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第三十四話 それぞれの涙

 たまには少し歩こうか、と優希を送り届けた帰り道で突然言い出した柚葉(ゆずは)は、鬼道から出ると翳狼(かげろう)を俺の影へと入らせて、俺の手を取ってゆっくりと歩き出した。  真冬の夜は冷える。  吐き出す息が白く、それが闇に紛れるのを眺めながら無言で歩く。  もうすぐ林の入り口だ。 「……柚葉」  くいっと手を引いて、半歩先を歩いていた柚葉を呼び止めた。 「どうした? 寒いか?」 「寒いよ」  ぎゅっと抱き着いてもコートの上からじゃ体温が伝わらなくて寒い。寒くて切ない。 「……柚葉が自分の事、責めてるの、解るよ……俺を鬼神にした事で優希と引き離したって思ってる」 「だって、紫苑(しおん)……それは本当の事で……」 「引き離そうとしてたのは俺達の親だよ! 柚葉じゃないよ! 引き離すどころか柚葉は俺と優希の距離を縮めてくれたじゃないか!」  だから責めないで。後悔しないで。 「俺を否定しないで」 「してないっしてないよ、紫苑」 「してるよ。そうやって柚葉が後悔する度に俺はあの日勝手に嫉妬して柚葉の手を振り払った自分を呪うんだ! あんな勝手な事しなかったら柚葉は自分を責め続けるような事にはならなかったのにって!」 「紫苑、ごめんっ」  珍しく強引に顎を持ち上げられて、息を吸った瞬間に柚葉の唇が重なる。柔らかくて冷たい唇から熱い舌が挿し込まれて咥内を柚葉の舌と唾液と想いが満たしていく。  筒抜けなんだ。だから伝われば良い。  これが俺のどうしようもない八つ当たりだって事も、優希に言った言葉に嘘はなかったって事も、優希と過ごす時間を与えてくれた事がどんなに嬉しかったのかも、全部全部伝われば良い。 「っん、解って……解ってよ……」 「うん……もっと解らせて?」  真冬の誰もいない道の端っこで、俺達は寒さに鼻の頭を赤くしながら、何度もキスを繰り返した。  キスをして言葉を交わして、少しずつ想いを伝えていく。 「優希を見守る事を約束してくれた……それがどれだけ嬉しかったか解る?」 「俺ができるのはそんな事くらいだ」 「そんな事がすごく重大なんだよ? 柚葉が俺に優希と話す時間をくれたから、俺は幸せな時間を過ごせた。あの時、柚葉の哀しそうな顔に気付いたのに何も言えなかった。ごめんね」  ごめんね、ごめん。だから俺を嫌いにならないで……。 「あれは……俺が奪ってしまったものを見てた……ちゃんと見なくちゃいけないと思って」 「うん」  流れ込み、溢れ出す想いを交換し合って、やっと唇を離した時には俺達は二人揃って泣いていた。 「まさか俺が。こんな……鬼の目にも涙だな、ったく、恥ずかしい」  ふっと顔を背けて手の甲で涙を拭う柚葉の呟きに俺もだと慌てて鼻をすすって涙を拭いた。 「柚葉が好きだ」 「紫苑?」 「すごく好きだ。大好きだ」 「紫苑……キスしても……?」 「うん」  ゆっくりと重なる唇がやたら冷たい。しょっぱいキスは舌を絡め深くなる度に甘くなる。  どれだけ後悔してもあの日をなかった事にはできないし、したくないと思った。  あの日がなければ、きっと今も俺は寮に残って週末を待ち、柚葉の言葉だけを支えに一人過ごしていたと思う。 「紫苑の場所になってあげる。週末、ここに来てくれたら、紫苑の逃げ場所になってあげる。いずれ楽にしてあげる」  それが“契約”だった。  もう逃げ場所は要らない。契約も必要ない。その代わり……。 「……ん、ゆず、んぅ」  頰を包み込む掌が温かく、咥内の水音が直接脳に響く。 「しお、ん……それホント? 紫苑もっと……」  味蕾が擦れ合う度にぞくりと官能が背筋を這う。