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第五話 悪夢の後は花香るお茶を

 今日はもう良い、とベッドに押し倒されて、再び俺は柚葉(ゆずは)の腕枕で甘えさせてもらっている。 「もう良いって……」 「俺が守ると言ったろ? 信用できないかも知れないが、もうあんな思いはさせない。だから今日は眠れ」 「でも、柚葉と同列なんて……俺なんもできないのに。力? あるなら使い方を覚えないと……」  柚葉に迷惑をかけてしまう。 ただでさえ一族の長が超個人的な理由で不在なのもどうかと思うのに、その原因の俺がこんなじゃ、きっと他の仲間は納得しない。 「紫苑(しおん)、確かにお前は力を得た。だが……“今日は良いんだ。とにかく眠れ”……」 「あ……ズルいよ……柚……」  妖力を強く込めた言葉は鼓膜から全身に染み込み、身体は俺の意志を無視して目蓋を閉じていく。だらりと垂れそうになる腕を無理矢理動かして、どうにか柚葉の服を掴んだ。 「ひとり……しな、で」 「しない。傍にいる。だから眠れ」  ちゅ、と頬に柚葉の唇が落ちる音を最後に意識は真っ暗な闇に沈んでいった。  ……ホントに可愛くない子ね……  ……引っ込み思案っていうか、根暗で、一人で積み木や絵を描いてばかり。こんなんじゃお友達もできないわ。私がいくらムリしてママ友の輪に加わろうとしても、あんたのせいで台無しよ……  ……どうして言う事が聞けないの? どうしてお友達と遊べないの!? 子供らしく笑ってれば良いのに。ママ友に嫌味言われる私の身にもなってよね……  ……貴方は良いわよ! 仕事仕事仕事って! ご立派だわ! でもね、私も働きたいの! こんな無愛想で可愛くない子供なんて欲しくなかったわ……  ……聞いてるの!? 父子(おやこ)揃って私を無視するのね? 馬鹿にしてるの?……  ……彼は私を馬鹿にしない! 無視しない! 貴方とは違うわ! 私ばかりを責めないでよ! 愛せないのよ! 可愛くないの! 痛いっ! やめて! 訴えるわよ!……  ……新しいお母さんだよ。ほら、お母さんって呼んでごらん……  ……やめて! 触らないで! 汚い手で私の赤ちゃんに触らないで!……  ……あの子、私達の事嫌いなんだわ。優希に怪我させようとしたのよ! 本当よ! 耐えられないわ!……  ……どうしてだ、紫苑。父さんをこれ以上困らせないでくれよ……  ……ん? 迷子? どうしたの?……  ……へぇ、上手だね! え? うん、良いよ…… 「起きろ、紫苑」 「っあ……違うよ! 優希に怪我なんて……違う。ほっぺた触りたかっただけ……可愛くてちっちゃくて……触りたかっただけ……」 「解ってる。嫌な夢を見たんだよ。紫苑はそんな事しない。俺は知ってる」  知ってる、解ってると繰り返して頭を撫でてくれる人にしがみついた。  誰も信じてくれなかったのに。言い訳するなって叩かれたのに、この人は信じてくれる? 「……あの……」 「うん?」 「ホントだよ……優希、泣いてたから、撫でてあげたら泣き止むと思って……」 「うん、知ってる。紫苑は悪くない。一瞬の己の都合でしかモノを見れない大人が悪いんだ。さぁちゃんと息をして? 俺を見て?」  ひっくひっくとしゃくりあげる俺の背中に移った温かい掌が宥めるように軽く背を叩いてくれて、涙でぼやける視線を上げた。 「おはよう、紫苑。もうそんな過去に縛られなくて良い。俺は全てを知っている」 「柚葉……信じてくれる、の?」  ふふ、と優しく笑う柚葉が鬼神だなんて信じられない。 「信じるも何も……俺は知っている、と言ったんだよ、紫苑? 喉が渇いただろ? お茶にしよう」  ベッドを軋ませて身体を起こした柚葉は思い立ったように再び身体を倒して俺に覆い被さると音を立てて涙を吸い取った。 「何が飲みたい? なんでもあるぞ? コーヒーならブルーマウンテン、キリマンジャロ、モカ……紅茶……はセイロン、ダージリン、アールグレイにレディグレイ……ハーブティーならレモンジンジャー、ミント、ローズヒップ、カモミールもあるな」  キスの合間に聞かされる種類の多さに吹き出すと柚葉も笑って、オススメはレディグレイだと呟く。 「それにする」  初めて聞いたレディグレイ。  柚葉がオススメしてくれるなら飲んでみたい。 「特別美味いのを淹れてやろう」 「どこ行くの?」  俺を一人置いて部屋を出ようとする柚葉を慌てて追いかけようと身体を起こす。  置いて行かないで、なんてウザい? 