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第二十七話 彼の名は……
俺が邪魔なら俺を消せば良い。俺の親がそうしたように。
俺はそれに傷付きはしたけれど恨んではいない。
あの人達が俺を捨ててくれたおかげで柚葉 と再会し、新しい命や、気を許せる仲間を得る事ができたのだから、もう良い。
だけど俺が邪魔だという理由で飛影 が死ぬなんて許されない。
飛影が死ぬ時は飛影が望んだように柚葉の温かな手の中で、こんな寒空の下で俺のせいで死ぬなんて絶対に違う。
違う……違う……違う……違う!
「ぅあ、あぁぁゔぁああああああっ」
頭が痛い。喉が熱い……血の味がする。
身体中を駆け巡るこの激情の名を俺は知らない。
怒りと情けなさと申し訳なさと悔しさと全てが綯い交ぜになった思いが言葉にすらならず口から溢れ出る。
「……っ、紫苑 っ! 落ち着け! ちゃんと呼吸 をしろ! おいっ紫苑!」
「力のコントロールもできないの? そのくせ僕にこんな事を……ああ、腹が立つ! 出来損ないのくせにっ!」
あぁ、アイツ殺さなきゃ……俺のせいで飛影が……アイツ殺さなきゃ……。
一歩踏み出した脚が震えていた。バカみたいに膝が笑っていた。それでも行かなきゃ。
殺しに行かなきゃ。
「ムカつくなぁ、クソガキ。コレを外せ!」
男の声が聞こえるのと同時に腕が引かれ、笑ったままの膝が折れそうになる。地面に膝をつきそうな俺を支えてくれた柚葉の目が俺を責めていない事が不思議だった。
「紫苑……紫苑。大丈夫。俺が解るな? な? 解るな?」
「ゆずは、俺のせい、飛影が、ごめん、なさい……」
掠れて蚊の泣くような声しか出せない。柚葉の指が頰を拭う仕草で初めて自分が泣いているのだと気付いた。
「落ち着いてアレを見ろ。な?」
すぅっと伸ばされた指の先では男が顔を歪め、荊の蔦に腕と羽を巻き上げられて不自由そうに空中で踠 いていた。
上等そうなスーツは荊のトゲで所々破れて、蔦の巻きついた羽からは血が流れて、ポタリポタリと地面に汚いシミを作っていく。
男が身動ぐ度に何故か俺の身体にもその振動が伝わって来る。
俺に向かって離せと喚く男と飛影のいた間には柚葉の色の鉄板並に堅固な結界が存在し、残念ながら緻密に編まれた結界のせいで飛影の姿は見えなかった。
とにかく呼吸をと言われて、ざりざりと鉄の味のする唾液を飲み込んで咳き込む。俺の背中を撫でてくれる手は優しく、それでいて視線は空中で暴れる男から離してはいない。
「でかしたな、紫苑。俺の先見 よりお前の方が一瞬早かった。俺の言う通りにしろ。呼吸を整えて、あの男をそのまま捕らえていろ。俺が引きずり落とす」
無意識に頷いたは良いが、頭に残った柚葉の言葉の欠片にもう一度柚葉を見上げた。人生初の二度見をまさかこのタイミングで使う事になるとは思わなかった。
俺が捕らえている……? 俺の意志で?
