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第六話 秘密の庭

 柚葉(ゆずは)の教え方が上手いのか、そもそも柚葉から力を分け与えられたからか、力の使い方や制御の仕方はわりと簡単に飲み込めたと思う。  結界の解き方はもつれた紐を解くような感じ。もしくは緻密に編み込まれた細いレースのカーテンやテーブルクロスを解いていくような感じだ。集中力は要るけど、慣れと回数をこなせば、俺でもなんとかなりそう。  だが、最近の妖魔の間では西洋の術なんかを混ぜて、より破りにくい結界を張るのが流行りらしい。  妖魔の世界にも流行り廃りがあるんだね、と言うと柚葉は眉を寄せて 「めんどくさい。というか、日本(ひのもと)に住む(あやかし)のくせに西洋魔術に傾倒するなど情けない……」  と低く唸った。 「そのせいで紫苑(しおん)を恐ろしい目に遭わせてしまった……西洋魔術に明るくない己も情けない……未だに思い出すと忸怩たる思いが込み上げてくる……」  ギリ、と音が聞こえる程強く奥歯を噛み締める柚葉の頬にキスをして大丈夫、と返す。 「あれがなければ……ずっと柚葉への想いをごまかそうとしたと思うし、こうして一緒にはなれなかったと思うから……結果オーライで文句はないよ?」 「はぁ……紫苑は鬼神となっても優しいな……と、ところで……」  急に珍しく言い淀む柚葉は、俺を見てすぐに視線を逸らした。 「あの、思い出させるようで悪いんだが……その、あの下級妖魔は……本当にお前を……その、抱かなかった、か?」 「身体ズラして逃げて……ボコられて……。先っちょの感触したからまた逃げて、あー殺されるーって思ったら柚葉が来てくれた。だからヤられてないよ?」 「さ、先っちょ……!?」 「あいつ、俺の事、殺す気満々っていうか、喰う気満々だったからさ、どうせなら喰われるより先に死にたかった。俺は柚葉に操立てして死にたかったの! 俺の身体を知ってるのは柚葉だけって、なんかすごい……ぅわっ!」  いきなり抱きついてきた柚葉のせいで、手からまだお茶の入っていた湯呑みが落ちた。  せっかくの紅葉を眺めようと、わざわざ裏庭に出てお茶を楽しんでいたのに……。  ちなみに、この裏庭。  肝試しにやって来る人間は絶対に入れない場所にある。おまけに柚葉が対人間用にも対妖魔用にも何重にも結界を張っているから、柚葉の許可がない限りは誰も入れないし、中を覗く事もできない。  こんな洋館に和風庭園があるなんて、ギャップがあり過ぎて誰も信じないと思う。 「ちょっと! 柚葉! 湯呑み、割れた!」 「気にするな、また買えば良い」  湯呑みは確かにまた買えば良いのかも知れないけど、俺の飲みかけのお茶……もう地面に染み込んでしまったけれど、すごく甘くてほんのり苦くて、初めて飲んだすごく美味しい緑茶だったのに。まだ数口しか楽しんでいなかったのに……。 「紫苑? お前解るか? お前が先っちょを挿れられそうになっていたなんて……でもそれ以上に俺に操立てして死ぬ覚悟を決めていたなんて、初めて知って、俺は……俺は……」 「……すっげ悔しいけど、すっげ嬉しい?」  もし俺なら、多分そう。  実際に柚葉の胸に爪痕見た時は頭に血が昇った、俺しか抱いていないって聞いた時は嬉しくて、天にも昇る心地だった。 「ね、柚葉……俺さ、まだ弱いでしょ? ひょっとしたらまた妖魔に捕まっちゃうかも知れない。でもね、絶対、柚葉だけだから」  魔物の世界は実力社会だと飛影(ひかげ)から聞いた。  俺を襲ったような人の形にやっとなれるようになった妖魔が長い時間をかけ力を蓄えて、自分より強い妖魔を殺してその地位を奪う事もあるという。  強い妖魔の妖力を取り込んで己の力と勢力を拡大していくらしい。 「紫苑も気をつけられよ。鬼神の地位は妖魔の頂点。一族の端にでも加わる事ができれば、やりたい放題と考える阿呆(あほう)がいるのは確かだ。ま、成り上りの妖魔が鬼神の地位と力を手に入れたとて、身を滅ぼすだけだがな」 「紫苑を怯えさせるな、バカ者!」  舌打ちした柚葉に掴まれて、また窓の外に投げられた飛影は慣れた様子で空中で一回転して美しい翼をはためかせた。 「ぼーりょくはんたーい! オニーッ!」 「やかましい! 俺は鬼だ、バカ者!」  言い返す柚葉に  (ば)カァー!  と一声鳴いて飛影は飛び去って行った。 