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第十七話 鬼神の領分

 廃墟感漂う一階に木霊する悲鳴と怒声。  悲鳴は、女の子だ。怒声は男……一人じゃない。  お化け屋敷にこんな時間に複数の男が女の子一人連れ込んで大騒ぎしているってだけでお察しだけど。 「やだぁ! やだってば! 離してっ帰る!」 「うるせぇクソガキ! てめぇから連絡して来て助けてくださいっつったんだろうがっ」 「そーそー! 金がねぇなら身体で払えや、お嬢ちゃん」  ぱんっ! と乾いた音は男が女の子の頬を叩いた音だろうか。弾き飛ばされたのか、逃げようとしてぶつかったのか、脚の折れかけの椅子やテーブルがハデな音を立てる。  同意の上じゃないって事は最早確定で、俺はこれからどうするのかと柚葉(ゆずは)を見た。 「(おさ)、喰らうん?」 「いや、喰わん」 「なら私ら先に行くわね」 「おう……あー、いただけるモノはいただいておいてくれよ?」 「ん」  物音が聞こえる部屋に迷いもせずスタスタと進む朱殷(しゅあん)白群(びゃくぐん)の背を見送る柚葉はそっと俺の肩を抱き寄せた。 「どう思う? 嫌がる女を力でねじ伏せて……しかも複数で押さえつけて、懇願も嘆願も涙も無視して何度も何度も入れ替わり犯す。あれは人間か? 本当に人間か? 俺には人の皮を被った下級妖魔以下のろくでなしに見える」  欲望があるのは普通だ。  金が欲しい。  地位が欲しい。  名声が欲しい。  女を抱きたい。  普通、だけどさ……。 「射精すら本能で欲望だ。だが行き過ぎた欲望はただの醜悪な(あやかし)と変わらん。あんなのから金を奪っても俺は小指の先程の罪悪感も湧かない。鬼だからな」  ぎゅっと俺の肩を掴む柚葉の手に力がこもった。  憤りと哀しみと、俺に引かれるんじゃないかって少しの恐怖に似た感情を嗅ぎ取った俺は柚葉の腰に腕を回して、すっと身体を寄せた。 「ホントにこんな事するヤツがいるんだね……エロ本かAVだけの世界かと思ってたよ……ホントろくでもない…」  野太い男の叫び声と高い女の子の叫び声が重なって館に響き渡った。  何事かと柚葉と顔を見合わせた。 「行こう」  渋る柚葉を半ば引っ張って突き当たりの部屋へと進む。  見せたくないのなら、俺は見なくちゃいけない。これから先も柚葉と生きていくのなら、絶対に見て、知って、考えて、答えを出さなきゃいけない。  部屋の中は服を引き裂かれ座り込んで泣きじゃくっている女の子と、白群が両手に一人ずつ、朱殷が一人の計三人の男を取り押さえて、男達は半狂乱で暴れていた。  何より男を狂乱させているのは、大の男が暴れてもビクともしない朱殷の握力か。 「あんたら、なん? 男三人揃ってスるのが好きなん? 撮るんも好きなん? えー趣味やな?」 「は、離せ、よ……そのガキがっ女がっ持ちかけて来たんだよ!」 「はて? 持ちかけて来た子が泣くやろか? そういうプレイ?」  首を傾げる朱殷に、頭によぎった単語を伝えた。 「神待ち? て、なん?」 「家出とか……お金もご飯も宿もない時に、そういうの提供してくれる人をネットで探して……結局こうなってんじゃないかなぁ」  泣いている女の子の側に行って、努めて優しく 「そうだよね?」  と尋ねるとヒックヒックとしゃくり上げながらも微かに頷いた。 「どうして? そんな危ない事したの? 言ってみて?」  そっと視線を合わせるようにしゃがみ込むと、女の子の涙でいっぱいの目が後悔に揺れた。 「……受験勉強、がんばってるのに、もっとがんばれって言われてイライラして、親とケンカになって……」 「飛び出しちゃった?」 「行きたい高校じゃないのに……私が行きたい高校(トコ)じゃレベル低いとか恥ずかしいとか言われて、でもがんばれって言われても目標ないし……」 「そっかぁ……」  親のプライドを満足させる為だけに塾へ通って、模試を受けて、中学受験した親の言いなりマシーンだった俺からしたら、ちゃんと向かい合ってケンカして飛び出しちゃうなんて、ものすごい勇気だと思う。  ものすごい勇気は、親とケンカした事や多分初めての家出で、ものすごい無謀へと姿を変えてしまったみたいだけど。  結局、受験勉強のストレスと理解してくれない親へのストレスとで爆発した彼女は、親の制止を振り切って飛び出したらしい。  ポケットの中身はスマホと中身の寂しい財布だけで、友達の家に泊めてもらおうにも、受験前だと思うと迷惑はかけられない……と思ってしまって友達に電話はできなかったと言う。 「それで“神待ち”で身体を売ろうと思ったのか? ずいぶん短絡的でバカだな」  呆れを隠さない柚葉の言葉に女の子は、違うのだと呟いた。 