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身体は熱いが意識は十分冴えているので、自宅までの距離は短く感じた。社会性からの解放されるべく子どものようにベッドに飛び込み、すぐ振り返って高岡さんの姿を確認する。
「もういきますか?」
「……なに?」
「え、いや。すぐ帰んのかなと思って」
「そうやって誘ってくれるんなら帰んないよ」
「誘ってないんですけど! さ、誘ってるんじゃなくて、そうじゃなくて……」
「うん?」
「……ちゃんと話がしたいです」
うつぶせになり、枕に顔をはんぶん埋めてつぶやく。高岡さんがいつでも眠そうな目の奥にしまいこんだ、知らない箇所に触れたい。好奇心や悪意を秘めた不穏な何かではない、まっすぐの感情で高岡さんと話がしてみたい――今はじめて知ったけど、相手を求める言葉を目を見て届けるのはどうやらものすごく難しいらしい。高岡さんは俺に何度もこうしてくれたけれど。
つっぷしたままちらりと伺うと、目が合った高岡さんはうっすらと笑みを浮かべてカーペットに腰を下ろした。ベッドに背を預け、俺の顔を見ない姿勢だったのではぐらかされたのだと思った。
「伊勢ちゃんのそういうとこかわいーよね」
「なっ……!」
「聞いて? 伊勢ちゃんにしか言えない話するから聞いて」
力は抜けているのに、不自然にこわばった声色。目を見ていたら話せない内容なのだと察するには十分だった。
「俺、父さん亡くなったんだ」
言霊とはよく言ったもので、経験者から零れる言葉には魂が宿る。人づてに聞く話と同じ内容でもまるで違った聴こえ方に、思わず身体を起こした。ベッドのきしみに気付いた高岡さんは少し言葉を止め、すぐに改めて話しはじめた。
「事故で一瞬だったらしい。俺、その時バイト中だったから連絡にも気づかなくて、やっと終わってから車飛ばして、そっからは葬儀屋とか親戚とか連絡して、金の工面して……なんかバタバタしすぎてあんま覚えてねぇんだけど」
幼い頃、一度だけ葬式を経験したことがある。夏の午後、離れて暮らす祖父が亡くなったのだ。午前中までは普段通りだった生活が、一本の電話のあと一変してただただ圧倒されるしかなかった。当時は『親戚の子供』という身分に甘んじて、部屋の隅でおもちゃを握りしめていられたが、今の自分が指揮をとる側に立てるだろうか。
「一個覚えてるのが、告別式のあと親戚と仕出し弁当食ってるとき。俺はまだ頭追いつかないままだったんだけど、となりで親戚がメシ食いながら近所の子どもの受験の話しててさ。なんてことない話なんだけど、だからこそすごい驚いた。俺は何してても支配されるくらい父さんのことでいっぱいいっぱいだけど、人からしたら葬式なんてよくある出来事の一つでしかないんだよな、近所の子どものことのほうが気になるんだなって。納得もしたんだよ」
それは違うと言いたかったが言葉が追いつかない。行き場のない感情を飲み下すため胸に抱えた枕を抱きしめ直す。
「母さんも妹も参っちゃって、俺こんなんでも長男だからさ、親不幸な奴だけど、こういうときくらいしっかりしないとと思って。家のこともやりながらバイトもして、ってしてたら結局留年しちゃうし、授業出たくても事務手続きで帰らなきゃいけないことも多くて、ラチあかねぇからもう辞めようと思って」
「え、辞めるって、学校ですか」
「うん」
「そんなん嫌ですよ」
結局飲み込み切れなかった思いは、条件反射とともに飛び出した。
「いや……俺が言えることじゃないんですけど! 俺そういう経験したことないから気持ち理解できるなんて言えないし、代わりに何ができるってわけでもないし、ほんとなんもできないんですけど……でも、高岡さんがそんな状況で学校辞めて、ひとりで全部背負うのって……なんつーか……なんで高岡さんそうやって隠すんすか、助けさせてくれないんですか……いや違う、責めたいんじゃなくて……」
言葉が続かない。浅いボキャブラリーを掘り返しても嫌だ、しか出てこない。沸騰した頭が落ち着いた高岡さんの代わりに、いやだいやだを連呼する。
「さっきの話、続きがあってさ」
「……え?」
「もう辞めようと思って……たんだよ、ほんとに、最近まで」
「え、あ、過去形?」
「そう。母親が卒業だけはしてくれって言うんだよ。まあ分かんなくはないんだけどさ。あと二年だし、奨学金でどうにかならないこともないし。ここまで来たら入学金だなんだの元とりてぇじゃん」
「元ってアンタ……そんな冷めた言い方。ギャンブルじゃないんですから」
「俺もね、やっぱ辞めたくないなーって思ってんだ。伊勢ちゃんがいるから」
「そ……」
「俺、別になにかしてほしいわけじゃないんだよ。他人事面の親戚にお父さん死んじゃって大変だねかわいそうだねなんて言われても腹立つし、金の援助だっていらないし、そういうひねくれてる奴だよ俺は」
「いや俺そんなこと……っ」
「でも、疲れたときに疲れたって言っても許してほしい」
言葉が末尾に近づくにつれ、声がやわく震え始めた。ついに高岡さんが俯いたとき、俺はほとんど反射的にベッドを飛び降り、高岡さんの肩を抱きしめていた。
「……っ」
「……高岡さん」
「……」
「お疲れ様です」
「……つかれた」
「そりゃ疲れるでしょ、許すも許さないもないですよ。そんだけ一人で大荷物持ってりゃ誰でも疲れるんだよ、当たり前のことでしょ」
「んー……今日朝早かったしつかれたねむい電車めっちゃ混んでた~……」
「そうなんすか? 高岡さんちまでって遠いんすか?」
「んー……特急電車で2時間くらい。そっからローカル線乗り換えて山のぼってく。ローカル線は高校生の集団ばっかだし、特急はサラリーマンばっかだし、ほんと皆うるせーしサラリーマンは酒くせーし疲れた」
「はは、そりゃお疲れ様でした」
「まじで疲れたー! 一歩も動きたくない」
「泊まってっていいすよ」
高岡さんが顔をあげる。ほんのり赤くなっている目に見つめられるといたたまれなくて目をそらす。
「……伊勢ちゃん」
「なんすか」
「好き」
「……ありがとうございます」
「伊勢ちゃん、俺がいなくなったら嫌?」
「なんの話ですか」
「さっきの続き。そう言ってたじゃん」
「気のせいじゃないですか」
目をそらしてもそらしても高岡さんは正面に回り込んで俺をじっと見つめてくる。そうしているうちに距離が近くなって、そうしているうちにいつの間にか腰を抱かれていた。しまった、と思った。
「キスしてもいい?」
「だっ……」
「……うん?」
「だ、だめ、って言ったら、やめるんですか」
逃げ切れない視線に焼かれる。自室の電気はこんなに明るかっただろうか。顔が熱すぎて、耳の中で脈の音がする。音もなく影が近づいてきて、答えの前に唇が重ねられた。離れていく瞬間の高岡さんは、はじめてみるほど爽快な表情を浮かべていた。
「やめない」
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