せ、噛み付いた。首とも肩ともつかない曖昧なその場所に、がぶりと音がしそうなほどきつく容赦なく。シャツを脱ぎ薄手のTシャツ一枚だった俺の、ゆるい首まわりに、吸血鬼のように。そして困惑する俺に言い放つ。 「俺、お前が思ってるより悪い男だよ」 やっぱり分からない人だ。好きと言い出したり触ったり優しくしたり挙句噛んだり。暴力的なやり方で、互いの伺い合う心中を引き合わせてしまったり。 「わ……悪い人でもこんなとこ噛んだりしない!」 「はは、思い知れ」 「もー行きます!」 「もうしないから逃げんなよ」 「バ、バイトなんで!」 「あーそうか。傘使う? このあいだの借りっぱなしだから」 「いーです!」 そして俺は何度も訪れて慣れ親しんだアパートを飛び出した。せっかく拭った髪もまたぐしゃぐしゃになって、引っつかんだ長袖シャツも振り回して、今出会った知らない人の領域から逃げ出していた。知らない人だった。俺は今まで高岡さんのことをまったく知らなかった。だから逃げた。でも間違えた。言い訳を間違えた。バイトを理由にしてしまったら、バイトのない日には帰れなくなってしまう。

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