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第十六話 もう怖い夢は見ない

 昼間でも多かった人が更に増えたように感じた。  道路もすれ違うのがやっとってくらいに人で溢れていて、ズラリと並んだ屋台の前を横になったり、無意味に腹を引っ込めて細くなったつもりで歩く。  柚葉(ゆずは)がしっかり手を繋いでくれているからはぐれる心配はないし、度々朱殷(しゅあん)がストップをかけて四人であれこれと買い食いをするので朱殷や白群(びゃくぐん)ともはぐれる事はない。  何せ朱殷と白群の財布は柚葉なのだから。 「おひゃあっひににゃにゃんかこっひょうみひゃいにゃんあっひゃ」 「女の子が食べながら喋るんじゃありません! てか、なんて言ってるのか、さっぱり解らんぞ」  揚げパンを薄く延ばした小麦粉の生地で包んで卵や搾菜などで包んだ煎餅(ジェンピン)を口に目いっぱい詰め込んだ朱殷に柚葉が(おさ)らしく注意すると、まんまるハムスター状態の朱殷に代わって白群が口を開いた。 「長、あっちにな、なんか骨董みたいなんあった……と言ってますが」 「お前、今のが解ったのか!?」 「はぁ、まぁ、長い付き合いですし、伴侶ですから」  得意満面の白群にでかしたと言わんばかりに何度も頷く朱殷はひどく可愛らしく見えた。  実際代金を払うのは柚葉でも、注文するのは朱殷なので、何度も何度も可愛いから、とずいぶん値引きしてもらったので、朱殷には感謝だ。 「行ってみるか?」  アンティークやアンティーク風な物は好きだ。洋館の五階に置いてある品の良い調度品の数々は俺の好みにもドンピシャで、とても落ち着く。 「うん、行ってみよ」 「じゃが待って! 紫苑(しおん)、あの薬膳とろみスープて、気にならん?」  日本人観光客が多いおかげか、看板にも日本語で書いてある物がかなりあって、朱殷の指差す先にある 『女性の方オススメ・美味し 薬膳 美肌美容健康 すごい! 絶対美人なる!!』  の日本語の看板に笑ってしまった。  すごい! って書かれると、美肌や健康には興味ないけれど無性に惹かれる。 「ぷっ! “すごい! 絶対!” だって! 試してみようよ」  柚葉と白群は辞退したので、俺と朱殷が茶色いドロッとしたスープの試す事になった。  赤い枸杞の実が色を添えてはいるけれど、全体的に茶色くて食欲を刺激するような色合いではない。 「り、良薬口に苦し、じゃ……」  口にする前から顔に“後悔”の二文字を貼り付けた朱殷。俺もなんで挑戦するって言っちゃったんだろうと若干の後悔中。 「ほら、朱殷、今以上に綺麗になるぞ?」 「う、うん……今のままでも良い気がしてきた、ん……」 「さあ紫苑! グッといけ!」 「あぁ、えと、とろみスープは熱いかなぁって……俺、猫舌だし?」  初耳だ、と笑う柚葉を軽く睨んでチラリと朱殷を見るとプラスチックのスプーンを握りしめて、何やら覚悟を決めたような表情を浮かべていた。 「食べ物はムダにしたらダメやよ、紫苑……あむっ……ありゃ!?」  素っ頓狂な声をあげた朱殷は、美味しいと繰り返して、あんなに渋っていたのに今はそれを取り戻すかのようにせっせとスプーンを動かしている。  その様子にとりあえずは安心して、俺もスプーンを咥えた。  甘い。  香辛料とほんのりとした優しい味付けで、どうしてこんな色になったのか悩む。  薬膳だから、としか言いようのない色合いに無理矢理にでも納得するしかない。  薬膳スープのおかげで身体の芯まであったまって、朱殷が見つけた骨董店を覗きに行った。  たくさんの仏像や像の置物が置かれた店はとても狭かったけど、居心地は良かった。  なかなか渋い茶器のセット……多分ウーロン茶を淹れるヤツだと思う……にも目を惹かれたけど、一番気になったのは細工の丁寧な香炉だった。 「ん……?」 「あ」  柚葉の指と俺の指が香炉の前でぶつかって、迷う事なくすぐに購入した。  実際に香を焚くかは別として、寝室に置いたら素敵だなと思う。  朱殷と白群は赤い布に金色の文字で福と書かれた壁掛けを買うか買わないかで相談していた。  確かに街中至る所で見かけたし、いかにも! って感じだけど、俺は買わなくて良いかな、なんて。 「ね、柚葉。あの福ってさ、なんで逆さまなの? 縁起悪くない?」 「ん? あぁ、あれは倒福(ダオフ)といってな、福を注ぐ、という意味だ。幸福は天からいただくもの、降って来るもの、という考えなんだろうな。だから逆さまにして注ぎ続けているというワケだ。とても縁起が良い」 「ほぇー物知りー」  ふふ、と目を細めた柚葉に朱殷が 「長生きしとうだけよ!」  と水を差し、柚葉に 「お前もたいして変わらんだろうが!」  と返されて、むくれていた。  朱殷の機嫌を取り戻すのは白群に任せて、俺達は店主に勧められる品を見てはああでもない、こうでもないと言い合って、たまにお互いの左の薬指に目を留めては照れくさくなって笑った。  少し大きめに作られた指輪は、たまにくるりと回って石が光を跳ね返す。  自分の指にこんな高価で綺麗な指輪が嵌っているのが不思議だが、柚葉とお揃いなら、途端に人に見せびらかしたくなる。  帰ったら念を込めてやる、と言われているので、それも今から楽しみだ。  