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第二十五話 溢れる色彩

※紫苑視点になります  夕方になってやっと鬼化(きか)が解けて、もう遅いから買い物はムリだなって諦めかけた俺の手を引いて柚葉(ゆずは)翳狼(かげろう)を伴って裏庭に出た。 「飛影(ひかげ)! ちょっと出て来るからな? この結界の中にいろ。翳狼、鬼道を開く。疾ってくれ」 「承知」 「むぅ、また置いてけぼりか」  ぶすけて俺の髪をヤケクソで引く飛影に 「置いてけぼりじゃなくてお留守番! お土産買って来るから!」  と半泣きで訴えて宥めて、どうにか髪から嘴を離してもらった。 いつかハゲる気がする……。 「柚葉? どこ行くの?」 「一番大きな画材屋だ」  この街じゃない事は確かだ。  きっと一応捜索願は出されているだろうし、知り合いに会うかも知れないし。だとすればどこだろう? 「紫苑(しおん)様、どうぞ?」  伏せの姿勢で俺を待つ翳狼が顎で背中を指すと、そこには既に翳狼に跨って妖力の糸を編んで手綱のような物を作っている柚葉がいた。 「おいで、紫苑。早く行こう」 「うん!」  ふかふかの翳狼の背に跨って、背後は柚葉に守られて。どこへ行くのかは知らないけれど、嬉しくて仕方がなかった。  ガキんちょの頃のヘッタクソな折り紙で作ったガタガタの手裏剣とか、バランスの悪い似顔絵をずっと大事に保管していてくれたのも嬉しかったし、何より言葉に妖力を込めたりせずに、真正面から俺の上手く言葉にもならないぐちゃぐちゃの八つ当たりに向き合ってくれたのが嬉しかった。  結局のところ、多分解決には至っていない。 また何か些細な事で俺は柚葉や俺自身に当たると思う。  俺は弱いし、左手に柚葉とお揃いの指輪を嵌めた今も、本当に俺で良いのかなって迷いがないワケじゃない。  それでも柚葉の言った永久不変って言葉と白群(びゃくぐん)の言葉は信じたい。 「主人(あるじ)様、落ちぬようにしっかりと紫苑様を抱いておられよ」  言うが早いか、翳狼は信じられないスピードで真っ暗な鬼道の中を駆ける。顔を伏せていないと呼吸も苦しいくらいの速さに柚葉の編んでくれた安定感バッチリの手綱と後ろから回された柚葉の腕にしがみついた。  翳狼の背にしがみついていたのは何分くらいだったろう。徐々にスピードが落ちて、柚葉と会話を交わしている。 「主人、この辺り……」 「ああ、そうだな」 「え? な、に?あ……」  暗い鬼道の終わり。渦巻く(もや)の向こうに気配を感じる。気付いたか?と言う柚葉に頷く。 「なんかイヤな感じ」  生きた人間の気配じゃなさそうだけど、だとしたら(あやかし)の類なんだろうか? 判断できなくて柚葉を振り返ると、大きな掌が安心させるように俺の頭を撫でた。 「そのイヤな感じが妖だ。おそらく下級から中級の間ってトコだろう。大丈夫、紫苑には指一本触れさせないよ」 「ん。大丈夫。妖のトップの攻撃でさえ跳ね返しちゃったんだよ? 柚葉が守ってくれる」  左の薬指から溢れ出る柚葉の莫大な妖力がバリアのように俺を包んでいるから、俺も安心して柚葉にもたれかかった。  こういうのがなくても自分一人くらいちゃんと自分で守れるようにならなきゃダメなんだろうなぁ……とは思うけど、結婚指輪だから絶対外さない。 「主人よ、もしもの時は私がいただいても?」 「ああ、ずいぶんと疾ったし、阿呆(あほう)共だったら腹の足しにしてくれてかまわない」  鬼道が終わる寸前……人間の世界が薄っすらと透けてゆらゆらと見える地点まで俺達を降ろした翳狼は柚葉に命じられる前にすぅっと俺の影に消えた。 「行こうか」  柚葉に肩を抱かれて明るい世界に出た途端柚葉が盛大な溜め息をついた。  三つの影が揺れて、人の形になっていく。なるほど普段妖は人目につかないようにこういう形態なのかと納得していると、いきなり影が飛びかかって来た。 「うへへメシだっ! すげぇ妖力だぜぇ」 「オレ、オレこっちのガキ! 柔らかそう!」 「こっちは三人だ! 食おうぜ食おうぜ! こんだけの妖力なら一気に妖魔に格上げだぜぇ!」 「……ヒャッハーだ……」  俺の腕を掴もうとした妖の上半身が消えた。 