柚葉はやれやれ、と首を振りながら俺の手を取って微笑むと 「お茶にしようか」  と裏庭に連れて来てくれたのだった。  飛影が余計な事を言って変に怯えさせたお詫びだと言って。  それなのに柚葉が取り乱してしまったせいで湯呑みは割れるし、美味い緑茶は飲み損ねるし、散々だ……。  でも。 「紫苑、嬉しい……俺もお前だけだ……」  と鬼神の(おさ)に愛を囁かれるのは悪い気分ではない。鬼化(きか)が未だに収まらない俺はわずかな事にさえ欲望が刺激されてしまう。 「……お茶飲めなかった……」 「すまん」 「……キスしてくれたら許す、かも」  柚葉の腰に手を回して、柚葉に教わったように声に少し力を混ぜてみた。柚葉はくすりと笑って、優秀だな、と呟いて俺の首筋に軽く噛みついた。 「キスだけで許してくれるのか?」  違うだろ? とより強い柚葉の妖力を込めた言葉に頷いて、より嚙みつきやすいように首を晒した。 「じゃあ……また美味しいお茶を淹れて?」 「それだけ? ずいぶん妖力に耐性がついたな? 昔の紫苑なら……」  ちゅうっと首筋にキツく吸い付いて痕を残して満足気な柚葉に身体を預けて 「マオの好きにして? ってふにゃふにゃになってたね」  とまだ人間だった頃の自分を思い出す。  そうなる度に“マオのせいだ”と自分に言い聞かせて自分の望みを叶えていた俺。そのくせ寂しくて苛立っていた情けない俺。 「柚葉……」  シようよ、と直球で言葉にできるようになったのは、成長というべきか、鬼化の賜物か。 「ここで?」  満更でもなさそうな笑顔の柚葉にキスをしてねだる。 「……誰も入って来られない、誰からも見えない……問題、ある?」 「ないな」  ニッと唇の端を持ち上げた柚葉に縁側のようなテラスに運ばれて横たえられると、太陽の眩しさとそれを受けて鮮やかに輝く真っ赤な紅葉に目を細めた。  穏やかな秋の風に吹かれる色付いた木々。  赤や黄色の向こうに見える青い空。  霞のような白い雲。  俺を覗き込む深い緑の瞳。  ああ……すごく綺麗だ……。  そして何故だろう……何故だろう……。  すごく、すごく懐かしい……気がする……。 「寒くないか? 紫苑」 「あ、大丈夫……ね、柚葉?」 「ん?」 「俺……俺、この景色、知ってる気がする……」  そうか? とだけ答えた柚葉に鎖骨を舐められ、くにっと胸を弄られて、あっさりと俺は色欲の海に沈んだ。 「俺だけ、見てろ」 「ぅあ、んっ柚葉……綺麗……」  視界に広がる赤や青。より強い深い緑は抽象画のように俺の脳を揺さぶる。  柚葉にも見せてあげたい。 「柚葉、柚葉……すごく綺麗……だから柚葉も……」  じたばたともがいて、戸惑う柚葉に上になりたいのだとどうにか理解してもらって、俺は初めての騎乗位っていうのに持ち込んだ。  鬼化していた柚葉の引き締まった腹筋に手をついて、おずおずと身体を揺すると柚葉の顔に微笑みが浮かんだ。 「あぁ、本当に綺麗だな……色がいっぱいだ」  スッと細められた目に、綺麗でしょう? と返すと、一番奥まで柚葉をねじ込まれた。 「薄紫が一番美しい」  衝撃に目を見開いて、何を言っているのだろう? と一瞬悩んだ。  それが俺の瞳の色だと解った時の俺といったら!  嬉しくて、ドキドキして、あまり締めるなって柚葉にからかわれたくらいだ。  身体の最奥まで支配される事に昏い悦びを感じて無意識のうちに恥ずかしさも忘れて腰を振る俺は、柚葉の熱い体液が一秒でも早く欲しかった。 「っん、はぁ……紫苑……」 「っあ! やっ柚葉!」  艶の増した柚葉の声に達してしまった俺を休ませるつもりもないようで、柚葉はうっとりと目を細め、荒々しく下から突き上げる。  表情の穏やかさとは真逆の激しさに、マトモな言葉なんか忘れた俺はただ喘ぐだけ。 「雪景色の中でもヤりたい」  二人の呼吸も落ち着いた頃、柚葉の胸に頬をつけて甘えて言えば、コツンと小さなゲンコツを一つもらった。 「まったく……今から煽るな。早く雪にならないかな?」  くつくつと笑う柚葉の優しい目に安心して、俺は再び首を動かして周りを見渡した。 「綺麗だね」  秋晴れの空を背景に、常緑樹の中に挿し色のような真っ赤な紅葉。黄色の銀杏。  絵画のような秘密の場所に柚葉と二人。 「柚葉? 俺、やっぱりこの場所……」 「そうか?」  うん。  知ってる気がする。

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