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第二十六話 黒い翼

 高級和菓子屋の菓子が次々と消えていくのを俺達は黙って見ていた。 「美味しい?」 「ん」  こくんと頷く朱殷(しゅあん)の食欲は今日も旺盛だ。  入れ代わった序列の報告に来た彼女は目ざとく和菓子屋の紙袋に気付き、そそそと俺の隣に腰を下ろした。 「なっ!? しーおんっ!」  解るじゃろ? と俺の服の袖を引く朱殷の頭にこつんと軽いゲンコツを落とした白群(びゃくぐん)も俺の隣に座った。無言だけど眼差しだけで伝わってくるものがある。  朱殷と白群に挟まれて、身動き取れずの俺は柚葉(ゆずは)にお願いして現在お茶会真っ最中だ。 「んでも紫苑はホントに手先が器用なんね! ね? 見せて?」 「いや、買ってもらったばっかだし、まだ開けてないのもあるし……」 「そんなにいっぱい?」 「うん!」  床一面に買ってもらった品物を並べて、改めてあまりの多さと美しさに溜め息を零す俺を柚葉がベッドの上から呼んだ。  ここで店を出してどうするんだ? って笑って、俺も笑ってもうちょっと待ってって答えたのに……ベッドに引きずり込まれて……いたしたワケだ。  すっかりテンションの上がっていた俺はいつも以上に柚葉に甘えて、蕩ける頭の中でいつも一番になくなるのは何故緑色だったのかを理解して……もっともっと甘えて……。 「なん? 紫苑にやけとる」 「ふぇ? んな事ないよっ」  ピンクの記憶を振り払い、和菓子に合う玉露で口を湿らせた。  そんな俺を柚葉も朱殷も白群もなんとも言えない生温い目で見ている。 「で? 何を描くん? もう決めた?」 「うん……決めた。実はもう早速下絵描いてて、早く色塗りしたいなって思ってて……」  授業で習った絵画の基礎を思い出して、まっさらな画用紙に楕円形を一つ。その中心に縦線と横線を引いて。  今度はもう少しマトモな、もう少しバランスの良い柚葉が描きたいな、なんて思ったりして。 「そうなん!? 完成したら見せてねぇ! 紫苑、ホントに楽しそうで私も安心じゃわ」  饅頭の次は団子に手を伸ばす朱殷が白群に同意を求めた。  白群も煎餅を(かじ)りながら頷く。 「得体の知れない輩に狙われて、さぞ気も張るだろうと心配していたんだが。大丈夫だな?」  確かに狙われている。俺の予想では相手の狙いは柚葉で、俺は柚葉に言う事を聞かせる為の人質的な扱いだろう。  あの神社で(あやかし)に襲われたのは百パーセント偶然だ。  偶然じゃなかったとしても、あの程度じゃ俺も柚葉も傷一つ負わない。 「面倒だから、来るなら来るでさっさと来て欲しいもんなんだがな……こればかりは向こうさんの出方待ちだな。厄介事は年内に片付けたかったんだがな」 「んー、年の瀬じゃし大掃除とか色々あるから来んで欲しい気もするけどな」  そう言う朱殷は壊した納屋の事でも思い出したのか苦い顔をした。 「はぁぁ……なぁ辰臣(シンシン)、いっそ年越しはここでしようか? それじゃったら私らも安心じゃし」 「……あ、あーそうだな! それ良いな! 名案だ! 紫苑の無事を確認できるし」 「お前ら現実逃避に紫苑を使うなよ?」  呆れ声の柚葉の言葉に朱殷の頰が膨れた。白群は頭を掻いてあらぬ方向を見ている。 「お前らの魂胆なぞ丸解りだ、バカ者。どうせアレだろ? 掃除は使いの者に任せて、ココでのーんびり俺に茶を淹れさせて、紫苑にちょっかいをかけて、年越し蕎麦と雑煮がたらふく食いたいんだろ?」 「あとお汁粉とミカンもじゃな! あっ!」 「ほれ見ろ……」  大げさに額に手を当ててこれ見よがしに溜め息をつく柚葉に朱殷の頰は更に膨れた。 「ダメなん? 紫苑、イヤなん?」  俺を見上げる朱殷の顔はまん丸でへの字口。袖口をちょいちょいと引っ張る仕草は幼い子供のようだ。 