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風邪治った?と。おそろしいほどに簡潔な言葉によって、確認されたのは心のなかだった。考えなしの答えは後から回収できるはずもない。唇が離れたあと混乱で口を聞けなくなった俺を、高岡さんは無表情で見下ろし一瞬だけ苦しそうな顔をして、何も言わずに学校へ引き返してしまった。その日の授業には現れなかった。
あれから一度も、顔を合わせていない。授業でも見かけないし、喫煙所や校舎内で出くわすこともない。伊勢ちゃん、と子どもを甘やかすような声で呼ばれなければ、派手な服が視界の隅をかすめることすらなかった。
「……伊勢ぇ、そんくらいにしとけよ、潰れても誰も面倒みねぇぞ」
「別に面倒見てもらわなくていーから」
高岡さんと同じ、軽音部の先輩に誘われ居酒屋に足を運んでも再会は果たされなかった。テーブルについたメンツに見知った精悍な顔を見つけられなかったことに、思いがけずガッカリしてしまった自分が恥ずかしい。まるで高岡さんに会いたがっているかのような無意識の感覚に気付かされ、焦ってジョッキを傾ければ友人から面倒そうな注意が入る。反対隣からは、軽音部の先輩から面白がられる。
「お、伊勢ってけっこう飲める感じ?」
「えー……いや……」
「いや、伊勢ぜんぜんっすよ、そのくせアホみたいな飲み方していっつも誰かしらに世話されてんすよ!」
「ああ。そういえば高岡にかつがれてんのとこ見たことある」
友人は俺の悪評を吹聴するだけして別の友人との会話に滑り込んでしまった。そして俺は、直接のかかわりなどほとんどない先輩と、唯一の接点である高岡さんの名前をあいだに挟んで話す。居心地が悪く、テーブルの上を眺めながら冷えたジョッキを口に運ぶ回数も増える。
「今日高岡はー?」
「さあ……俺に聞かれても」
「いやー、だって俺部活んとき以外あいつと話さねぇし。つーかあいつ部活もあんま来ねぇし」
「俺も最近会ってないし、連絡も……とれないんでわかんないす」
本当は、とれないのでなくとっていないのだ。不要な口を割らない高岡さんと接触し、知るべきでないことまで知ってしまうのが怖い。つまりは俺が意気地なしだから連絡をとることができないのだ。意気地なしだから断ることで関係を壊すことも、受け入れることで現状に変化をもたらすこともできない。いつでも決定権は、受動的な俺のもとにある。俺はいつもあいまいなそぶりで責任を放棄して、決定権が移ったころに後悔して慌てる。
「あ。今思い出した」
「なんですか」
「そういや、高岡『しばらく実家帰る』っつってた気ぃするわ」
「あ、そうなんすか……」
「聞いてなかった?」
「知らなかったです」
「高岡言ってなかったのか。めずらしいな、仲良いのに」
「別に……仲もよくないです」
もし本当に仲が良かったら、こちらが不在に踊らされる前に連絡の一本くらい入る。ただの寝坊をした日にだって『授業間に合わないから行けないわ』と律儀に連絡する人だ。最近では『今日行けないかも。俺に会えないと寂しいでしょ? ごめんね』といらない気遣いまでする人だ。中指立てたスタンプで返したら『かわいいね』とおかしな文脈で返す人だ。
「……っ」
「伊勢?」
「だ、大体なんでこんな時期に帰るんすかね、被ってる授業でもレポート課題発表されてるし、結構大事な時期だと思うんすけど」
「あー、まあしょうがないんじゃね」
「高岡さんほんとサボり癖ひどいっすよね、頭悪くないのに出席日数足りてなさすぎて全然単位とれてないですよねあの人。ほんと不真面目っつーかもったいないっつーかナメてるっつーか」
「まああいつらしいけどな」
「そーすかあ? 俺あんま仲良くないんであの人らしいとかよく分かんないですけど、こんな時期に急に思いついたみたいに実家帰るのとかってどうなんですかね、一浪してんだしやる気ねぇなら辞めりゃいいのに」
「おいおい、しょうがねーだろそりゃ」
「しょうがなくなくないすか」
「まあ色々な、大変なんじゃねぇの。人んちのこと踏み込めないけど」
「人んちのこと?」
「あいつ、親亡くしたばっかなんだろ?」
「は?」
このときはじめて先輩の顔を見た。俺が驚きに浮かされるまま、はじめて顔を上げたからだ。先輩はやべぇ、と言うような引きつった顔で、口を滑らせたことを後悔していた。
俺はやっぱり高岡さんのことを知らない。もし、本当に仲が良かったら……俺が無意味な想像で別の結末を求めているとき、高岡さんがどこで何をしているのか、俺は知らない。
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