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第十四話 許される場所
日帰りにしようと話がまとまって、身支度を整える間、柚葉 は飛影 を呼んで、急な外出の説明をしていた。
「そうか。解った。しかし新婚旅行が日帰りで良いのか?」
くりっとした目で俺を見る飛影はせめて一泊温泉旅行を、と強く勧めている。
「温泉旅行も良いね。その時は飛影も一緒に行こうね!」
「さすが優しいのぅ! さすがは私の第二の主人 よ!」
カァカァと鳴く声に隠し切れない喜びを滲ませて羽を広げる飛影は、一緒に行けない事に少しばかり不満があったようだ。
「第二って……」
ばさりと慣れた様子で俺の頭に止まった飛影は何を言っているのだと嘴で器用に髪を引く。
「主人殿、文句はあるまい?」
「ない。もし万が一俺が紫苑 を一人にするような時があればしっかり守ってくれ」
「うむ。もちろんだ、が。私はカラスだ……せいぜい情報を集めるくらいが関の山であろう。守るのは残念ながら役に立てんだろう」
「そんな事ないよっ! 飛影がいてくれて、俺はすごく心強かった!」
嘘じゃない。
柚葉の使い魔の飛影がワケもわからないまま鬼神の仲間入りをした俺を受け入れてくれて、それだけでも俺は嬉しかったのに。
「あ、そっか……飛影も見守ってくれてたんだよな? ずっと……ありがと」
「く? 紫苑、記憶……」
「柚葉が返してくれた。俺がぼうっとして赤信号渡りかけた時に足元に降りて止めてくれたの、飛影でしょ?」
「そうだ。あの時はすまなかった。驚かせて尻餅をつかせてしまったな」
「尻餅ついてなきゃ死んでたよ。ありがとね」
そうっと頭の上から飛影を下ろして、胸に抱く。
毎日毎日、俺に何かあったら、と見守ってくれていた飛影には感謝だ。
「気を付けて行くのだぞ? 異国だからな、さすがに呼ばれても時間がかかるぞ」
「安心しろ! 誰が一緒に行くと思っている? 俺と朱殷だぞ? それにシンシ、白群 も」
「うーむ……しかし主人の心配をするのは当然の事だと思うのだ……」
「大丈夫! ちゃんと飛影にお土産買って来るね」
腕の中でぐりんと首を回した飛影が目を細めたので、お土産探しもがんばらねば! と柚葉を見た。
「おーさー? しーおーんー? 遅いよ? 何しとーん?」
「おぅ……姫様がお待ちかねだ……紫苑、本当に気を付けてな? 長とはぐれたらすぐに私を呼ぶのだぞ?」
声を張り上げる朱殷 の浮かれた空気がドア越しにも伝わって来て、俺と柚葉は飛影に行ってきますを言って、窓から外に出してから手を繋いで部屋を後にした。
「お待たせ」
「ん。紫苑は何食べるん? もう決めた?」
「え、と……やっぱ小籠包かな? あと有名なのはなんだろ?」
「片っぱしから行こう。紫苑、我慢するなよ?」
「長、太っ腹〜! ん? 辰臣 、私らも手ぇ繋ごっ! 行こ紫苑」
万が一を考えて、人目につかない場所という事で、裏庭に天翔 を呼ぶ事になった。
柚葉の手を引いて、天翔って? と聞くと飛影みたいな者だと教えられた……けど、全然違った。
飛影は人の言葉を話すし、柚葉の使い魔として長い時間を生き、それなりに妖力もある。けれど、大きさは普通のカラスだ。
それに引き替え『天翔』という朱殷の使い魔は大ワシの妖 だというが、大きさからして違った。
「これはこれは長、お久しぶりにございます」
「あぁ、久しいな? 元気か?」
見上げる程大きな体躯の大ワシに臆する事なく片手を挙げて挨拶する柚葉。こんな大きな生き物、見た事ない。
博物館で展示されている恐竜のレプリカみたいだ、などと失礼な事を思いながら天翔を観察していた。
妖力だって飛影の何倍……何十倍……怖いとは思わないけど、すごいなとは思う。
この大きな嘴で突かれたら、俺の頭、ぴょーんって飛んじゃうんじゃないかな……なんて……。
「おかげさまで……して、こちらの美しい鬼神様は?」
「俺の大事な大事な連れ合いの紫苑だ。よろしく頼むな?」
「よ、よろしくお願いしますっ」