柚葉のコートを掴んでいるだけじゃ足りなくて、両腕を柚葉の首にかけて、俺からも舌を伸ばした。 「ほん、とっんっ……ゆず、はっぁ」  つぅっと二人を繋いだ銀糸がふつりと切れた。 それがひどく惜しいと思う。 あんなに熱かった唇が離れた途端、急速に冷えていく。 「早く帰ろう……抱きたくて仕方がない」 「翳狼に出て来てもらう?」 「いや。あと少しだし歩こう。一緒に歩きたい。寒いなら抱き上げて行くよ?」 「俺も。一緒に歩きたいから、行こう?」  それでも離れ難くてぎゅっと抱きついて柚葉の首にキスをした。 「あんまり煽るなよ……俺は今有頂天で、この場で押し倒してしまいそうなくらい浮かれているんだから」  ふふっと小さく笑った柚葉は木々の隙間から覗く満天の星空を見上げて 「飛影(ひかげ)に笑われるな……おい、翳狼! 飛影には内緒だぞ」  と翳狼に向かって声をかけ、柚葉の呼びかけに俺の影から翳狼が応えた。 「鳴いたカラスがもう笑った、と?」 「そうだ。あいつは大喜びで五十年先も言い続けるだろう……それは勘弁だ」 「……しかし主人(あるじ)殿、私は貴方様にお仕えしてから今日まで、貴方様の涙を見た事はございませんでした。紫苑様のおかげで、お心が少し解放されたのでは?」  柚葉の喉が微かに動いた。俺の肩を抱く手に力がこもる。 「……それは俺が弱くなったという事か?」 「いいえ、主人殿。強くなられたのですよ……あぁ、さしでがましい事を申しましたね。お許しを」 「……いや、ありがとう」  行こう、と歩き出した柚葉は俺にも飛影には絶対に内緒だぞ! と何度も念押しをした。  歩きにくい? と気にかけてくれつつも、柚葉の手は俺の肩から離れる気配はない。  大丈夫と伝える代わりに柚葉の腰に回した手に力を込めて更に身を寄せた。 「こんな真っ暗な道、よく一人で来たよね。ホント怖がりなんだよ」  俺達は鬼火で道を照らして足元の確認ができるけど、優希はスマホの明かり一つで来たんだろう。風が吹けば枝や枯葉が鳴り、さぞかし怖かっただろうと思う。 「そのわりには鬼になった俺を見ても一歩も引かなかったな? 飛影に見張らせていた限りでは優希は紫苑に害はないと解っていたが……ふふ、あんなに紫苑大好きっ子だとは思わなかった」  心なしか柚葉の声が明るく聞こえるのは、ちゃんと八つ当たりも含めて俺の気持ちが伝わったんだろうと思うと俺の心も軽くなった。  優希の記憶を書き換えるのは、不安定な俺には厳しい。消さなくても良い記憶を消したりして、優希の中に混乱や矛盾を残したくなかったから、柚葉に頼った。 「ヤな事させてごめんね」 「いや、紫苑が必要だと思ったのならいくらでも手を貸すさ。それに俺も少し勝手をさせてもらった」 「えっ? 何したの? ……っていうか、何しに来たの?」  柚葉のした勝手が何か知りたかったのに、頭の上から降り注ぐ敵意にうんざりして顔を上げた。  ゆらゆらと夜の闇に紛れながら漂う男は不機嫌さを隠そうともせず、刺々しい言葉を繰り出す。 「あーあ。せっかく良い駒だと思ったんだけどなぁ! あのガキだけでしょ? 出来損ないのキミの事をそこそこ大切に思ってるのって。あのガキももうちょっとダダこねてくれたら良いのに……ホント兄弟揃って使えないね」 「俺には何を言っても良いけど、弟の事をあんたにとやかく言われる筋合いはない。ここにいない人間の悪口を言うなんて異国の神ってカッコ悪い。ダサい」 「は?」  まさか俺が口を開くとは思っていなかったのか、男は一瞬目を見張り口をあんぐりと開けた。 「ふぅん。今日は強気なんだ……鬼神様と仲違いしてくれるかなぁって期待してたけど、あっさり仲直りしていちゃついちゃうんだもん。がーっかり。せっかく迎えに来てくれた唯一の家族追い帰しちゃうなんて、さ。