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第二十四話 箱の中
……んーっふぅ……んーっはふっ……
子猫がじゃれついてくる夢で目が覚めた。やわやわと肌に噛みついてたまにチクリと爪を立てる掌に乗りそうな程小さな子猫が構ってくれと躍起になっている夢にほんわかして目を開けると、ぼやけた視線はさらりと流れる愛しい紫苑 の髪が揺れていた。
未だに俺が寝ていると思っているのだろう、首筋に吸い付いてちゅうちゅうしている。
一生懸命な紫苑の首根っこを優しく掴んで笑いを噛み殺しながら
「どうした? 吸血鬼にでも転職するのか?」
と聞くと寝起きのぽやっとした表情 で照れ臭そうに唇を尖らせて
「がんばってた」
と答えて再び俺の腕の中に戻ってきた。
何をがんばっていたのかと問えばキスマークをつけていたのだと言う。自分の胸元にちらりと視線を落として不公平だと言うのだ。
「俺ばっかついてる」
その言い分があまりに幼く、おかしいやら可愛いやらで、俺は紫苑の角にキスをしつつ
「ん? そうか? じゃあもっとがんばらないとな? 背中にも内腿にも腰にも俺はつけたぞ?」
そう告げると、ぱちくりと瞬きをして首を捻って背中を見ようとした。
「ホント?」
「ウソ言ってどうする」
ここにも、ここにも、ここにもと紫苑からは見えない背中につけた痕を指で軽く押していくと、紫苑は吹き出しつつ
「ホント? いっぱいだね!」
と満更でもなさそうな表情を浮かべた。
昨夜、紫苑のむき出しの想いを受け止めた俺は正直なところ有頂天だ。
紫苑は昔から不平不満を自分の中に溜め込んで目を瞑るクセがあるから、全て筒抜けの状態と鬼化 の影響もあり、抑制できない強い想いが流れ込んで来て、紫苑の本音が知れて嬉しかった。
“俺から柚葉 を奪 らないで!”
流れ込んで来た感情は全てではないだろう。俺から紫苑へと流れた想いもまた然り。
それはこれから言葉や態度そして想いの交流で補っていけば良い。
俺達はこの世が滅ぶまで永遠に共に在るのだから。
ふぁあ、と欠伸をする紫苑も昨夜でずいぶん吹っ切れたのだろうと思う。
何せこの俺に。
「ん? 何? 何笑ってんの?」
「ふふ、いや紫苑もなかなか怖いなって」
何それ? と腕の中でもぞもぞ動く紫苑に、俺を殺すって言ったんだよと教えるとピタリと固まった。
「あと中に出さなきゃ殴るとも言われたな」
「えっ! そっ」
理性なんてぶっ飛んだ状態だったから覚えちゃいないだろうとは思うけど、だからこその本心でもあるワケで……。
「……ぅー……殴る……殴るよ、そんなの。外に出されたら俺、今までの人達とまるっきり一緒じゃんか……」
慌てる紫苑が可愛くてにやけかけた頰がその言葉と俺の胸に額をぐりぐり押し当ててる切な気な仕草に引き締まった。
「一緒のワケないだろ!」
欲の発散と紫苑は違う。
断固違う。絶対違う。
俺は伝え方を間違えた。
心を伝えるより先に身体での結びつきを与えてしまった。
愛に不慣れな紫苑の陰に付け込んで、愛を囁いて身体を開かせ、漠然とした愛という言葉で紫苑を縛りつけた。
それを俺に後悔する権利はないと自覚している。
どうしても手に入れたかったのだ。手段なんて構っていられなかった。
けれど俺は紫苑にそんな愚行も含めてきちんと向き合わなくてはならない。
「紫苑、聞いて」
「……ぅ?」
「俺はお前の不安を取り除いてやりたい。だから教えてくれ。俺はどうしたら良い?」
額を押し当てる事も止めた紫苑は深呼吸を一つして真剣に考えている。
考え過ぎてついにはうーうー唸り出す程に。
「……ぅぅ……じゃあ、柚葉の秘密が知りたい……」
「秘密? ないぞ? そんなもの。聞きたい事があるならなんでも答えるぞ?」
「違う。あの箱……アルミ缶……結界張ってあるヤツ。でもダメなら良い……」
あの朱殷 が菓子と間違えた挙句エロ本か何かと勘違いして騒いだヤツか……。
紫苑も勘違いしたままなんだろうか……誰にも見せられないとても大切な物には変わりないけれど、な。
「……ダメならホント良いから……」
「持っておいで」
言い出したくせに躊躇 う紫苑の髪をくしゃりと乱して促すと、おずおずと俺を見上げて、叱責されるんじゃないか、何故叱責されないんだと二つの感情で揺れているのが解った。
それでも好奇心には勝てず、箱を手にして戻った紫苑を脚の間に座らせて、背後から抱きしめた。