かなり失礼な事を考えていたところで名前を呼ばれて、慌てて下げた頭を柚葉の大きな手がむんずと掴んで引き上げる。
「頭を下げられるとは……困ります。私は天翔と名乗る妖。朱殷様と白群様にお仕えしております。以後お見知りおきを」
「ご挨拶は終わり。あのね、台湾に行きたいん。連れてって? 四人」
「台湾!? 異国ですな!」
「そうだ。長と紫苑の新婚旅行……という名の食い倒れ旅だ」
主に朱殷 の、と小さな声で付け足した白群に天翔は納得した、と首を縦に振った。
「しっかりと掴まっていてくださいよ?」
「大丈夫! 紫苑は結界張るの得意なんよ。天翔の身体に縛り付けてもらうから安心よ」
「ならば安心! あっという間に台湾にお連れしましょう」
柚葉に手伝ってもらって、結界を張るのに使う念を糸状にした物を編み込んでロープを作ると嬉々として朱殷がそれを天翔と白群、自分、柚葉に絡めていく。
俺の身体は拘束じゃないのか? と思う程キツく柚葉と天翔に繋がれて、出発準備万端となった瞬間、本当にあ、と思った時には空にいた。
「わっわわわわわっ柚葉っ! すごい! 飛んでる! 高いっ!」
「そりゃ飛ぶだろ! 見ろ、館がもう点だ」
安心させるように頬を寄せて囁いてくれる柚葉は、朱殷と白群が楽し気に二人の世界を作って盛り上がっているのを良い事に唇を重ねてくる。
「わっぷ! 柚葉、すごいね! 風も!」
「ほら、下見てみろ? 海だ」
「すごい! 綺麗!」
バッサバッサと勢い良く天翔の翼が空を切り、ものすごいスピードで日本から離れて行く。
「飛行機よりも速い?」
「もちろん速い」
「皆様、もう着きますよ? 人目につかない山に降りてよろしいですか?」
「えっ! もう!?」
もっと空を楽しみたかった……というか、もっと楽しめると思っていた。なのに、おそらく三十分で台湾に着いちゃうなんて……妖すごし……。
「山で良いよ。あとは長が鬼道開いてくれるやろし」
人里離れた山の中に降ろされて、朱殷に何やら言われた天翔がすうっと俺の影へと溶けて消えた。
「すまんな、朱殷」
「え? 何? 何?」
飛んでも跳ねても触っても影から天翔は出て来る事も声を出す事もない。
「人が多いやん? 異国やし、置いていくのも可哀想やから紫苑にお願いしたん。おとなしい子やから、大丈夫」
にこにこと説明してくれる朱殷は、何かあった時に自分を守るだけの力が心許ない俺を気にかけて天翔をつけてくれたのだろうと予測はできた。
でもそれを今言うのも、せっかくの気遣いや旅の楽しみを半減させてしまうようで、何も言わなかった。
「うわーすげー」
「お店いっぱい! あ、可愛い!」
「朱殷、走るなよ?」
柚葉が開いた鬼道という神や妖のみが通れる道を歩いて、繁華街に出た俺達は日本とは全く違う活気溢れた街に圧倒されていた。
「長! コレ買うて!」
……圧倒されていたのは俺だけかも知れない……と嬉しそうにタピオカ入りのミルクティーを指差す朱殷を見て思った。
「はいはい。買ってやるから待て。両替して来る」
行くぞ、と差し出された手をまじまじと見つめていると、ぐいっと掴まれ柚葉が耳元で囁く。
「離れるなよ? 紫苑」
「え、外……」
「気にするな、異国だ」
ぎゅっと恋人繋ぎにされた手を離すなんてもったいなくて、俺は嬉しくてその手を握り返した。
人目を気にしなくても良い。
どんなに目立っても構わない、と柚葉が手を引いてくれる。
大人の足について行けず、迷子のアナウンスで呼び出されてこっぴどく怒られた過去のある俺からすれば、歩調を合わせてくれるだけでなく手まで繋いでもらえるのは、恥かしさよりも嬉しさが勝つ。
直接魂に語りかけて難なく両替を終えた柚葉は、朱殷に請われるままタピオカ入りミルクティーを買い与え、朱殷はやたらと太いストローを咥えて目尻を下げた。
「あいがひょ、おひゃ」
「紫苑、何が食べたい? 何が欲しい?」
「あ、点心っていうの? ヤムチャ? 小籠包とか春巻きとかいっぱい食べられるヤツ」
「行こう。まずは腹ごしらえだな」
歩き出した柚葉に地元の人が声をかけてくる。が、俺はさっぱり解らない。