さすがは愛されなかった子だよね! 家族愛とかさ、解んないんでしょ?」  空中で苛立たし気に腕を組んで俺を挑発する男に、俺は微笑みかけた。  微笑みの意味を理解できないのか、男が月明かりに照らされて眉間に皺を寄せたのが解った。 「そうだよ、俺は生みの親にも捨てられた……あんたと同じだよ」 「何言ってんの? バカじゃないの? 僕は……」 「捨てられた……いや、見限られたんだろ? 生みの神に。堕天……」 「違う! 僕は異国の神サタンだ!」  頭上からの突風を防いでくれたのは柚葉だった。 「……その顔、羽の枚数、山吹(やまぶき)に語った“星に願いを”だか“星が願いを”って言葉はかつて明けの明星と呼ばれたルシファーを簡単に連想させたよ?」 「うるさいっ! 違う!」 「ルシファーじゃない? ならあんたは誰?」  バチバチと結界に当たり木の枝が飛んでいく。 「調べたのかっ? ははっ調べて何が解った!? 解るもんかっ」 「お前、毎回高いトコから無礼なんだよ、降りて来い! 腕もダルい」  片手を上げたまま、柚葉が面倒臭そうに男へ文句を言い、俺の肩をぎゅっと抱いた。 「俺は早く紫苑を抱きたくて仕方がないのに……」 「俺も。早くお風呂に入りたい」 「抱かれたい?」  男の事は無視して、柚葉は甘い言葉を投げかけ、俺もそれを受ける。  ちゅ、と柚葉の唇が俺の目元に落ちると、頭上で男が叫んで一対の羽をはためかせて羽根を弾丸のように飛ばして来た。  結界に弾かれた羽根は空中であの小さな悪魔に姿を変えて、フォークのような槍で結界を突いて攻撃している。  ……一生懸命で可愛いんだけどなぁ。 「離れろ、ザコ共」  柚葉の妖力を込めた強い言葉に小さな悪魔達は、きゅう〜っと鳴いて数メートルは弾き飛ばされた。  結界を破ろうとしただけの悪魔達を柚葉は消すつもりはないようだ。 「早く終わらせよう……あいつを引きずり落としてくれ」 「はっ! 笑わせる! 鬼神様ならまだしも、そんな出来損ないに何ができるって言うのさっ!」 「できるさ、なあ? 紫苑?」  うん、と頷く前に名を呼ばれて顔を上げると、優しい目で俺を見る柚葉と目が合った。こんな状況なのに柚葉はゆっくりとキスをして、愛してると囁く事も忘れない。 「そんなのとキスしてもつまんないってば! 僕にしなよ! 僕が最上級の快楽を与えてあげるってばっ!」 「柚葉はあんたのモノにはならない。あんたを愛したりしない」 「っ! くそガキっ!」  どさりと重い音がして、男が地面に落ちて、土埃が舞う。  男は信じられないという目で俺と俺の掌から伸びた(イバラ)(ツタ)を見た。 「棘が刺さって痛いんだけど!」 「拘束にはもってこいだろ?」  うっそりと笑う柚葉の言葉に男はうんざりしたような声で悪態をつく。 「ったく! 出来損ないのくせに……どうせコレも鬼神様が力を貸したんでしょ? ホントそのガキには甘いよね。僕にもちょっとは優しくして欲しいよ」  地面でのたうつ男の前に立った俺は、しゃがんで男との距離をつめると男の目の前で鬼化(きか)してみせた。 「柚葉ももちろん力を貸してくれた。俺はなかなか力をコントロールできなくて、あんたの言う通り出来損ないだった」  紫苑……と溜め息混じりの柚葉の声が聞こえる。柚葉は俺が自分の価値を低く設定してしまう事を快く思ってはいないのは知っている。  それでもこの男には言わなきゃいけない。 「柚葉はそんな俺を責めなかった。見守って、何度も何度も手を差し伸べてくれた」 「そんな惚気が聞きたいんじゃないよっ! コレを外せよ、くそガキ!」 「でも……決定打をくれたのはあんただ。あんたが弟に近付かなきゃ、俺はまだ鬼化や妖力をコントロールできなかったと思う。それだけは感謝するよ」  弟? と不思議そうに男が呟いた。 