「コレ……秘密なんかじゃないぞ? ただあの時は朱殷とかいただろ? あいつらの前で開けるのがもったいなくて」
「もったいない?」
気遣わし気に振り返ろうとした紫苑の首に唇を寄せてぎゅっと抱いたまま、右手をかざしてアルミ缶の結界を解いた。
「秘密じゃなくて思い出。すごく大事な思い出なんだ。だからあいつらにからかわれたくなかったし……開けて良いよ」
すごく大事なってところで紫苑の喉が鳴った。抱きしめている腕からはやたらと早い心音が聞こえる。
しばらく腿の上の箱を眺めていた紫苑は意を決したようで、蓋に手をかけた。なかなかに年季の入ったアルミ缶は結界のおかげか大した傷みもなくペコンとマヌケな音を立てて蓋が外れた。
「え……」
ガサガサと中を漁る紫苑の手が忙しなく動き、そして止まる。
「これは確か工作の時間に藤田先生? に教えてもらった手裏剣……で、こっちはお楽しみ会で使った切り絵で、これは裏庭だな……」
惚けて何も言わない紫苑に一つ一つ説明していく。
「なんで……コレ……」
「ああ、それは紫苑が金賞もらった絵だな。破かれてしまったので飛影 に集めさせて、俺が貼り合わせた。俺が妖力でどうにかできるのは生命のあるものだけだから……すまんな、テープで」
もっと上手く直したかったと独り言ちると、小さく頭を振って
「ありがと」
と呟くのが聞こえた。
俺が欲しかったんだと言うと、鼻をすすって笑うと次の画用紙を取り出した紫苑は
「うわ、俺下手っぴだなぁ」
と苦笑いをして、胴に回っている俺の手首を掴んだ。
黒いクレヨンで描かれた頭部と緑のクレヨンで描かれた目。
周りにケーキやジュースが描き込まれているのは俺がおやつに出したのだろう。
画用紙の端に『だいすき な ゆずは』『しおん より』と子供らしい金釘文字で書かれている。
「こんな……ガキんちょの……後生大事に持ってなくても……」
「後生大事だよ。ほら、これも俺を描いてくれてる。隣にいるのは紫苑だろうね」
「ああ! これには団子描いてる!」
「一緒にみたらし団子を食べたんだ」
「ふへっ覚えてないや……」
「口の周りをべちょべちょにしてなぁ。二段目から串が邪魔でどうやっても食べられないって泣くから……」
「泣いたの? そんな事で!?」
「串から外して俺が口に運んでやったら泣き止んで、もぐもぐしながら涙溜まったまんまの目で、おいひーねって笑って。泣いて笑って忙しいなぁって。でもそれがすごく嬉しかった」
飛影からの報告では紫苑は家では泣きも笑いもしないで親の顔色を伺ってばかりだと聞いていたから、俺の前で年相応の子供らしい反応を見せてくれるのは本当に嬉しかった。
肩車をすれば高い高いとはしゃいだし、遊び疲れればその場でこてんと寝てしまったり。
気紛れかと飛影に問われ、俺は寝入った幼い紫苑の柔らかい髪を撫でながら……。
「今も。守ってやりたいと思う」
ぎゅっと抱いた腕に力を込めれば、紫苑はずずっと鼻をすすって、息を深く吐き出した。
「守ってくれてた……今も昔も。こんなの……残ってるなんて思ってなかった……」
指先に移ったクレヨンの微かな汚れに紫苑がくすりと笑う。
「母さんにとってはゴミだったんだよ?」
「俺にとっては宝物だ。特にこれとこれ。あぁ、これもだ」
ベッドに散乱した画用紙から緑の目の人物が描かれた物を紫苑の前に並べた。
「誰が鬼の似顔絵なんて描いてくれる? 初めてだったんだよ。嬉しかった」
真っ直ぐな子供の目に自分がどう映るのかが恐ろしかった。
それでも真剣な表情で俺と画用紙を見て一生懸命クレヨンを操る紫苑の前から動く気にもなれず。
でけた! と差し出された画用紙に菓子ばかり描いてあるのには笑ったが、いつも添えられる一言に心を鷲掴みにされた。
ありがと
だいすき
またくるね
「大切なんだ」
「うん……」
「まだ不安で怖いなら……」
俺の角を奪えば良いと伝えると、紫苑は意味が解らないという目で俺を振り返る。
両角を失えば俺は鬼神ではなく、ただの妖力の桁外れに強い妖魔になる。
序列一位の座はそのままで、使い魔との契約は主人 側からしか解除できない。だから紫苑が望む間ずっと妖魔になった俺を使い魔にすれば良いと言うと紫苑は下唇をギッと噛み締めて
「そんなの望んでない」
と唇の間から苦しそうに絞り出した。
俺はどうやらまた間違えたらしい。