「友達が……利用した事あるって……ご飯食べさせてもらって、変な事されなかったって……」  飛び出した手前、そんな短時間では帰れないという幼い意地を食い物にする輩に引っかかってしまったという事らしい。 「その友達が言う事が本当なら、神様どころか悪魔に捕まったワケだ。よく見て? アレが神様?」  目を血走らせて、恐怖心の中にも未だに欲望を捨てていない男達。  ムダな足掻きとは知らず、どうにか白群と朱殷の手から逃れる事ができたら……と目論んでいるようだ。  撮影機材は後日観て楽しむ為の物か、画像をネタに脅して何度も関係を持つ為の物か。  最終的にはネットに流して金にするのかな……。 「ふぅん、けったいな神様やん? お嬢ちゃん、よう見とき? なぁ? 私と遊ぼうや」  朱殷の言葉に、男の目が急に虚ろになった。  だらしなく開いた口の端から涎が落ちて汚い糸を引く。  理性のなくなった男は朱殷の言葉に素直に欲望を吐いていく。 「一応聞いとこ。あんたら、肝試し、来たん?」 「……肝試し? ……いや、ヤりに来た……」 「あんた神様ちゃうん?」 「……神様だろ? 飯も食わせてやったんだ……次は俺達が美味しい思い、する番だ」 「そっちのも?」  白群が押さえている二人に朱殷が視線を向けると、同じように虚ろになった男達はニヤニヤといやらしく笑い、暴れなくなった。 「泣き叫んでる顔、サイコー」 「神待ちなんかバカだろ? 逆に女神様かよ……ふへへへ……」 「……じゃったら、遊ぼか」  にっこりとこの場には不似合いな笑みを浮かべた朱殷の頭から長く美しい二本の角が生えて、唯一思考がまともな女の子は驚きのあまり泣き止んでしまった。ぎゅっと俺の手首を掴む手は微かに震え、目の前の光景を見るだけで精一杯な様子だ。 「泣き顔が最高なんじゃったな?」  鈍い音がして、小太りの男の頭が壁に打ち付けられた。  ミシッと聞き覚えのある音は骨にヒビが入った音だろう。朱殷が鷲掴みにした男のコメカミ辺りからつうっと赤い血が頬を伝って顎へ流れ、微かな音を立てて床に落ちた。 「ほれ、泣け。最高なんじゃろ? まっさか他人にはやっても良いけど自分がやられるんはイヤなんて駄々こねんよな?」 「いだいっいだいっ離せっ」 「ああ、ジワジワが好きなんかな?」 「っごっふっ!」  ガッツリ鳩尾(みぞおち)に入っている朱殷の膝。小太りの男は悶絶して崩れ落ちた。口からは泡を吹いているので、すぐには動けそうにない。 「次は〜あんたじゃ」 「ひっ! た、助け、て……助けて! 俺はっ呼ばれただけっ車出したらヤらしてくれるって! 言われただけでっだから!」 「うるさいわ。ヤる気満々やったんやろ? 黙っとけ、阿呆(あほう)。あんた、女神様と遊びたかったんやったっけ? なら私でええな? 私、これでも女神様じゃ……鬼じゃけどな!」  車を出しただけで主犯じゃないと必死に言い訳をしていた痩せた男は、真っ赤に輝く朱殷の瞳に射抜かれて、カーキ色のチノパンの前を情けなく濡らした。 「あ、ウソウソ夢だ、こんなの……鬼とか……ははっ、こんなんねぇよ! おっかしいな、アレか? いつものハーブじゃないヤツ吸ったからだ、幻覚だ幻覚幻覚……」  ブツブツとこの現実と折り合いを付けようと独り言を繰り返す痩せた男は、顔面蒼白で床に伸びている太った男と、未だに白群に捕まえられているメガネをかけた男とに忙しく視線を投げた。 「幻覚じゃったら……何でもできるな? 何したいん?」  誘うような妖力を込めた朱殷の言葉に、男は壊れたように欲望を吐き出し始めた。 「ふ、ふへ……写真……撮って……最初は泣いてても、そのうちクスリが効いて……うへへ……どうせぶっ飛んでワケ解んねぇんだ、中出しも動画もヤりたい放題だぜ……へへっへへへっ」 「じゃったらお前がぶっ飛んどけ。辰臣(シンシン)!」  床で伸びている男の胸ポケットからハデなパッケージを取り出した白群が顔を顰めて臭いと呟いた。  柚葉がたまに焚いてくれるお香とは全く違うギスギスした臭いはほんの少し嗅いだだけで頭が痛くなる。  脱法ハーブとか危険ドラッグと呼ばれる物を初めて目にしたけれど、何故こんな物を吸おうと思うのか、俺にはさっぱり解らなかった。 「俺達にはキツいな……」  事の成り行きを黙って見ていた柚葉が俺の隣にしゃがんで、そっと俺の鼻を摘んだ。 「くっしゃい!」 「俺達は人間ではないからな、五感全てが人間以上。当然鼻も利く……これはキツい。自然な物ではないだろう? こんな物で自ら破滅するとは、人とは本当に愚かだな」  あがが、おごご、と聞こえるのは朱殷に袋の中身全部を口に押し込まれている痩せた男の声だ。 