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第二十二話 落とし前

 ソファで紅茶を飲む時も、淹れ直す時も片時も柚葉(ゆずは)は俺の手を離さなかった。  翳狼(かげろう)もいるんだからと言っても、開いたままの鬼道を見つめて、閉じるまでは安心できないと、俺の意見は却下された。 「主人(あるじ)よ! 鬼道を広げてくだされ! 天翔(てんしょう)が通れぬ!」 「解った」 「えっ! 天翔!?なんで?」  部屋の中を旋回して俺の頭に着地した飛影(ひかげ)は息を整えつつ、向こうでの様子を聞かせてくれた。 「怒髪天とはあの事だ……私の話の途中から既に朱殷殿は鬼化されてな。うん、あまりの怒気に花瓶が割れたぞ……あんな朱殷殿は初めて見た。どうやら声明を出したばかりだったようでな……ああ、声明というのは、あれだ。長の伴侶、連れ合いとして副頭領の自分が認めたから紫苑(しおん)に対して敬意を払えってヤツだな。それを無視してなんたる事か、と……あぁ怖かった……」 「それで? なんで天翔が?」 「朱殷殿の命令でな、白群(びゃくぐん)殿がこちらに来られるのだ。おそらく主人と紫苑への詫びと……」 「ご報告及び周知に参りました」  顔面蒼白の白群が片膝をついて床に座り、天翔は短い挨拶を終え、また鬼道へと飛び込んでしまった。 「そんな床に座らずにちゃんとソファに座れ。お前も紅茶を飲むか? ところで被害は?」  柚葉に勧められるままに向かいのソファに腰を下ろした白群は言葉を濁した。 「なんだ? どうした?」 「いえ、それが……紫苑が目標だと知った途端に怒りに火がついて、手口を聞いてそんな卑怯な手で、と更に荒れ狂いまして……飛影に害が及ばないように朱殷を外に連れ出すのが精一杯でした……結局、物置にしている裏の納屋が一軒と梅の木が三本ダメになりました」  被害って……朱殷が起こしたモノの話だったのか。  てっきり柚葉が懸念していた山吹(やまぶき)以外の存在とか、山吹の意見に同調して俺をどうにかしようと企む者がいて、そいつらへの戒めとか、そういうのを考えていた俺はちょっとだけ気が抜けた。 「明日辺り冷静になって、納屋に何をしまい込んでいたかとか梅見ができないとか……そんな事で頭を抱えるとは思います」 「何が入っていたんだ?」 「朱殷の着物やお気に入りの花器や骨董、家具などですかね。まぁ梅の木は枯れたワケではないので時間はかかるでしょうが再び咲くでしょう……でも納屋が……」  それを聞いてくつりと笑った柚葉は白群にがんばれよ? と謎の応援を送った。 「がんばります。まぁ、先に朱殷がブチ切れてくれたので俺は冷静でいられたワケですし」  たった一日一緒に過ごしただけの朱殷がそこまで怒ってくれたというのが不謹慎ながら嬉しかった。  そして、朱殷の怒りの被害に比べるとココが無事なのは柚葉が相当我慢して怒りを抑えてくれたんだろう。でなければこの屋敷が潰れていたかも、と改めて思った。 「あの、俺、手伝いに行こうか?」 「いやいやいや、紫苑は長の傍に! あっちは使いの者が何人もいるから大丈夫だよ。それより紫苑、大丈夫か?」  怪我なんてするはずがないよと答えれば、白群は小さく頭を横に振った。 「そうじゃない。心だよ。殺されかけたんだ、平静ではいられないだろ? ムリするなよ?」  白群の言いたい事は解ったけど、俺にはあまり実感はなかった。  確かに殺されそうになったっていうのは気分が悪い。  けど、前に飛影から下剋上の事は聞いていたし、俺に仕掛けられた下剋上が正当なものではないと聞かされても、正当な下剋上を受けた事がないので、いまいちピンとこない。それに怪我一つしていないのだから余計だ。  初めて見た柚葉の姿や白群から聞かされた朱殷の怒り、部屋に飛び込んで来た時の白群の真っ青な顔……その他諸々でなんとなく山吹がやらかしたのはとんでもない事らしいって思うくらいで……。 「で? 朱殷は?」 「山吹と話をする、と。飛影から長の考えを聞いて、俺達も山吹一人の考えとは思えなくて……」 「素直に吐くかな……ま、良い。紫苑が無事ならな、それで良いんだ……」  引き寄せられて頬に柚葉の唇が当たり、低くなった柚葉の頭スレスレを巨大な影が横切った。そして一瞬遅れてものすごい風が吹いた。 「なんだ? 早かったな、もう来たのか」 「なんよ! 天翔! 