もちろん翳狼の口の中に。咀嚼される仲間を見捨てて俺達に背を向けた二人はその場で足踏みをするだけで、ちっとも進めていない。  腰でも抜けたのかと思ったけど違うようだし……と柚葉を見ると、細い糸を操って二人の胴体を拘束していた。 「おい、ヒャッハー共! いきなり無礼過ぎるだろう? しかも相手を見る知能もないか……悪いがメシはお前達の方だったな……ところで紫苑? ヒャッハーってなんだ?」  思わず洩らした一言に食いつかれて、俺は自分でも正確には理解していないヒャッハーをどうにか説明する。 「ふむ。要は思慮が足りぬ粗暴な阿呆という事だな?」  そ、そうなのかな? 俺はその解釈に頷いて良いのかな? と悩んでいると最後の一人に近付いた柚葉がしゃがみ込んでその男の顔を覗き込む。 「ゆ、ゆうひて……ゆる、してくらさ……消えたくな……」  マトモに舌も回らない男に柚葉は 「残念だったな? 最期に教えておいてやろう。俺達は鬼神。序列は一位だ。紫苑に襲い掛かったのも失敗したな? あれは俺の連れ合いだ。というワケで、死ね」  と愛を囁くように低く甘い声で現実を告げた。 「とっとうりょー」  なんともマヌケな最期の声を鼻で笑って、隣に戻って来た柚葉は優しく大丈夫? と俺に聞く。 「平気! ここどこ?」  キョロキョロと辺りを見回して、鳥居を見つけた。 「神社?」 「ああ。ここの社の(ヌシ)はもういない。だからあんなヒャッハー共が平気でここにいられる」 「神様、いないの?」  寂れた神社だった。草は生え放題の枯れ放題で、朱塗りの柱も剥がれてしまっている。鈴もなくなっているし、しめ縄もボロボロで変色している。  生気や活気は全く感じられなかった。 「人間が必要としなくなった神はいずれ消える」  哀しそうな声音に思わず柚葉の手を握りしめた。 「柚葉の知ってる神様だった?」 「ん? あぁ。何故?」 「哀しそうだから。あ、ヤキモチじゃないよ?」  そう付け足すと柚葉はくすりと笑って俺の髪を乱した。 「ここは狐がいた。なかなか酒が強くて、気も強くて。今はどこにいるんだか」  空を見上げた柚葉の顔は俺からは見えなかった。 「ま、再び人間がここの存在を思い出し、狐を祀る事を思い出せば帰って来るさ。さ、紫苑行こう。店が閉まるぞ?」  神様の世界は俺の知らない事がいっぱいだった。それを問うより先に柚葉が歩き出して、俺はなんとなく手を離したくなくて、指を絡め直して隣に並んだ。 「うわぁ……すご……柚葉、すごい! 色がいっぱいだ!」  連れて来られたのは本当に大きな画材店で、今まで文房具店で眺めていた画材の何倍もの色があちこちに散らばっていた。 「何をお探しですか?」  店の奥から出て来た小柄なおじいちゃんに聞かれて、何が欲しいのかまで決めていなかった自分に初めて気付いた。 「絵を描くのに必要なモノを全てくれ」  なんていう漠然とした柚葉の要求に目を丸くしつつも、店主は儲けに目を眩ませず、俺の話を聞いてくれた。  絵を描きたい事。  学校の授業でしか描いた事がない事。  当然ながら絵の具は水彩しか使った事がない事。  油絵にも興味はあるけど難しいんじゃないかなって迷ってるって事。 「絵が好きかね?」 「色が好き、です」 「じじいが選んでみようかの」  ふぉふぉふぉ、といかにもご隠居って感じの笑いを残して店主は一旦奥へと消えて、店内を何周も回って、店主が戻って来る度に様々な画材が積み上げられていった。 「これはアクリル絵具。乾くのも水彩絵具より早いし乾けば耐水性があるよ。油絵みたいに重ね塗りもできる……これはパステル。聞いた事くらいあるかな? 削って使うんだよ。これはコピック。入門セットがあるよ? これはね……」  積み上げられていく画材を前に俺はぽかんと口を開けて店主の説明を必死に頭に留めようと努力した。  が、頭が爆発しそうだった。  目の前に並んだ色彩に圧倒されて、それらを自分が上手く使える自信もなくて、おろおろと柚葉を探した。 「どうした? 決まったか?」 「いっぱいで……!」  どうしようと頭を抱える俺に微笑みかけた柚葉は店主の前にもかかわらず俺を抱き寄せると、画材の山を指差して一言で俺の悩みを終わらせた。 「柚葉待って! ちゃんと使えなかったらもったいないよ!」 