「この手に意識を集中して、逃がさないって念じておけ。大丈夫、紫苑ならできる」
振り払われる飛影が見えて咄嗟に伸ばした手。宙に届くはずもないのに、俺の無力を象徴するかのように伸ばされた手から男を苦しめている荊の蔦が何本も出ていた。
それでアイツが動くと俺にも振動が来るのかと納得する反面、何故どうしてこうなった!? と不思議でならない。
「集中しろ」
柚葉に囁かれ、逃がさないと念じながら自分の中指と男を交互に見つめた。俺が念じる度に締め付けがキツくなるのか男が暴れる。そうしてトゲはより深く刺さり、男は燃えるような目で俺を睨み外せよと叫ぶ。
「都合が悪くなったからって逃げんじゃねぇぞ? そもそも俺を見下ろそうっていうその態度から間違いなんだよ、愚か者」
「ッ……穏やかに話をしに来たのになんて短気なんだっ!」
「……はぁ、穏やかねぇ? 散々無礼を働いて未だに悪態がつける程度にしてやっているんだから気は長い方だと思うがなぁ……その分これからが地獄だぞ?」
うっそりと笑い、柚葉が作り上げた結界のロープが男を縛り上げていく。全ての翼の自由を奪われた男は地面に派手な音を立てて落ちた。舞い上がる砂煙りの中、芋虫のようにのたうちながら、それでも薄っすらと笑顔を貼り付けているのはさすがに不気味だった。
「地獄? それは楽しみだな」
「そうか……紫苑、アレを頼むな?」
アレと指差された先には柚葉の鳥籠のような結界に守られた飛影がいた。
ゆっくりと降りてくる鳥籠に精一杯手を伸ばして、最後は我慢できなくてジャンプして籠を抱き抱えた。
「飛影! 飛影! 大丈夫?」
「無事だ。紫苑が守ってくれたのだ!」
早く飛影に触れたくて、必死で柚葉の結界を解く俺の指をたまに飛影が突いて邪魔をする。そのちょっかいさえ嬉しくてたまらなかった。
「紫苑、アイツ、相当強い。妖力だけで言ったら上位の鬼神並だ」
早く結界を解けと急かし、柚葉の方へ首を伸ばす飛影が早口で呟く。
どうして裏庭から出ちゃったんだよと文句を言えば
「良くないモノが来たと木々が騒いでいた。アイツの紡ぐ言葉を風が運んでくれた……私はもう、なんと言うか腹が立って腹が立ってな……」
と悔しそうに俯いた飛影は左脚に視線を落とした。
「主人 から力をいただいてもこの程度……守るつもりが守られて……なんと情けない」
飛影は以前自分で言っていた。
カラスなのだから情報収集はできても戦いは不向きだ、と。
それなのに柚葉の結界をこじ開けて、得体の知れないあの男に果敢に攻撃を仕掛けた……俺をバカにするな、と何度も叫んで、何度払われても怯む事なくこの小さな身体で立ち向かってくれた。
柚葉の作った鳥籠からそっと飛影を抱き上げて抱きしめると掌に伝わる体温と心臓が刻む音に心底安心して、途端に涙が溢れた。
「泣くな紫苑……使い魔が主人の為に命を落とすのは名誉だぞ?」
「……そんなん……名誉じゃないよ! 俺なんかの為に……ダメだよ……」
「……むぅ。言いたい事はあるが、後にしよう。まだ終わっていない」
腕の中からヌーッと首を伸ばした飛影につられて柚葉の方を見ると、地面に転がっている男とそれを見下ろす柚葉の周囲をマイナスの冷気が渦巻き、何やらバチバチと気が爆ぜる音まで聞こえてくる。
「紫苑、主人の傍へ行け。アイツが何か仕掛けてきても主人の傍なら安心だ」
ほんの数メートルの距離が遠い。
柚葉の気を乱さないようにそっと近付くと、柚葉は男を見つめたままで
「飛影。無事か。怪我……したな? そうか……身を以て知ってもらうか」
とまるで独り言のように呟き、男との距離を詰めると、拘束の隙間から覗いていた男の指をあっさりと折ってしまった。