長の頭狙えって言ったろ?」 「そんな無茶な! 私にはできません! いくら朱殷様の命でも長の頭を突くなど……」  首をすくめた天翔はオロオロと朱殷と柚葉を見て、落とし所を見つけた! と言わんばかりに俺を見て目を細めた。 「紫苑様、ご無事で何より」 「ありがとう。心配かけてごめんね」 「……チッ……」    飛影ならまだしも、天翔にあの勢いで突かれたら、さすがの柚葉もタダじゃすまないと思うんだけど、朱殷は天翔が飛行ルートをわずかに上げて柚葉が無傷だった事を悔しがっていた。 「しおーんっ! 大丈夫? ごめんね? 阿呆(あほう)が、阿呆で!」 「ぐるじい……」  柚葉を押し退けて抱きつく鬼化中の朱殷の腕の力が強くて、たまらず朱殷の背中をタップした。 「離せ! 紫苑が死ぬ! っていうか、お前さっき舌打ちしたろ?」 「さあ? したカシラ?」  こてん、とあざとく首を傾げた朱殷は鬼化を解いて、再度俺を抱きしめた。 「無事で良かった……紫苑が狙われたって聞いて、久方ぶりに心底腹が立ったわ! 私の言葉を無視されたからとは違うよ? 私、紫苑、大好きなん! なのに卑怯な手で……許せんじゃろ!?」 「朱殷……」  一緒に過ごしたのはたった一日なのに、と嬉しくて滲む涙を瞬きでごまかすと、朱殷はお見通しとばかりに俺の頭を撫でて、そっと耳元で 「時間やないよ? 大事なんは」  と囁いた。  俺から朱殷を引き離そうともがいている柚葉には、キッと顔を向けて 「落とし前、つけて来たわ」  と言い、無造作に手を突っ込んだポケットから布に包まれた何かを柚葉に投げた。  落とし前……なんて物騒な言葉なんだ。  お人形さんみたいに可愛らしい朱殷の口から出ると、その言葉がより恐ろしいものに感じる。  柚葉はその包みを開いて中を確認すると無言で頷き、掌で鬼火を焚いて燃やしてしまった。 「何? なんだったの?」 「角だ」  鬼神が両方の角を奪われるという事は、ただの妖魔に落とされるという事だと柚葉が説明してくれた。  通常の下剋上でさえ鬼神同士の場合は相手の角を両方奪うのは御法度で、片方残すのだそうた。片方残っていれば、その後の鍛錬や妖力の強さに比例してまた角は生えてくるらしい。そうして自分の序列に納得のいかない者は下剋上を繰り返すのだという。  そんな角を頭領または副頭領から両方奪われる場合、それは禁戒を犯した証であり、それに対する罰であり、咎他人(とがびと)の証であり、軽蔑侮蔑の対象になるのだそうだ。  そして柚葉は、そんな鬼神にとって大切な角を燃やしてしまった。 「それで? お前の事だ、角を奪って終わりじゃないんだろ?」 「ん。魑魅魍魎(ちみもうりょう)共に投げて来たわ。妖力だけは鬼神のままじゃからな。千切っても千切っても湧いて出る魍魎共の良いエサになるじゃろ」 「そうか。で? 喋ったか?」 「うーん、喋るには喋ったけど、曖昧じゃったな」  サラッと交わされる恐ろしい会話に思わず喉が鳴るが、柚葉は顔色一つ変えず、朱殷と話を続けている。 「曖昧? 例えば? 俺の予想では西洋魔術に長けたヤツが一枚噛んでいると思うんだが、どうだ?」 「私もそれは思うたん。人間じゃった紫苑を殺しかけたのも西洋魔術を織り交ぜた結界張りおったんじゃろ? ふらっと現れた下級妖魔にそんな技使えんじゃろ?」 「ああ、あの時は焦っていたのもあって、結局あいつの張った結界は引き千切るしかなかったしな」  あの時聞こえた気がした爆発音は柚葉が結界を千切った音だったのかと今更ながら納得した。 「なぁ? いくら長への色ボケ拗らせても、山吹も鬼神の端くれ。矜持はあるはずじゃ。それを捻じ曲げさせるなんて簡単じゃなかろ? なんぞ術でも掛けられとったんじゃないかと思うん。どう思う?」 「序列は何位だ?」 「知らんのん?」 「知らん。興味ない」 「あそ。元四十九位よ」  ふぅん、と頷いた柚葉は四十九位程度なら唆されたってのもなきにしもあらずだなと呟いて、新しい飲み物の注文を俺達に聞いた。 「私この花の香のするのん飲みたい!」  という事で朱殷と白群はレディグレイ。俺と柚葉はカモミールのハーブティーになった。  途中で朱殷が興味津々で俺のカップを覗くので、柚葉と白群の許可を得てからカップを渡すと一口飲んで満足そうにしていた。  もし俺にお姉ちゃんがいたら、こんな感じなんだろうか?  それは台湾でも感じた事だった。  