「お前ら、せめて酒と肴くらい持って来いよ? あと紫苑をあまり苛めるなよ?」  笑いを含んだ柚葉の声に、朱殷は髪を揺らして立ち上がって次のお茶の準備をしている柚葉を見つめた。 「長、それって!」 「賑やかな年越しも良いだろう……どうだ? 紫苑?」 「賑やか……?」  柚葉がいて朱殷がいて白群がいて。  飛影(ひかげ)翳狼(かげろう)天翔(てんしょう)もいる。  きっと大騒ぎだ。  楽しそう!  うんうん頷く俺の手を取った朱殷と白群が、やったー! と本当に子供のようにガッツポーズまで作ってはしゃぐのもおかしかった。 「花札しよな?」 「え? 花札?」 「知らんのん?」 「うん……トランプならちょっとは解るけど」 「なら百人一首は?」 「……すみません、無教養で……」 「なら教えてあげるわ!」  ご機嫌になった朱殷には悪いけど、今から正月までの間に百人一首を暗記できる自信はない……あ、その方が良いのか? 俺がモタモタしている間に朱殷がいっぱい取れたら、きっとその方が良い気がする。 「あ、やっぱ百人一首はやめよ。代わりにカルタにしよ! 犬も歩けば〜棒に当たる〜みたいなヤツ」  パチパチと掌を合わせながら楽しそうにはしゃぐ朱殷に羽根つきもする? と聞くと眉間を人差し指で擦って 「うんにゃ、アレ……バドミントンが良い。ビュンッビュン飛ばすん楽しいよね!」  と何か引っかかる一言を発して、可愛らしく、うふふと笑った。  はたしてバドミントンとはビュンッビュン飛ばすモノだっただろうか?  ラリーをしばらく楽しんだ後にタイミングを見計らって決定打を打ち合うんじゃなかったっけか……仲良くやるなら少しでも長くラリーを続けたいものじゃないのか……。ひょっとして朱殷の言うバドミントンと俺が思っているバドミントンは違うのかも知れない。 「俺はババ抜きと大富豪ならできるぞ!」  と何故か得意そうに胸を張る白群に朱殷は唇を尖らせて 「辰臣はズルいもん。大富豪、勝てんもん」  と必死に俺に訴えかけてくる。  ズルだ、ズルじゃない、ズルだと言い合う二人に柚葉はゆるゆると頭を振って笑っている。 「遊び道具もお前らが準備しろよ? ここにはないぞ」 「ん。任せて。辰臣買い出し行こうね。長、門松とか要るん?」 「要らんわ。飾る場所もない。ここは一応有名なお化け屋敷なんだぞ? なのに門扉に飾るのか? おかしいだろ」  それもそうだと納得して、二人はベランダに天翔を呼んで鬼国へと帰って行った。 「あいつら、俺をなんだと思っているんだろう? 都合良く使われている気がする……が、まあ良いか。紫苑、大晦日は覚悟しておけよ? きっと大騒動だぞ」  文句を言いつつも柚葉は二人の使った湯呑みを片付けている。 「手伝う。買い出しも行かなきゃだね。飛影にも翳狼にも天翔にも美味しい肉を食べてもらいたい、しさ……?」 「誰か来たな」  林の結界を誰かが越えた合図の鈴のような音に顔を見合わせる。  まだ陽は高い。こんな時間に来るのは廃墟マニアか以前に三日間一階を貸したホームレスの類か。 「……年内に片が付くかな?」  低い柚葉の声に背筋がピリッとした。 「人間じゃない?」 「ああ。もう少し近付けば紫苑も感じるかな? 神社で会ったヒャッハー共より遥かに強いぞ」  ニヤリと唇の端を引き上げて、俺の肩を抱き寄せる柚葉からは焦りなど感じられなかった。 「さて。紫苑は俺の傍を離れるなよ?」 「ん。解ってる」  不用意に離れて拉致なんてされたら目も当てられない。柚葉の腰に腕を回して、柚葉の足だけは引っ張らないと心に決めた。 「お出迎えと行こうか」 「わざわざ?」  屋敷に入られるのは不愉快だと言う柚葉は相変わらず穏やかな表情(カオ)のままで、安心させるようにキスをしてくれた。 「これはこれは鬼神様! 会ってもらえないかと思っていたのに、嬉しいなあ!」  