「なっ! いだっ……無抵抗なのになんて事するんだ! さすが鬼だね!」
「そうだ。鬼だからな、慈悲はないぞ。ちゃんと言っておいたはず……傷付けたらどうなるか」
「……羽を毟って? 手足をバラバラにするんだっけ? 残酷〜」
「生かしたまま腸 を引きずり出して喰われる様を見せてやろう」
「貴方が食べてくれるの?」
指を二本折られて、これから訪れる自分の末路を聞かされているのに男はやはり笑顔だった。
嬉しそうに柚葉が喰うのかと聞いている。
やっぱり普通じゃない。
「誰が喰うか。翳狼 !」
一瞬俺の影が揺れて、瞬き一つの間にはもう翳狼が男に向かって大きく口を開いていた。
金属同士がぶつかり合うような音がして、呻き声を上げたのは翳狼の方だった。
「主人殿、私の牙がこの男に届きませぬ……!」
「コレも貴方の使い魔? 大きくて美しいね。けれどね。たかだか使い魔程度が! 本気のこの僕に牙を立てられると思うなよ!」
あれだけキツく戒められていた翼の一つが自由になり、反撃とばかりに砂を巻き上げる。
「あぁ、面倒臭い……殺してやるから早く名を名乗れ」
「あ! やっと僕に興味を持ってくれた? やっぱり最初から本気出しておいた方が良かったかなぁ……ね? 僕、強いでしょう?」
そのガキよりも。
にこりと微笑む顔は砂に汚れていても美しかった。
長い金髪、誰をも魅了する美しい姿、何対もの漆黒の翼。そして柚葉と渡り合える圧倒的な妖力。
「悪魔……?」
「うるさいな! 鬼神様と話しているんだから邪魔しないでくれる?」
ぽつりと洩らした俺の一言に噛み付いて、男は深い溜め息をついた。
「聞いた事くらいはあるんじゃないかな? 改めてまして、こんにちは鬼神様。僕は異国の神、名はサタン。貴方が欲しくてわざわざ来ちゃった」
えへっなんて可愛らしく笑いを付け足した男を柚葉は変わらず氷のように冷めた目で見ている。
無反応の柚葉に焦れたのか、サタンと名乗った男がもぞもぞと地面を這い、どうにか起き上がろうともがく。
「あーもう。もっとカッコ良く挨拶したかったのに、散々だよ……クソガキ」
あと少しで不恰好ながらも膝立ちになりそうだというところで、無言の柚葉から痛烈な蹴りが男の顎に入って、男は仰向けに倒れた。
「紫苑、お前知っているか? サタンってなんだ? 本当に異国の神か?」
ふざけているのかと思って柚葉を見上げたが、あまりに真剣な眼差しに、これは冗談でも挑発でもないのだろうと思い、とりあえず頷いた。
「ウソでしょ!? 本当に僕を知らないの?」
「知るか、バカ。俺は日本の神だぞ? 統治に関係のない欧米の神なぞ知らん」
清々しいまでの素っ気なさに男は悲鳴にも似た声を上げ、悔しさのあまり自力で翼二つの戒めを解いた。
「はぁ……ずいぶん日本 にも僕達の文化が定着したようだから貴方も僕を欲しがってくれると思っていたのに、僕を知らないなんて残念だな」
「自惚れが過ぎるんじゃないか?」
「自惚れ? どう見たって僕の方がその子より良いと思うけど。知名度だって最早世界規模だし、顔だって悪くはないと思うし? 能力だって比べ物にならないし」
「ふん、性格は最悪だ」
「それ褒め言葉だよ。ありがとう鬼神様」
男は小首を傾げて柚葉に媚を売ると、同じ顔とは思えない程冷たい目で俺を睨む。
「本当に邪魔だよ、元人間の出来損ない。身の程を弁えるって事を知らないの?」
「……それでも、柚葉は俺のだから……」
人間なら殺せそうな程の殺意に塗れた視線で射抜かれても、俺の気持ちは萎えなかった。
俺じゃ柚葉には不釣り合いですよね、なんて口が裂けてもコイツに言うのは嫌だった。
例えそれが真実でも。
身勝手な理由で山吹 を誑かし、不意打ちを仕掛けて、飛影に怪我をさせたヤツに弱味なんて見せたくなかった。