「歓迎光臨!」
「え? え?」
「いらっしゃいませ、だ。あまり反応すると店に引きずり込まれるぞ?」
「そんな悪徳な事はしないと思うが……」
少し呆れたような白群の声音に、柚葉の過保護が発動しているんだろうと思ったけど、それも嬉しかった。
俺は自分で思っている以上にこの旅行にテンションが上がっているみたいだ。
「すげー!」
今日何度目かの「すげー!」に柚葉が笑顔になる。
柚葉が選んだレストランは見るからに高級そうだったけど、価格は意外と庶民に優しかった。
店員さんの愛想も良くて、俺達は奥まった席に案内されて、すぐに香の良いお茶を出された。
俺も朱殷も白群も、テーブルに所狭しと並んだ料理に目が釘付けだ。
ほうれん草で皮に色をつけた物を翡翠と呼ぶなんて知らなかった。エグいんじゃないかと思っていた味の方はめちゃくちゃ美味しくて、朱殷と奪い合いになった。
「長、普通の小籠包と翡翠の、お代わり頼んで? あと八宝茶飲みたいん」
「朱殷、長にラーメン頼んで」
「柚葉、春巻き食べたい!」
「……お前ら……三人前ずつ頼んでやるから、少しは俺にも食わせろ」
何故か注文係になってしまった柚葉が俺だって食いたい、と文句を言う。
柚葉の皿に焼売と春巻きとゴマ団子を載せると、眉間に寄った皺が少し緩んだ。
「美味いか? 紫苑?」
「サイコー! 美味しい」
俺だって初めて中華を食べたワケじゃない。家族と一緒にそれなりに良いホテルのレストランに行った事もある。
けど、こんなに美味しかったっけ? 優希がにこにこしながら口の周りを甘酢ソースで汚しているのは可愛かった記憶があるけど、味に関しては曖昧だ。
こんなに、笑って、食べてなかったから?
柚葉も朱殷も白群も笑っている。
俺の目の前に残っていた海老焼売をぱくんと口に投げ込んだ朱殷が
「紫苑? ぽーっとしとったら、食いっぱぐれるよ?」
と得意気に笑い、俺はそんな朱殷に顔を顰めて見せて柚葉に新しい海老焼売をせがんで、朱殷に見せつけるように湯気の立つ出来立ての焼売を口に入れる。
「焦ると美味しいの、取り逃がすよ?」
そう返せばぷくっと膨れた朱殷の頬を白群が突いて、やられたな? と笑う。
「あーもう、ケンカすんな。朱殷にも頼んでやるから……っていうか、俺と紫苑の新婚旅行なんだから、少しは遠慮というものを……」
「長、うるさいわ。ヘタレの長を後押ししたんは誰じゃろ?」
「うぅ……勝てん……」
「俺も勝てませんよ、長」
家族みたいだ、と思った。
誰が父親とか母親とかそういうのじゃなくて。
お互いを理解して、理解しようとして、話に耳を傾けて、笑って。
俺が欲しかった、モノ。
俺がいても許される場所。
「やっぱり柚葉のトコにあったんだ」
「ん? 何? 紫苑?」
注文を聞き逃したのかと、俺をメニュー片手に見た柚葉にくすりと笑って、水餃子に手を伸ばす。
「なんも? ありがと、柚葉」
「う、ん? 腹いっぱい食べろよ?」
「長、桃饅頭と、肉まんと、あんまん、お粥も! 頼んで?」
「長、排骨ラーメン……」
「……お前ら……マンゴーなんちゃらが食べたかったんじゃないのか……?」
「ん。食べる食べる。でもそれは後で。エッグタルトと杏仁豆腐の後でじゃな。あ、マンゴープリンがある! 長、マンゴープリンも追加して」
あぅう……と頭を抱えた柚葉に呼ばれた店員さんが積み上げられた皿を見て目を丸くする。
食べ過ぎ、だよな。いくら食べ放題を頼んだからって食べ過ぎだ。
確実に店側は赤字。
それでもこんなに食べてくれると気持ち良い、と流暢な日本語で言ってくれて、最後に注文していないのにアイスクリームを出してくれた。
しこたま食べて食べて、お腹をさすりながら店を後にした途端に朱殷が柚葉を呼び止める。
「長、コレ買うて?」
「今度はなんだ?」
「んー? 蒸した菓子みたいじゃな? 甘い良い匂い! 紫苑も食べよ?」
「食べる!」
レストランとは違って屋台のような素朴な店は値段もぐんと安く、アレコレと食べ歩くにはちょうど良い。
食べ歩きの次は買い物らしい。