「……動ける? ならおいで? 屋敷の中を案内しよう」 「階下(した)にも行く?」  四階は怖い。  勝手に勘違いして、嫉妬して逃げ出した俺が悪いのは解ってるんだけど……。  柚葉は下級妖魔って鼻で笑うけど、今の俺じゃ、うっかりばったり出会ったりなんかしたらまたボコられて殺されてしまう。 「階下? 行かない。キッチンもシャワーも全てこの階で間に合うように造ってある」 「そうなんだ……」 「そう。それに階下からこの階には上がってこれないように結界が張ってある。それに今は俺達二人しかいない。だから紫苑、安心して?」  背中を支えてくれる柚葉の腕に勇気をもらって、そっと部屋から足を踏み出す。  あの時は目に入っていなかった柚葉の空間。 廊下も、初めて見るキッチンもバスルームも、洋館で洋風なのにどこか和を感じさせる柚葉の世界。  出窓の端に置かれた盆栽とか、衣装部屋にほのかに香るお香の匂いだとか。 「柚葉って不思議」 「そうか? それは褒められているのか?」 「褒めてるんだよ、もちろん」 「なら、良い」  口の端をわずかに上げた柚葉の胸に頬を寄せて、好きな雰囲気だと告げると得意そうに目を細めた柚葉が 「知ってる」  と答えて、ティーポットに青やピンクの花弁の混じった茶葉を入れた。 「紫苑の事ならなんでも知ってる。お前を愛しているから、な。飛影(ひかげ)も言っていただろう? (おぞ)ましい、と。我ながら悍ましいと思う。鬼のくせに人に恋焦がれて、挙句守れもせずに……人として生かしてやる事も死なせてやる事もできず……無理矢理に同族にしてしまった……すまない、許してくれ紫苑」 「俺だけ! 俺だけ愛してくれるんなら良いよ! 謝んないでよ! そんな表情(カオ)しないでよ! 責めてる!? 俺、いるだけで柚葉の事責めてる? そんなのイヤだ、望んでない……俺だって柚葉の事……」  好きなのに。愛してるのに。  そんな表情しないで。  俺を見て苦しそうな表情しないで。  父さんや母さんみたいな表情しないで。 「紫苑……」 「あ……ご、ごめん……」 「二度と謝らないからよく聞いて。俺は紫苑を愛している。紫苑だけだ。だから手離すつもりもないし、俺から離れるなんて許さない。俺からお前を奪おうとするモノが現れたら、人間だろうと妖魔だろうと俺は迷わずソレを消す。それで良いか? ダメだと言われてもムリだけどな」  鬼の愛は激しい、と自嘲するようにうっそりと柚葉が笑う。 「もう逃げられない、逃がさない。それに紫苑は耐えられるか? 耐えられなければ壊れるだけだ……」  シュッシュッと湯気を上げるケトルを火から外して、わざと俺に背を向けてティーポットにたっぷりと湯を注ぐ柚葉を驚かせないようにそうっと抱きしめた。 「俺も鬼だよ? 柚葉が好きなのに壊れると思う? そんな簡単に壊れると思う?」 「ふふ、そうか。なら遠慮はしない」 「遠慮なんてしなくて良いけどさ、欲望に忠実になった俺としては、まずはレディグレイっていうのを飲みたい」  喉が渇いた。  さっきからふんわりと花のような良い香がしている。 「紅茶を飲んだ後は、力の使い方を教えて」  そう言うと柚葉は嬉しそうに微笑んで、高そうな揃いのカップを手渡してきた。 「紫苑と使いたくて。初めて使うんだ」  照れ臭そうな柚葉がそれをごまかすように肩をすくめた。 「一緒にお茶なんか飲んだ事なかったもんね。俺ツンツンしてたから」 「今までできなかった事はこれからすれば良い。だろ?」  そう言って笑ってお茶の準備をする柚葉は俺を破壊する鬼神には見えない。  俺を溺愛する鬼の膝に乗せられて飲んだ生まれて初めてのレディグレイは華やかでさっぱりとしていて、俺のお気に入りになった。 「ね? こういうのどうやって手に入れるの?」  まさか泥棒? と首を傾げると柚葉はニヤリと悪い顔をした。 「それは、ほら……年中ここを訪れる怖いもの知らずがいるだろう?」 「強盗!?」 「まあ、そうだな。だが純粋に肝試しに来た奴らからは命も金も獲らないぞ? そのうち紫苑も会うと思うが、たまに来るんだ、鬼の俺でもびっくりするようなロクでもないのが。そういうのからは金ももらう。もしエサに飢えた妖魔がいれば肉はそいつが喰らうから……」 「完全犯罪?」 「そうなるな」  犯罪の告白。殺人の告白。  なのに少しも怖いとも思わず、どんなロクでなしなんだろうと考えながら美味い紅茶を楽しんだ。

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