日本のお祭りでも味わえそうにない活気と地元グルメをしっかり堪能して、柚葉が帰りの鬼道を開こうとしたのは夜の十一時くらいだった。 「思い残しはないか?」 「ん! よう遊んだし、よう食べたし、いーっぱい買ったし! な? 辰臣(シンシン)!」 「俺も……あっ! 天翔(てんしょう)にお土産買ってない!」  ずっと俺の影に入って守ってくれていたのに、どうしよう……と柚葉を見上げると、それは朱殷と白群の役目だと止められた。  主人(あるじ)以外が使い魔に例えお土産でも物を贈るのは、新たに自分と契約しろと言っているのと同じだと言われてしまった。  それは困る。 「どうしても、と言うなら……何か食べ物にしろ。形が残らないからご褒美というかお礼という事で主人も許してくれる」 「そ、か……でも天翔が満足するくらいの食べ物っていうと、豚の丸焼き十頭くらい? 今から買いに戻って良い?」 「紫苑様、そのお気持ちだけで充分ですぞ」  突然足元から聞こえた声に慌てて視線を下に向けると、首だけヌッと突き出した天翔がいた。 「あら、ダメよ? 出たら」 「いや申し訳ない、朱殷様。しかし、影に入っておると、話が聞こえてしまって……豚の丸焼きなぞ要りませんよ? 私も紫苑様の影に入って一緒に台湾を楽しみました。貴方の嬉しそうな声が聞こえて本当にお連れして良かったと思ったものです。それが私へのご褒美」  それだけ言うとまた俺の影にすぅっと消えて行った。 「て、本人が言うとるからね、紫苑」  うちの子を気にかけてくれてありがとう、と微笑む朱殷につられて、頷いてしまった。  天翔へのお礼は日本に帰ってから、柚葉と飛影(ひかげ)に相談しようと思う。飛影なら鳥目線で美味しい物を教えてくれそうな気がする。 「紫苑、落ちないように集中して糸を編んでくれよ?」  と白群に言われて、行きのスピードと高さを思い出す。  あれは多分鬼神でも落ちたら死ぬ……と思う……。 「て、手伝ってよ……」  半人前の俺には荷が重過ぎると救いを求めても、朱殷は大あくびをして既に眠そうだし、白群は大量の荷物を持って両手が塞がっているし、頼みの綱の柚葉は 「俺の生命は紫苑の物だ」  なんて、今はプレッシャーにしかならない甘い言葉を囁いてくれる。  しかも本気でそう思っているらしく、俺を見る目は優しいままで、動きはしない。  死なせたくない、から。  残りありったけの集中力を動員して糸を何本も紡いだ。  荷物持ちの白群の為に、大きなショッピングバッグみたいな物も作ったりして、結果としてはなかなか応用の効いた良い練習になったと思う。  任された仕事をこなして、ぐったりした俺は行きと同じくまずは柚葉にグルグル巻きにされて、それから天翔に拘束された。 「真夜中だ。何も見えないな」 「ん……」 「すぐ着く。寝てろ」  柚葉の囁きに、ちゃんと返事ができたのか……目の前が暗いのは夜の海と空に包まれているからか、目蓋が重たくて目を閉じてしまったからか自分でも判断できなかった。  ……よう寝とうね、可愛い……  ……見んな……  ……けち……  楽しそうな掛け合いが聞こえる。  いつも夢だと自覚するのは目が覚めてしばらくしてからで、そしていつも見るのは良い夢じゃないのに、今はすごく楽しい。寂しくない。孤独じゃない。嬉しい。  ……あ、笑うた? やっぱ可愛い! ……  ……長、素直で優しい良い連れ合いを見つけられたな……  ……お前達のおかげだな……  ……そう思うんなら泊めて? …… 「ん……良いよ……」 「起きたか? 紫苑? 紫苑? あれ?」  俺の名前をこんな風に愛おしそうに呼んでくれる人は一人しかいない。  大好きな温度。  大好きな匂い。  大好きな声。  あったかい。 「ゆずは……」  ちゃんと言うね。  すごく良い夢見たよって。  あったかくてふわふわの夢が終わったのは、誰かの悲鳴が聞こえた気がしたからだ。 「……ん、なに、悲鳴……? 柚葉?」 「起きた? いつもの肝試し連中が来たようだと思ったが……」  いつもの寝室でいつものベッドでいつもの柚葉の腕の中で、背後からそっと俺を抱きしめた柚葉が耳元でうっそりと囁く。 「……前言ったの覚えているか? 鬼の俺でもびっくりするくらいのろくでなしがいるって。そいつらが来たようだ」  柚葉の説明の間も悲鳴は続いているし、何やらうるさい。 「寝てろ。ちょっと行ってくる」 「俺も行く」  せっかくの時間を邪魔した馬鹿者の顔が見たいと思った。  一瞬柚葉は何か迷うような表情(カオ)をしたけど、結局は俺の手を引いてベッドから起こしてくれた。 「……うちらも行かせて」 「あ、朱殷! 俺、寝ちゃって……」 「ん。可愛かった! 紫苑も行くん? 疲れたやろ? 辰臣も来るし、寝とって良えのよ?」  イイコイイコと俺の頭を撫でる朱殷も何故か俺を気遣っているようだ。 「……良く解んないけど、みんなの邪魔はしないよ……」  鬼化(きか)はできないけど、これでも一応俺も鬼神だから。  自分の住んでいる館でどんなろくでなしがどんな事をしでかそうとしているのか、知る権利はあると思う。

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