芝居がかった仕草で両手を広げて歩み寄ってくる男は一目で解る外国人だった。  細身のダークスーツに身を包み、笑みを貼り付けて近付いて来る金髪碧眼の男。 「黒幕がこんなに早く出て来てくれて助かる。何せこれから年の瀬でな。何かと忙しいんだ」 「黒幕ってひどいなぁ。僕はあのいつまで経っても失恋を受け入れられない弱い女に救いの手を差し伸べてあげただけ。貴方、女の扱いヘタだね。そんなんだから四十年も執着されて結局狂わせたんだよ? 他にもいるんじゃないの? 貴方の身体が忘れられなくて、貴方の心が欲しくてたまらない人が、さ。あーもったいない。もっと上手くやればハーレムじゃない? 美男美女はべらせてハーレムじゃない! それがよりにもよって元人間のそんな出来損ないのお子ちゃまに夢中になっちゃうなんて! その点はあのか弱き女に同情しちゃうなぁ。でも! 貴方に早く会いたかったからさ。来ちゃった」  ずいぶんと流暢な日本語で話す男は雑誌から出て来たモデルのように格好をつけた立ち姿のまま、長い髪を掻き上げてにっこりと俺達に微笑みかけた。 「そこの紫のキミもさ、嫌でしょ? キミは恋愛自体初めてなのにヒドいってホントは思ってるでしょ? 自分はたくさんの相手と好き勝手気持ち良い事しといてさ、キミには貞操を守れなんてなんかズルいじゃない?」 「そんなの過去の事だし」  あんたに関係ないと思わず口を開くと、男は目を細めて首を傾げた。  そしてくすくすと上品に笑って、目尻に溜まった涙を拭う仕草をした。 「そりゃそう言うしかないよね。そう言わなきゃ自分が保てないもんね? だけど、本心じゃどうかなかぁ? 本心だよ、ホ・ン・シ・ン」  トントンと人差し指で自身の心臓辺りを叩く男に無性にイラつく。 「親にも捨てられる程の出来損ないが鬼神様の寵愛を受けて、それがいつまで続くんだろって思わない? いつまで自分だけを求めてくれるんだろって。鬼神様、これからもいーっぱい誘われるんだろうなぁ……キミなんかよりもずっと優れた美しい人に。不安じゃない? 嫉妬しちゃう? それとも自信がないから何も言えない? 嫌われたくないもんね?」 「……黙って聞いてりゃ、ピーチクパーチクうるせぇなぁ……」  低く冷たい柚葉の声に周辺の空気が振るえた。言葉が荒いのは怒りが限界に近い証拠だ。  足元から一気に風が巻き上がり、無数の石飛礫(いしつぶて)が男に向かって飛ぶ。石だけじゃなく、拾い忘れたタバコの吸殻や割れたガラス瓶の欠片も渦を巻いて大きく口を開けた蛇のように男へと襲いかかった。  あんなのが当たったら痛いだろうなと思うだけで、俺は変わらず柚葉に肩を抱かれたまま竜巻の中心にいた。  轟音の中で頭の中に静かにこだまする男の声。  ――親にも捨てられる出来損ない――  ――鬼神様の寵愛はいつまで――  ――キミなんかよりも優れた人に――  あぁ、うるさいな。  そうだよ、俺は出来損ないで失敗作で、それでも柚葉は俺を選んでくれたんだよ……うるさいよ、うるさい。 「紫苑、唇を噛むな。血が出てる」  怒気はそのままに、優しい柚葉の声が耳元で聞こえて、すぐに顎先から唇までを柚葉の温かい舌が舐め上げた。  こんな争いの最中にも俺の事を気にかけてくれる柚葉にささくれ立った心が少しだけ凪いだ。 「あーもう! 見せつけないで欲しいな。僕は貴方が欲しくてここへ来たのに」  予想外の位置からの音声に柚葉は片眉をぴくりと吊り上げて空を睨んだ。 「まともに反論もできない、攻撃もして来ないそんな出来損ないのお子ちゃまよりも、貴方の隣には僕が相応しいと思うよ。貴方の力と僕の力があれば、この世界だって簡単に手に入れる事ができる!」  宙に浮く男の背から生えた漆黒の翼。  浮遊しながらも、柚葉の怒気から身を守るかのように何対もの羽を器用に動かしている。 「僕は貴方に貞操を誓わせたりしない。