「身の程を弁えるのはお前の方だろう? お前の言い分だと紫苑はまるで取るに足らない無能と聞こえるが、お前は紫苑の攻撃を避けられもしなかったじゃないか。ああ、気を抜いていたなんて不粋な言い訳はするなよ? 世界規模なんだろう?異国の神よ」
「……ムカつく。その子、ホントイヤな子。使い魔の一匹二匹に目くじら立ててバカみたい。使い捨ての魔物だから使い魔なのにさ」
「価値観の相違だな」
飛影の命をバカにされて、口を開きかけた俺を手で制した柚葉が一歩男に近付いて、俺に向かって唾を吐いた男の横っ面に蹴りを入れた。
「……ツッゥ……鬼神様、ドエス?」
「さぁな、紫苑に聞け」
「いたた……絶対ドエスでしょ! 僕の顔をこんなに容赦なく蹴りまくったのは貴方だけだよ」
「蹴られるような態度だからだろう。俺達はお前のような考え方はしない。使い魔は使い捨てではない。手となり目となり仕えてくれる。時に喜怒哀楽を分かち合う大切な存在だ」
「……バカな。下僕だよ、無価値だよ……あーっもう! さっさとしろよ、無能!」
いきなりえび反りで叫んだ男のスーツの下からハトくらいの大きさの生き物が現れて甲高い声でひたすら男に向かって謝っている。
コウモリの羽に矢印尻尾。手にはフォークのような三又の槍をもったそれはゲームや漫画、映画でよく見かける悪魔そのもので。
「……アレって……紫苑が魔物になったと知った時に言ったヤツ、か?」
「あ、うん……一番オーソドックスな、タイプ……?」
お互いに語尾が疑問系になる。
いきなり現れたザ・悪魔くんに正直なところ俺達は拍子抜けだ。
そんな俺達を置き去りに悪魔くんは必死になって羽に絡みついている俺の放った荊のような蔦と柚葉が作り上げた拘束を外そうとガジガジ噛んだり、フォーク……槍の先で突いたりと忙しそうだ。
「手を先に自由にしろよ、バカ」
「はいっ!」
「っとに使えないな……お前の代わりなんていくらでもいるんだぞ」
「ご、ごめんなさ……」
「謝る暇があるならさっさと仕事しろよ、ボケ」
「おい! そこの……ちっこいの! お前だ、お前! お前、コイツの使い魔か?」
ピクッと動きを止めた悪魔が恐る恐る俺達を見上げて、伺うように男を見た。
「はいっそうで……」
「下僕だろうが」
「はい……下僕です」
子供のような高い声に滲む怯えに胸が痛んだ。
下僕ですと寂しそうに答えた悪魔は再び蔦と戦い始め、あと少しのところで自力で拘束を外した男に弾き飛ばされた。
「ムカつく……ムカつく。貴方が僕の事を知らないのは仕方がないとして、それでも僕よりその子を選ぶ貴方にもムカつくし、身を引かないその子にもムカつくね」
「じゃあどうする? 再び殺し合いをするか? 今度はサシで」
サシでと言う柚葉に男は微笑むと、まさかと言って立ち上がった。
「出直すよ。今やっても勝てないし……」
ウィンク一つを柚葉に投げて、男は自分が弾き飛ばした悪魔の元へと歩いていく。
「ごしゅ、ご主人さまぁ……ふぎゃっ」
害虫を踏み潰すように、確実に命を断ち切るように爪先を捻る念の入れようだった。
男の爪先からは薄く煙が立ち上り、男は俺達を振り返ってスーツの汚れを払いながらゾッとする程冷酷な表情で
「使い捨てだよ、役立たずはね。紫苑だっけ? お前もこうなるよ? 出来損ないの役立たずなんだから」
と俺を指差して、次は殺すねと言い残して動く羽を駆使して空へと消えた。
踏みにじられた土だけが悪魔がいた証。
「惨 い事を……」
と唇を噛む柚葉に、俺は図書館へ行きたいとねだった。
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