朱殷は鬼神とはいえ女性なので、可愛い物や綺麗な物が好きなようだ。白群も朱殷の傍を離れる事なく、一緒になって品定めをしている。
俺と柚葉は……相変わらずしっかりと手を繋いだままだ。
「飛影へのお土産は何がいいかな?」
「カラスは光り物が好きだからな……装飾品で良いんじゃないか? 食べ物だと、なくなってしまうだろう。おい、朱殷、俺達はこの店に入る! 勝手に遠くへ行くなよ? 街中で天翔は出せんぞ!」
ほーい、と呑気な返事を聞いて、柚葉は宝飾店へと入って行った。
金の物が多い。
腐食しないから、縁起が良いのだと教えてもらった。
「コレ、どうかな?」
金細工の指輪で、中央に瑪瑙が嵌めてある。サイズはフリーなようで、指の腹の部分に切れ込みが入っていて、ちょうど良い大きさに簡単に合わせられる。
「高い?」
「いや、紫苑が気に入ったのなら、それで良い。石の色はそれで良いのか?」
「オレンジっぽい赤の瑪瑙と……緑のは翡翠? 飛影はどっちが似合うかなぁ? ……あ、翡翠にしよ」
だって翡翠だよ。飛影は柚葉の使い魔で、翡翠の緑は柚葉の瞳の色には濃さが足りないけど、きっと似合う。
コレを脚につけた飛影はきっとカッコ良い。
「じゃあ、ソレにしよう。あとは、プラチナはここか。シンプルなのが良いかな? どれが良い?」
「はえ?」
「はえ? じゃない。連れ合いになったんだ。俺は他人に見せびらかせる証が欲しい。揃いの指輪をつけて、誰が見ても俺は紫苑のモノだと知らしめたい」
あえて“俺は紫苑のモノ”だと言ってくれた柚葉の優しさに思わず俯いた。
イヤか? と頭の上から降ってくる声に頭を振って、蚊の鳴くような声で嬉しいと伝えた。
「石はあった方が良いな。妖力を込められる。ダイヤが良い」
「ダイヤって……」
「強いからな。それに石言葉も良い……永遠の絆、永久不変、だ」
柚葉の博学っぷりに驚きつつ、甘ったるい石言葉に頬が緩んだ。
俺の母親もダイヤの指輪を持っていたけど、父親と誓ったはずの愛は永久不変じゃなかった。
でも柚葉が言うなら真実 になる気がする。
「柚葉、コレは……?」
「見せてもらおう」
俺が指さしたのは細い二本の線が交差しているデザイン。離れてもまたすぐに絡み合って、それが途切れる事がない。石もラインに沿って三つ並んでいる。
「サイズはどうだ?」
「柚葉は? 他の気になるヤツ、ないの?」
「うーん漠然とシンプルなのが結婚指輪だろうと思っていただけで……良いな、コレ。螺旋みたいだ」
さくさくと俺の指に同じデザインのサイズ違いを幾つか嵌めて、ちょうど良い大きさのを決めた柚葉は自分のを決めると、店員さんを手招きして、じっと目を覗き込んだ。
頷いた彼女は一旦奥へと消えて、職人っぽいおじいさんを連れて戻って来た。今度はおじいさんの目を見つめ、おじいさんは何度も頷くと
「一個小時? 時間不够……那么……請給我三個小時吧!」
と若干虚ろな目で柚葉を見つめて呟いた。
柚葉は頷いて、おじいさんの手を取ると、指輪を二つ渡して店を出た。
「何? 今度は何したの?」
「うん、石がな? もっと良いのがあるだろうと交換するようにお願いした。交換が無理ならそのサイズで作ってもらうように頼んだんだ。一時間じゃ無理だと言われてな。三時間くれと言われた。その間、遊びに行こう」
「……ほぇー……」
お願いっていうか、命令だよな……直接脳だか魂だかに話しかけて、命令したよな?
おじいさんの目が虚ろだったのは柚葉の妖力のせいか脅しのせいか解らなくなってきた……。
俺が難しい顔をしていたのか、ぽすっと柚葉の手が頭に乗る。
「なんだ? ちゃんと代金は支払うぞ? ただ、紫苑には……おっ?」
「わっ!」
バタバタと宝飾店のおじいさんが駆け出してきて、慌てて避けると柚葉が良し、と呟くのが聞こえた。
「紫苑の石には知る限りで一番良い物を使うようにお願いしたからな。知り合いの所にでも行ったのだろう」
と悪びれる風もなく言ってのけた柚葉に、俺はもう笑うしかなかった。
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