「ずっと柚葉の特別でいたいんだ……でも俺は鬼神や妖魔の世界の事も解ってないし、鬼化 だってまだマトモにできないし……だから自信がなくて……今もこうして柚葉に八つ当たりしてる……」
「可愛い八つ当たりだな」
「そかな? こんなの残してくれて嬉しいのに、俺、ガキんちょの俺にも嫉妬してる……俺は最初柚葉の事をマオって呼んでたのにガキんちょの俺はしっかり柚葉って呼んで、ちゃっかりおやつまでもらってる。なのにみたらし団子覚えてないとか最悪……!」
ごちゃ混ぜの不安は抱きしめているだけでも伝わってくる。
抱きしめて、キスをして抱いて……それで紫苑の不安が消せるとも思えない。
「どうしたい? どうして欲しい?」
「……解らない……」
「じゃあ……また絵を描いてくれ。風景でも似顔絵でもなんでも良い。クレヨンを握る紫苑は楽しそうで幸せそうに笑ってた。だからずっと今度は俺の隣で絵を描いてくれ」
「……そんなんで柚葉の特別でいられるの?」
掠れた声は不安の証だろうか。
伸びた髪を掻き分けて首の付け根に吸いつくとピクリと紫苑の身体が揺れた。
「別に描かなくても特別だ。けどな? 少しでも紫苑には幸せでいて欲しいし、笑っていて欲しいと思う。まあ俺の我儘だ」
そんなのでと紫苑は言うが、俺からしたらかなり大事な事だ。
人間としての全てを奪ってしまったのだから、せめて紫苑が好きだと思う事をして欲しいと願う俺のエゴ……。
ふっと息をついて、紫苑の細い肩に顎を乗せた。
また間違えそうだ。押し付けてしまいそうだった。
それじゃダメなんだ。学習しろ、俺。
「無理強いはしない。紫苑がやりたいって思う事をして欲しいだけ」
「うん……描けるかな? 授業でしか描いてないし……でも……」
「ん? でも?」
ぴらっと画用紙一枚を手にした紫苑が鼻の頭に小さな皺を刻んで
「コレよりは上手に描けると思うよ?」
と頭でっかちでやたらと目の大きな“ゆずは”を指差して苦笑いをした。
そしてゆっくりと体重を預けてきて、描きたいよ……良いのかな……と呟いた。
「じゃあ出かけようか? その前に風呂入る?」
「え? 出かけるってどこに? 風呂? あっ」
途端に俺達が未だに全裸だという事や、何故全裸なのかを思い出した紫苑はおもしろいくらいに一気に赤くなった。
「画材が要るだろう? 俺じゃどれを買えば良いのか解らないし……紫苑が水彩画をやりたいのか油絵をやりたいのかも解らない……そもそもどんな道具があるのかも解らない。だから一緒に買い物に行こう」
「……欲しい……ホントに良いの?」
母親からクレヨンを捨てられて以降、必要最低限の色しか与えられず、家では絵を描く事も許されず。
新しい母親からも……飛影が言うには他の子供の半分の色しか持っていない、との事だったから無関心を貫かれたのだろう。
いつしか紫苑の中で描く事はいけない事になってしまったようで、俺はそれがすごく悲しいのだ。
「欲しい! 嬉しい! 早く行こう?」
不安に揺れた瞳が今は輝いて、期待と興奮で頰までピカピカだ。
「行くってどっちだ? 風呂か? 買い物か?」
嬉しそうな紫苑につられて笑ってしまう。
「え? 先に風呂! どうしよう! 鬼化が解けないと出歩けないよぉ」
角を両手で押さえて、今度は困った時の八の字下がり眉だ。
表情が良く変わる。それが嬉しい。
「とにかく風呂だな。鬼化は……そのうち解けるだろ?」
「準備して来る!」
大急ぎでベッドから飛び出そうとする紫苑がぐちゃぐちゃにしてしまわないように俺はベッドの上に散らばった思い出を掻き集めてアルミ缶に結界を張った。
「柚葉捨てないの?」
「捨てない。言ったろ? 大事な思い出だって。これをもらってからずーっと俺は紫苑だけ見てたんだから……紫苑? 風呂は?」
あっと声をあげてパタパタと駆け出した紫苑を見送って、そう簡単に朱殷に見つかりそうにない場所へと隠す。
絵の具を与えたからといって紫苑の不安が消えるワケではない事は百も承知だ。
ただ笑っていて欲しいという……俺の傍で好きな事をして欲しいという……結果としては俺のエゴ。
近付く足音と勢い良く開いたドアから覗く紫苑の笑顔に頰が緩む。
「早く! 柚葉! 早く!」
急いても鬼化が解けなければ……という不粋な事は口にしなかった。
そんな事で紫苑の笑顔が曇ったらもったいないだろう?
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