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言葉を受け入れるまでのあいだに雑踏が遠くなり近くなる。グラスを持つ手が密かに震えるほど突き動かされている、この感情の正体が分からない。
「……それ本当ですか。いつですか」
「いや、俺もよくは知らねぇんだよ。前、たまたまあいつが電話してるとこに通りがかってさ。四十九日がーとか、父さんの遺産がーとか言ってたからそうなのかなって」
「俺、そんなん高岡さんの口から聞いたこと……」
「俺もだよ。だからってこっちから切り出せるような話じゃねぇしな。そもそもさあ」
皮膚の隙間からぬるい熱が入り込んできて頭も身体も壊されてるみたいな感じ。いやだなぐらぐらする。酔うのは嫌いじゃない、しかしアルコールに感情が絡むのは怖い。気付きたくないことにも気付いてしまいそうで目をつむる。
「あいつめったに自分のこと話さないからなぁ」
高岡さんは、弱った俺が好きだと言った。助けの手を伸ばしたいと言った。その裏で、助けを求めていたのは誰だ。
「伊勢ーぇ!」
ヘッドライトが闇に刺さる、午前0時が近づいても駅前の喧騒は止まない。ついでに名前を呼ぶ友人の声がとろけかけた脳みそにもぐずりと刺さって抜けなくなった。しゃがみこんでいるから目を瞑るとそのまま転がってしまいそうだけれど、目を開けていると声も音も光もすべての刺激に狂わされる。
「誰も助けないっつったろばーか!」
「うぅー……」
「俺ら次の店行ってるから早く来いよ!」
そしていつものパターンだ。しかしいつもと違うのは、動かない俺の前で立ち止まり、気にかけてくれる人がいないということ。当然だ、はじめに申告されていたわけだし、無視して飲んだ俺が悪い。
俺は多分、そうは言っても誰かが助けてくれることを望んでいたのだろう。しかし助け舟は出されない。これも当然だ、自分のプライドを守るためだけに生意気な言葉と態度を振りかざす俺を、誰が助けてくれるわけもない。酔いは少し落ち着いてきたけれど、一度しゃがみこんでしまうと立ち上がるのが億劫になる。今日は手を伸ばしてくれるヒーロー様は現れないだろうし、気がすむまでしゃがみこんだ姿勢のまま持て余す熱を冷やそうと決めた。
そんな俺の目の前で、赤いスニーカーが立ち止まった。
「……なにやってんの」
顔を上げ高岡さんの呆れた顔を見たら、不覚にも泣きそうになった。アルコールだ、アルコールのせいだ、アルコールって怖い。怖いですね。
「飲んだの? 飲まされたの? まあどっちでもいいけど……立てる?」
「た、たかおかさん……っ、こそ」
「ん?」
「どこ行ってたんですか何日も学校さぼって」
「ああ。今日まで実家帰ってて、今戻ってきたとこ。道の向こうからやたらうるせー大学生の集団いるなーと思ってたら、見たことある奴ばっかだったからもしかしたらと思ってこっち回ってきたらやっぱり伊勢ちゃんがいた」
たったの数日ぶりと言うのに、待ち侘びた再会のような妙に浮世離れした感覚だった。生まれてはじめての不思議な感覚を噛みしめながら高岡さんの顔をじっと見上げていたら、居心地が悪くなったのか、高岡さんは目線を反らして頭をかきはじめた。そして、言い訳めいた言葉をこぼす。
「お前のことほったらかして帰ることだってできるけどさ。でも俺はそれで伊勢ちゃんになんかあったら困る」
「……一晩野宿したくらいじゃ死なないと思いますよ」
「でも俺みたいに、悪いこと考えてる男に持っていかれたら本当に困る」
もう消えたはずの噛み跡が、ギシリと音を立てて痛んだ気がした。確かに高岡さんは悪い男だ。
「……それは困りますね」
会わない時間に考えたことはたくさんある。高岡さんは本当に俺が好きなのか、俺はどうなのか。そもそもそんなことを考えたのはあのキスが原因だ。当然驚きはしたものの、改めて振り返れば人間関係をリセットしたくなるほどの生理的な嫌悪があっただろうか。あんなことされるなんてサイテーだもう顔も見たくない、と、思っただろうか。まさか。するといよいよまずい。高岡さんを拒絶する理由が見つからなくなってしまう。はりぼてのプライドで隠し通したつもりで、責任逃れに甘んじる俺が本当にしたかったことは何か。
「高岡さん」
しゃがみこんだ姿勢のまま、両手を広げる。
「立てないから、助けてください」
高岡さんは驚いた顔のあと、仕方ないと言うようにへにゃりと笑って俺の手を取った。俺は高岡さんに引っ張られながら、自分の力でしっかりと立ち上がり、自宅を目指し歩き始める。
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