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第四話 おしゃべりカラス

 マオは圧倒的に俺を支配した。  啼き過ぎて嗄れた声で喘ぐ俺の喉仏を甘く噛んで、どうしたい? と聞くマオの背中に爪を立てながら 「マオ、に喰われた、い」  と答えて意識を手放した。  目が覚めた時、マオは見慣れた人間の姿に戻っていて、ベッドの側の椅子に腰をかけて本を読んでいた。  俺の視線に気付くと優しく微笑んで、すぐに傍に来て髪を撫でてくれた。 「ごちそうさま、紫苑(しおん)」 「ぅ、え、お、お粗末様でした?」  とっさの返しにマオが声をあげて笑った。 「とんでもない。とても美味しかったよ?」  甘い声に甘いキス。  頬を包む温かく大きな掌に胸がときめく。 「紫苑、その目は反則だ」 「え? っん……あぁ、マオ……」 「んー? マオでも良いが…本当の名は柚葉(ゆずは)だ。呼んでみて?」 「ゆずは?」 「そうだ」  ゆずは、と嗄れた声で繰り返す俺に 「良いね。紫苑に呼ばれる名は特別に聞こえる……」  と微笑んで、優しいキスを与えてその隙に胸の突起を親指で軽く押す手首を慌てて掴んだ。 「待って……マオ……ゆ、柚葉、まだ声に妖力込めてる?」 「いや? もう込めていないよ」  じゃあ、なんでこんな、ゾクゾクドキドキが止まらないんだ!? 「も、ムリだよ……できないっ! なのに……」 「疼く?」  恥ずかしくて手に当たったシーツだか布団だかを顎まで引っ張り上げてちらりと柚葉を見ると、優しい目の中に嗜虐の光をチラつかせて俺にキスを仕掛けてくる。 「うぅーっ! マ、柚葉! ホントもうムリ!」 「紫苑が色々と自覚したから、じゃないかな。あとは多分、鬼になったから」 「どして?」 「人間より、欲望に忠実だから、かな」  くすりと楽し気に笑う柚葉は性的な手付きで触るのをやめて、なだめるように頭を撫でてくれる。愛おしそうに角に指を這わせて、いきなり伸びた髪を巻いて遊んでいる。 「その身体に慣れるまで、苦しいと思うけど……」 「傍にいてくれる?」 「もちろん。全てはその為にした事だ」 「慣れたら、柚葉みたいに人間の姿にもなれる?」 「ああ」 「じゃあ……」  俺の生えたばかりの角を愛でる柚葉の手首を掴んだ。 「人間の姿になれたらデートしようね」 「ったく……ツンツンの紫苑はどこへ行ったんだ? 可愛い事ばかり言う。抱いてしまうよ?」  ツンツンの紫苑……俺はそれを後悔している。  もっと早くマオ……じゃなかった、柚葉に甘えれば良かった。 「ツンツンの方が良い?」  今の自分は甘え過ぎている。  柚葉が愛してると言ってくれた事で浮かれている。  嵐のような暴行の後、三途の川を残り一センチくらいまで渡ったところで柚葉に抱き上げてもらって変貌を遂げた今、今までの後悔と併せても甘え過ぎている自覚は、ある。 「まさか。俺はいつだって紫苑を甘やかしたいんだ。ツンツンの紫苑も可愛かったけど、こうして素直に甘えてくれるのは嬉しいよ?」  するりとベッドに潜り込んできた柚葉に促されて、腕枕をしてもらう。  人間の姿に戻っても、細身ながら逞しい柚葉の二の腕に頭を乗せて、シャツ越しにも解る筋肉質の胸板に守られるのは温かくて心地良かった。 「紫苑、どうして俺にマオって名付けた? 髪は黒いし目は緑だし、どこにも“マ”と“オ”の要素が見当たらない……」 「それは……名前教えてくれなかったし、魔物だって言うから……物の様……で」 「マオ?」 「そう」  安直なネーミングだと思うけど、初めて会った時は穏やかで紳士的な態度だったし、その後も無理強いすることも俺を乱暴に扱う事もなくて、そんなマオからはどこか気品すら感じられた。 「ふふっ、少なくとも王だとは思ってもらえたのか……ならマオも悪くはないかな……ん? あぁ、なかなかゆっくりさせてもらえないもんだな……」  なんの事だろう? と思う間もなく窓をコツコツと叩く音がする。  ココは五階の柚葉の部屋のはず。  カラスが一匹。ベランダからこっちを覗いて、コツコツ窓を叩く。 「今開ける。待て」  溜め息混じりに身体を起こした柚葉の眉間には縦皺。決してこのカラスを快く思ってはいないようだ。 「入れ」  翼をはためかせてベッドに降り立ったカラスは丸い瞳でじっと俺を見る。値踏みされている……そんな感覚に小さく唾を飲んだ。 「……コレの為に同属殺しをなされたか……」  呆れたような諦めたような不思議な声音のカラスに思わず首をすくめた。  柚葉は不機嫌そうに掌でカラスを払ってベッドから降ろすと、ゆっくりと俺を抱き起こして、乱れた髪を整えてくれた。 「黙れ。コレと言うな、無礼者」 「しかし、(おさ)よ」 「……なんだ。先に紫苑を死の淵まで追いやったのはあいつだぞ? 西洋魔術まで取り込んだめちゃくちゃな結界張り巡らせて、興奮して俺の言葉も聞いちゃいない……世話になるなら、館の主人の言う事を聞くってのは最低限のマナーってヤツだろ? しかも紫苑をいたぶって、犯そうとまでしやがって……殺されても文句は言えんだろ? ん? 違うか?」  背後から支えるように抱きしめてくれる柚葉の声が耳元を掠る。 「あいつらが大挙をなして押し寄せるやも知れんのだぞ?」 「謀反? 反乱? ふん、どれだけ集まろうと所詮は烏合の衆……皆殺しにしてやる……ああ! 