「きみは吸わされた?」  女の子は無言で首を振る。  恐怖のあまり、俺達に言われた事には素直に答えるつもりのようだ。ありがたい。 「長、こいつらどうする?」 「ふん、魂抜いて病院送りにしてしまえ」 「うーん……じゃけど、なぁ……」  柚葉の答えに不満顔の朱殷は、完璧にトリップをキメている男の腹を蹴り上げて、ハーブを吐かせている。 「長は男じゃからな。被害に遭ったんはお嬢ちゃんだけじゃなかろ?」 「……ではどうする?」 「んー……」  うへへ、痛いの気持ちぃ……と涎を垂らす痩せた男と床を芋虫のように這って逃げようともがいている男と白群に捕らえられたまま白目をむいているメガネ男を虫ケラを見るような目で見て、可愛らしく小首を傾げた。 「長、紫苑(しおん)に見せとうないなら連れて出て。あ、お嬢ちゃんは見とき。次からイヤな事があっても阿呆な事する気にならんようにな」 「朱殷、俺、ちゃんと見たい」 「汚いよ? 酷い事するよ? 鬼じゃからね……こんなヤツら魂抜いて病院送りにしてもまた同じ事繰り返すわ。(ヘキ)じゃもん。女騙して、食い物にして。そういう癖! 治らんじゃろ? じゃからな」  冷たい朱殷の声に思わず生唾を飲む。柚葉は朱殷を止める事なく、自分と俺の鼻を摘んだままだ。 「天翔(てんしょう)!」 「きゃあああ!」  ヌッと白群の影から現れた天翔を見て悲鳴をあげた女の子は目玉が落ちそうな程に目をひんむいて、非現実的な出来事が続く現実に混乱している。 「長の館じゃからな? あまり汚さんように」  ばさりと天翔が翼を広げ、その大きさを誇示すると、床で芋虫になっていた男がダンゴムシのように丸まった。  相変わらず夢だ幻覚だと、必死に現実逃避を試みている。  ムダな足掻きだ。  すぅっと細くなった朱殷の目は冷酷な色味が強まり、俺はこれから起きる事を何一つ見逃すまいと心に決めた。 「生きとっても愚行を繰り返す妖と変わりないムダな輩じゃ。ここで死なずとも、どうせまた会う。じゃからなぁ、骨一つ残さず。喰ろうておしまい」  大きな嘴に大人の男の身体がヒョイと挟まれるのはまるで恐竜映画のようだった。  嘴の圧力に負けて骨がへし折れる音も内臓が潰れる音もヒクヒクと痙攣する手足も、どこか作り物っぽかったが、血の臭いはリアルだった。  あっという間に三人を喰い尽くした天翔は朱殷の前に頭を下げて、命を全うしたと体現して 「あとで胃薬をいただきたい」  と言い残して再び白群の影へと消えた。 「……お嬢ちゃん、神待ちしとったんじゃな?」 「ご、ごめんなさいっごめんなさいっもうしませんっ許してください」 「自分の事、神様ですよーっていの一番に現れるヤツは大抵、神様やないよ?」 「いやぁっ! ごめんなさいっごめんなさいっ」  ガタガタ震えて許しを請う女の子の前に立った朱殷は、先程とは全く違う優しい笑みを浮かべてみせた。 「ホントの神様、来たよ。怖かったじゃろ? ごめんね」  しかも鬼じゃし、と付け加えて舌を出した朱殷は女の子の頭を撫でて、名前を聞き出した。 「美由希はね、ケンカして飛び出して、近くのコンビニに行ったん。でも欲しいジュースがなかった。だからちょっと遠くのコンビニに行って遅くなった。そこで昔の友達と会ってもっと遅くなった。神待ちなんてしてないし、こんなトコには来た事もない。怖かった事、全部ちょうだい。目が覚めたら家の前よ。解った?」  妖力を込めた朱殷の言葉に美由希と名乗った女の子はこくりと頷いて目を閉じた。  美由希の額に掌を当てた朱殷が目に見えない何かを引きずり出すような動きをして、意識を失った彼女の身体を白群に渡した。 「記憶全部抜いて書き換えて……わざわざ見せた意味あるの?」 「ん、ある。魂に刻まれた恐怖は絶対に消えんからね。この子は二度と阿呆な事はせんよ」  穏やかに笑う朱殷は鬼化(きか)を解いて、今度は俺の頭を撫でた。 「これも鬼神の仕事。一応神様やからね」  なんでも願いを叶えてくれる都合の良い神様なんかいない。  そんな神様になる必要もない。  厳しく、魂の善悪を見極めて(ほふ)る事すら躊躇わない……それが鬼神の在るべき姿だと朱殷に教えられた気がした。 「朱殷、すまんな」 「いんや。ああいうクソみたいな男共が許せんかっただけじゃもん。長の命に背いて申し訳ない……紫苑もごめんね、エグかったやろ?」 「ううん」  ちゃんと見せてくれてありがとう、と言うべきだ。  きっと柚葉だけなら俺には見せずに処理したと思う。  もし今度があったら、もう柚葉一人にこんな事はさせない。

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