「大丈夫だよ、坊ちゃん。絵に絶対はないんだから、好きに組み合わせて好きな色を楽しめば良い…油絵にもいつかは触れてみて欲しいけど、今日はこれを持ってお帰りなさい。じじいがプレゼントしてあげるから」  油絵入門、楽しい油絵、一から始める油絵の三冊の本を大きな紙袋に入れてくれた。 「紫苑持てるか?」 「ぅ、大丈夫」  たった一言。  全部だ、と店主に告げた柚葉はすぐに筆も画用紙も必要なモノを全てくれと言い足して、入り口の辺りを指差して追加の注文までしていた。  まさかこんなに大量に買うとは思わなかったのだろう、店主も袋詰めに計算にも大慌てだった。  レジが信用できずに算盤(そろばん)まで弾いていたから、相当に慌てていたと思う。 「また来る」  と柚葉が言った時の店主の笑顔は上客を得た商売人の笑みかと思ったら、やおら俺に近付いて 「合う合わんがあるから、次に来る時は坊ちゃんの描いた絵もじじいに見せておくれ」  と柔和な表情で話しかけてくれた。  ただその言葉がすごく嬉しくて、柚葉の手をぎゅっと握った。  そして今。何度も柚葉に重くないか? 持てるか? と聞かれながら、すっかり日の暮れた道を歩いている。  柚葉が持ってくれている紙袋の方が大きいし底が抜けないように二重だし、絶対に重いはずなのに、俺を気にする事を忘れない柚葉の優しさが温かかった。 「失敗したな……先に食事にでも行けば良かったな?」 「でも食べてたらお店閉まっちゃ……あー! 大変! どうしよう! 飛影へのお土産! 忘れた!」 「あぁ、すっかり忘れていた……やっぱり怒るかな?」  怒るよ、絶対に怒る。  また髪の毛引っ張られて嘴で突かれて、ついでに爪で引っ掻かれて……想像するだけで頭皮が痛くなってくる。 「柚葉より先に俺がハゲるかも知れない」  ぷっと吹き出した柚葉は俺の手を握り直して、寄り道しようと楽し気に歩き出した。 「お茶請けを買って帰ろう……それなら飛影もきっと許してくれる」  ね? と歩き出した柚葉の綺麗な容姿はクリスマスイルミネーションで飾られた街に良く映える。  すれ違う人の視線が痛いけど、やっぱりこの手は離したくなくて。  そんな俺の気を知ってか知らずか柚葉は電飾の巻かれた木々を見上げて派手だなぁ……なんて呑気に呟いて、でも綺麗だなって眩しそうに目を細めて……俺はイルミネーションよりも柚葉に見惚れた。 「柚葉……」 「ん?」 「こんないっぱい、ありがとね!」  今までは渡された小遣いから授業で使う絵の具や道具を買う金を捻出していたから、百円ショップの二十四色が精一杯だった。百円ショップのだからって事はないだろうけど、すぐに固まってチューブから出てこなくなったり、チューブ自体が途中で折れたりした。ダメになった一色の為にまだ使える二十三色が増えるのがもったいなくて、使えなくなった絵の具は諦める事が多かった。  友達に何度も持っていない色を貸してと頼むのも心苦しく……返せないんだから実際にはちょうだい、を言うのはツラくて、新学期辺りによく耳にした 「三十六色買ってもらったんだ!」 「良いなー!」 「私も買ってもらったぁ!」  っていうはしゃいだ声には聞こえないフリをした。  それが今はどうだ。一人じゃ抱えきれない程のたくさんの色を手に入れた。  わくわく、する。  一番に何を描こうかと考えるとわくわくして仕方がない。 「こーら紫苑。ウルウルしてるぞ? また泣くのか?」 「泣かない! でも、ホントにありがと!」  俺はすっかり子供に帰ったような気分だった。  折れたクレヨンを次に行った時には用意してくれていた柚葉。  あの頃からずっと柚葉は俺の味方だった。 「早く飛影にお土産を買って帰ろ?」  山盛りのみたらし団子と饅頭とイチオシだと言われた菓子をあれこれと詰めてもらって、そんな俺達を影の中から翳狼が苦笑いして見ているのが伝わってきて、柚葉と二人顔を見合わせてこちらも苦笑いをした。 「これはこれは……なかなか重いですぞ?」  とからかう翳狼は獣の瞳をキュッと細めて、喉を鳴らしながら 「良かったですね、紫苑様」  と尻尾をパタパタ振って頰を舐めて一緒に喜んでくれた。 「帰りは少しゆっくりでも?」 「かまわん。