思い出したらまた腹が立ってきた! あの下級妖魔め。あんなに簡単に殺すんじゃなかった……人の形をとる事がようやくできるようになったぺーぺーのくせに紫苑を手にかけるなど……ああ、くそぅ、迷わず成仏しなかった事を後悔する程痛めつけて、二度と塊にすらなれぬ程ぐっちゃぐちゃに……」  物騒な事を言い出した柚葉に、カラスがカァと一声鳴いて 「そんなに時間をかけておったら、その腕の中の大事な大事な紫苑は黄泉へ渡っておったろう? 紫苑よ、お主、厄介なのに惚れられたな」  と後半は俺への同情を口にした。  黙って二人の会話を聞いていたけど……。 「長って柚葉の事? で、柚葉は俺のせいで犯罪者になっちゃったの?」  同属殺しって、言葉の響きからしてヤバいだろ。  胸の前で交差された柚葉の腕を掴むと、安心させるように首筋に唇が押し当てられた。 「紫苑が不安に思う事は何もないよ。この場合の同属っていうのは同じ魔に属するモノの事。そいつらの不逞に仕置きするのは鬼神として当然の事だ」  ちゅ、ちゅ、と首筋に吸い付く柚葉からは緊迫したものは感じられない。むしろリラックス。何か悪い事しましたか? みたいなオーラに俺まで包まれて、柚葉の腕を掴んだ手から力を抜いた。 「何も聞いておらんのか? はぁ……やれやれ……その方は一応鬼神の長でな。人間に惚れた。離れたくないから一族の事は任せた! って副頭領に責任押し付けてずっと人間界に留まっておったのよ」  一応ってトコにアクセントを強く置いたカラスに柚葉が舌打ちをしたのがはっきりと聞こえた。 「その代わりにこちらで妖魔にエサ場を与えて、余計な被害が出んように俺なりに管理してるだろ?」 「……失敗したくせに……」  う、と言葉につまった柚葉がまた舌打ちをする。  失敗っていうのは、どうやら俺が殺されかけた事らしい。 「あの、カラスさん。俺が勝手に柚葉の部屋から出たのが悪いんだ。柚葉のせいじゃないよ」 「……どうせ口説くのに失敗したのだろう? 尊大なくせにヘンな所で臆病というか、ヘタレというか、要領が悪いというか。また週末には紫苑は来てくれるだろうか? なんてモジモジする長を何度見た事か」 「だーまーれー!」  投げつけられた枕を交わしたカラスが 「紫苑……紫苑、いつか俺を好きだと言ってくれるだろうか? それともやはり魔物とは相容れない、と離れて行ってしまうだろうか? 紫苑が欲しい、紫苑が恋しい、紫苑が愛しい……なんで今の日本じゃこんなに鬼のイメージが悪いんだ! 鬼です、なんて言ったら紫苑が怯えてしまうじゃないかっ……」  と今まで柚葉が口にしたであろう言葉を柚葉の声で発しながら部屋中を飛び回った。  当の柚葉本人は、がっくりと項垂れ、俺の肩に頭を預けている。  カラスを黙らせるのを諦めたらしい。 「ま、そのくらい……(おぞ)ましいくらいに執着されて今に至るワケだ。ご愁傷様、紫苑。そして申し遅れたが私は飛影(ひかげ)。長の使い魔なのだ。以後、お見知り置きを」  椅子の背もたれに止まって、鳥らしく首をくりんと回しながら飛影と名乗ったカラスが器用に羽繕いを始めた。 「神とは人が思っている程寛大ではない。鬼神ともなれば更に。その鬼神が愛する者を傷付けられて寛容でいられるはずもなし……諦められよ、紫苑」  笑う代わりにカァと鳴いて、伸びをするように翼を広げた飛影が音もなく飛び立ち、膝に降りた。 「コレを。私に用がある時は使うと良い。その羽根に唇をつけて私の名を呼べば、間を置かずにやって来よう」 「来んでいい……」 「おや? 寝たワケではなかったか? 長。そうは言ってもな? 長不在の時に妖魔が紫苑を襲ったらどうする? いちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃしとらんで、早う鬼神の力の使い方も教えてやるべきだろうよ」 「紫苑は目覚めたばかりだ。一人になどするものか。俺が守る」 「……失敗したくせに……」 「ぐぅ……もうお前、帰れ。何しに来たのかさっぱり解らんが帰れ! お前のおかげで威厳も何もあったもんじゃない!」  やけくその柚葉の声がやたら可愛く聞こえて、思わず……乗り出した柚葉の首筋に身体をひねって頬擦りをした。 「……幻滅したか? 紫苑」 「しない」 「せっかく気取っていたのに、このバカラスのせいで台無しだ」 「そんな事ない。飛影さん。また俺の知らない柚葉の話を聞かせてね」 「ならば! まだまだあるぞっげっ痛い! 苦しい! 長! 主人(あるじ)!」  得意気に俺に話を聞かそうと柚葉から意識が逸れた瞬間に鷲掴みにされた飛影は柚葉の手の中でジタバタともがく。  止める間もなく、柚葉はボールを投げるように飛影を窓からぽーんと投げ出して、ムッとしたように俺を見下ろした。 「アレに“さん”などもったいない。紫苑はもう俺と同列なのだから、ドンと構えておけば良い」  (ば)カァーーーーァ(っぷる)!  って聞こえた気がしたけど、すぐに柚葉が窓を閉めて、鍵までかけてしまったから、飛影の真意かは確かめようがなかった。  柚葉と同列って……。  それって、サラッと言うから流しかけたけど、ヤバいんじゃないの!?

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