食べ物で争ったり、飲み物を交換したり、冗談を言ったり、慰めてくれたり、俺の為に怒ってくれたり。  時間じゃないよと言ってくれた朱殷の言葉が今更ながら沁みてきた。 「何か気にかかる事は言っていなかったか?」 「んー……長への想いと恨み言、紫苑への恨み言。あとは……星がなんちゃらて」 「星? それだけか?」 「星に願いを……? 星が願いを……? そんなん言うてた」 「ふむ……星、な。それについて知っている者や他に加担している者はいなかったか?」 「ん。少なくとも序列に入っとる者は眉を顰めておったわ。信じんワケじゃないけど、手が込んどるからね……何者かの影も感じるし、皆の了解もろて頭ん中も覗かしてもろうたん。薄ら呆け〜っとしとったんのは山吹一人じゃったわ」  人の世界で(あやかし)の管理を任されるのは序列五十位まで。  その五十人の内、何かしらの影響を受けていたのは山吹一人だった。序列に入っていない鬼神や、鬼神の格ではない妖魔などへの影響は解らないので、白群がとりあえずこの館周辺をうろついている妖や妖魔の類に、この館に住むのは鬼神の頭領で、一緒にいる男……俺……は頭領の連れ合いで序列も一位。下剋上など仕掛けても決して敵わない相手だと天翔を使って知らしめに来たのだという。  俺はそれに待ったをかけた。 「鬼神にしてやるって、良く解んないけど、相当なご褒美だよね? そんなご褒美持ちかけられて複数で共有はしないんじゃないかな? 俺は弱いって聞かされてたみたいだし、だったらなおさら一人でやろうって思わない? また来るとしても一人で来ると思う。それに誰かは解らないけど、本当の狙いは柚葉じゃないかな」 「妖魔がどれだけ力を手に入れても俺達のような鬼神にはなれない……どうしても鬼神になりたかったら鬼神の血を飲み肉を喰らうしかない……ま、紫苑の場合はかなり違ったが。俺のせいだ」 「でもそれにも前に言った通り与える鬼神と受け取る者の間に確かな愛がないと成功しない……それを山吹が知らないはずはないんだが」 「騙したんじゃろ。で? なんで紫苑は誰かさんの狙いが長じゃと思うん?」 「俺を殺しても何も残らないし何の得もない。でも柚葉なら? 柚葉を手に入れるって事はさ……」  なるほどな! と膝を打った朱殷の仕草がちょっと、かなり、とても古めかしく大人びていて思わず吹き出した。 「む、笑い過ぎよ」 「ごめん」  かなり深刻な状況のはずなのに柚葉はリラックスしていて、朱殷も白群も落ち着いていた。 「じゃったら考えよ。相手の狙いが長じゃったとしても紫苑も狙われるじゃろ。長に言う事聞かせる為の人質とかな、紫苑を喪ったら長は腑抜けるじゃろし。私はあんたら二人は絶対に守りたいん。なんのかんの長は大事な幼馴染じゃし、そんな幼馴染の惚れた相手がこんなに良い子ならな。指を咥えて見とるワケにはいかん……長、お茶お代わり」 「お前、今! 大事なとか言ってなかったか?」 「ん、大事、大事! じゃから次はコーヒーにしてな」  敵わん……と呟いた柚葉は湯を沸かす為にキッチンへと行き、白群は朱殷と当初考えていた天翔を使っての喧伝は止めようと相談している。 「紫苑? またイヤな思いするかも知れんよ?」 「うん。良いよ」  序列に入る鬼神を丸め込む程のヤツに狙われている中で、俺に恐怖はなかった。  誰だか知らないけど、誰にも柚葉は渡さない。  誰にも簡単に殺されてやったりしない。  少しは俺も鬼神らしく肝が据わったって事だろうかと一人胸の内で拳を握っていると、コーヒーと一緒に朱殷用にありったけのお菓子を持って柚葉が戻って来た。 「結界も今のままで特には弄らんぞ? お前達も鬼国を空けておくワケにはいかんだろう」 「そうなん。ここが目的と見せかけて鬼国(アッチ)襲われたらたまらんしね」  どうしようと悩みつつクッキーをパリパリ食べ進める朱殷の頭を柚葉がぽんぽんと軽く叩いた。  朱殷は照れ臭そうに歪む唇でクッキーを口の中へ押し込むと無言でコーヒーカップに深く顔を埋めた。  それは柚葉が初めて見せる朱殷への親愛の信頼の感謝の表現で、何故か俺は胸の奥が温かくなった。  ぽんぽん、ずずず……を無言で繰り返す二人を柔らかい瞳で見つめる白群。  俺にも守りたいものができたんだと確信した瞬間だった。

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