いや、紫苑は早く帰りたいかもな? 荷解きを早くしたいだろう?」  そりゃしたいけど。でもゆっくりで良いからねと翳狼に返事をして、薄い靄の道を進む。  五階の使っていない一部屋を掃除して作業部屋にしよう。椅子とテーブルも新調しようかと計画を立てる柚葉の声も楽し気に弾んでいて、翳狼もまた買い出しに連れて行ってくれると約束してくれた。  裏庭に開いた鬼道から抜けた俺はふかふかの背中から降りるのが惜しいなと思いつつも、紙袋の重さに頰が緩んで仕方がない。  柚葉も翳狼を労いながらも微笑んでいる。 「ありがと、翳狼!」 「紫苑様の笑顔のお手伝いができれば幸いでございます」  ふぁさふぁさと動く尻尾のおかげで翳狼の本心が解って助かる。  また影に入って守ってくれる翳狼に俺も感謝を伝えた。 「紫苑? コレを」  二人切りになるのを待っていたかのように差し出された俺の知らない綺麗にラッピングされた箱。リボンまで掛けてある。 「選んでいないようだったから……」 「えっ何? 開けも良い?」 「もちろん」  部屋まで待てなかった俺は裏庭の縁側風テラスで包みを開けた。  逸る気持ちを抑えて、包装紙を破いてしまわないように気を付けながらテープを剥がして……手が止まった。 「気に入らない?」 「そんな……嬉しい! ありがとう! こんなすごいの! ありがとう!」  ありがとう以外の言葉が全く出てこない。こんな時はなんて言うんだ? 「泣くなよ」 「泣いてないって!」 「そうか? 五百は取り寄せになると言われたから、とりあえずコレで許せ」  イタズラを成功させた子供みたいな表情(カオ)の柚葉にキスをされて、もう一度手中に視線を落とす。 「充分過ぎだよ……ホントにいっぱいだ!」  箱を胸に押し当てて、鼻をすすると今度は自分から柚葉に唇を寄せた。  百色の色鉛筆。  美しいグラデーションに、名前も知らない色がたくさんある。  パッケージの表を見て裏を見てを繰り返し、色の名を口にする俺を見る柚葉は満足そうだ。 「……なぁ、そろそろ私を思い出さぬか?」  寂しそうにぴょこぴょこ木の陰から出て来た飛影は首を振り振り小さな歩幅で近付いて来つつも恨み言を続ける。 「ちゃんと紫苑の言うお留守番をしておったのに、帰って来たと思うたら大荷物じゃわ、翳狼に抱きついておるわ、二人していちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃ始めて私を思い出す気配もない……グレるぞ?」 「忘れるワケないじゃん! お土産買ってきたよ! 飛影、一緒にお茶をしよう?」 「むむっお土産……ホントに?」 「ん。なんかすごくお高い和菓子屋さんのお菓子。飛影も食べれるかなって柚葉と相談しながら選んだんだ。きっと美味しいよ?」  飛影にグレられてはたまらない。  俺の頭皮と毛髪の危機だ。 「お菓子……ふむ、お菓子……よし、その大荷物、運ぶのを手伝うぞ!」 「重いよ?」 「大丈夫だ。主人が石に妖力を込めてくれただろう? ありがたい事に色々と力が増したのだ!」  ばさりと羽ばたいて一気に距離をつめた飛影は首をくりんくりん動かし、それなりに重さのある菓子の包みを掴むと楽々と飛び立った。 「な? 紫苑すごいだろう? 何往復でもできるぞ!」  カカカと鳴き声とも笑い声ともつかぬ声をあげ、館の中へと消えて行った。 「私もお手伝いしましょう」  ヌッと頭を出した翳狼に柚葉が休んでいろと告げた。 「お前の方が一気にたくさん荷物を運べるから飛影が拗ねてしまう。な? お茶の時に顔を出して飛影をおだててやってくれ」  くつくつ笑う柚葉につられて、俺も笑って翳狼にお願いをする。  あんなに張り切っている飛影がしょんぼりするのは見たくない。 「しおーんっ次はどれだ!?」  遠くからでも解る程の弾んだ声にサッと影に入ってくれた翳狼に心の中で感謝しつつ、飛んで来る飛影に手を振った。 「いーっぱいあるよ! 飛影がんばって!」 「ふふ、任せるが良い、紫苑。私は本当に力持ちになったのだ!」  誇らし気に胸を張るその姿をいつか描いてあげよう。

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