相手が男だろうと女だろうと(とが)めはしない。酒池肉林、大変けっこう!」 「興味ねぇよ」 「じゃあ世界は? 二人でならもっともっと楽しくこの世を支配できる。ねぇ鬼神様、そんなのより僕の方が傍に置くメリットがあると思うな……もっと人を堕落させようよ。そして貴方は美味しく味付けされた魂を食べれば良い。僕が提供してあげる! その子にはできない芸当でしょ? っていうか、痛いなぁ。僕は穏やかにお話をしに来たんだから、攻撃止めてくれませんか? 鬼神様」  防ぎ切れなかった小石が頰に飛んで、白い肌の上に血が滲み、男はそれを指先に着けてわざとらしく見せつけるように自分の指をしゃぶった。 「ああ、それに。きっと僕はその子より貴方の事を()くしてあげられると思うな。その子、ヘタそうだもん。実際経験値低くてヘタでしょ? 貴方だって本心じゃ物足りないでしょ?」  くすくす……小バカにするような声と視線が頭の上から降って来る。  俺は俯いてしまわないように顔を上げて睨むのがやっとで、何も言い返す事はできなかった。  全部……きっとその通りで。  男が話しているのは柚葉で俺じゃなくて。  俺が何を言っても鼻で笑われるのがオチで。  悔しくても、その通りだから、せめて俯いてしまわないように意地を張るしかなかった。 「名も名乗らん無礼者。俺の愛しい者をバカにする無礼者。好き勝手ほざくバカ者。異国まで来て何がしたいのか知らんが、お前の甘言に乗る程俺は愚かではない。殺すぞ」 「何がしたいって、貴方が欲しいって言ってるじゃな、ッ!痛っ! 何!? 痛いなっ何このカラス! あっち行けよ! 殺しちゃうよ?」 「やってみろよ……それも俺の大切な者だ。傷一つでも付けてみろ、お前の羽、全部毟って手足バラバラにするぞ。楽に死ねると思うなよ? 誰に喧嘩売ったのか解ってんだろうなぁ?」  迷わず目を狙う飛影を鬱陶しそうに払う男に向けた柚葉の声には明確な殺意があった。 「コレも貴方のモノ? ちょっイッタイなぁ! すごい忠誠心だね」  良いな、欲しいなぁと(うそぶ)く男に飛影は脚の爪を立てて、顔面を中心に様々な角度から攻撃を続けている。  飛影は裏庭の結界の中にいたはず。なのに何故ここにいるんだろう。結界を破った?  力持ちになったのだと胸を張った飛影を思い出す。 「ふざけるな! 貴様になど使われてやるものか! 私の大事な主人(あるじ)を揃ってバカにするなど断固許さぬ!」 「主人……揃って? え? まさかそのお子ちゃまにも忠誠を誓っているのかい? あー驚いた! 本当に貴方はその子には甘いんだね! どう考えてもその出来損ないにこのカラスちゃんはもったいないでしょ? カラスちゃんも僕に忠誠を誓えば良いのに! 同じ黒い翼を持つ身なんだしさ!」 「ふざけるな! バカにするな! お前と同じだなんて反吐が出る! 紫苑に謝れ、異国の愚か者! 紫苑はっ紫苑は私の主人だっ優しく美しい私の大事な主人だっ」 「飛影……飛影離れて!」  男の手が今までにない早さで動くのが見えた。男の背後から首や羽を狙う飛影へと男の腕が鞭のように伸びてゆく。  頭の中に一瞬でこれから起こる出来事がコマ送りで浮かび上がった。  しなる男の腕。はたき落される飛影。  服の乱れを直して冷酷な笑みを浮かべる男と地面に落ちた首があらぬ方向に曲がった飛影。 「イヤだあぁあぁぁ!」  轟々と風が鳴る。  鼓膜が破れたような気がした。高い金属音が右耳から左耳へと脳の中を走って軽い眩暈と頭痛に顔が歪む。 「……しおん? あぁイヤな名前イヤな名前イヤな名前っ……ホントに腹立たしい無能なガキ!」  舞い上がる砂嵐で前が見えない。  飛影の声は聞こえない。  俺を呪う声だけはやけにはっきりと聞こえた。

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