「そう、あんたは俺に守るものをくれた。優希はものすごく怖がりで、あんたに唆されなきゃ絶対にこんな悪評高いお化け屋敷になんか来ないよ。あんたが言ったように俺は親に捨てられた。だから……あんたが親に近付いてもなんとも思わなかったと思う。でも優希は違う。大事なんだ」  解る? と問いかけると、男は鼻で笑ってバカみたいと答えた。 「守る? 大事? 人間相手に何を言ってるの? 人間は愚か者の集まりなんだ。糧だよ、糧! キミの弟も今は素直な良い子ちゃんでも大人になったらろくでもない人間になるさ! どう堕落して何をしでかしてくれるのかワクワクするよ! 可愛い顔してたから、女何人も孕ますかもね? 堕胎もさせちゃうかも! それともキミの弟だ、男を誑かして男の上で腰を振るかもね? イッ!?」  ギリッと絞まった蔦に男が短く呻いて、男をどうにか起こそうと躍起していた小さな悪魔達がびくりと身を竦めた。 「だからここにいない人間を悪く言うのはダサいって。俺が嫌いなら俺に言えば良い……あんた俺が妬ましいんだろ?」 「は? 何言って……この僕が! なんでキミみたいな出来損ないを妬まなきゃならないんだよ! バカなんじゃないの!」 「口を慎めよ? それからな、紫苑? こいつにわざわざ目線を合わせてやる必要なんかないぞ? 毎回毎回見下ろしやがって。格の違いが解らん阿呆(あほう)だ」 「ムカつくっ!」  飛べないようにまとめて縛り上げた翼が蔦の拘束の中で強張るのが伝わって来た。  柚葉が俺の身体に腕を回して立ち上がらせると、男は悔しそうに唇を噛みながら、どうにか小さな悪魔達に支えられて両膝をついて身体を起こした。  俯いたまま、哀れみを誘う細い声で身体を揺らしながら 「ねぇ、痛いよ……血も出てる。コレ、外してよ」  と弱々しく願い請う。  確かに翼や胴体、腕に食い込んだ荊の蔦の隙間からじわりじわりと赤い血が滲んでいるのを鬼火が暗く照らしている。 「泣き落としか? ダメだ。紫苑、緩めるなよ」 「あ、うん」 「チッ……」  睨み上げる瞳の光の強さには俺に対する憎しみと、やはり嫉妬や羨望が伺えた。 「これから俺の想像を話すよ。勝手な憶測だけど、もし違ってても暴れないで欲しい。暴れると棘が食い込んでもっと痛むから」  そう言うと男は偽善者め、と吐き棄てるように呟いた。  俺はそうかもねと答えて、資料を読み漁って組み上げた話を聞かせた。 「本当は柚葉じゃなくても良かったんじゃない? 鬼神だろうとなんだろうと神格を与えてくれる存在が欲しかった。最初は山吹(やまぶき)で手を打とうとしたんじゃないかな。けど山吹は柚葉の事しか見ていなくて、柚葉が鬼神の頭領である事や俺の事も知った。そこであんたは山吹から神格をもらうより、頭領である柚葉からもらいたいと思った……俺を襲った妖魔に西洋魔術を教えたのはあんただろう? 俺を(うしな)った柚葉に近寄って俺の代わりになろうとした……でも柚葉は持てる力の全てを使って俺を蘇生させてしまった。あんたは途端に俺が嫉ましくなった」 「なんで僕がっ! 痛っ!」 「それは俺が人間だったから。そしてあんたと同じだったのに、俺は柚葉に愛されたから。俺ね、不思議だったんだ。初めて会った時、どうして俺にあんなに敵意を向けるんだろう、どうして俺の事詳しいんだろう、どうして柚葉が欲しいなら俺を人質に取って言う事を聞かせなかったんだろうって。柚葉を誘いながらあんたは俺にダメージを与えたかった。俺が自分のダメさを認めて柚葉から去る事を願ってた。俺を孤独にしたかった……あんたみたいに。違う?」  俯いて痛みに耐えながら俺の話を聞いていた男は顔を上げると大きな声で笑い出した。  時折バカじゃないの? と悪態を挟みつつも俺を嘲笑う姿はどこか痛々しくて、俺には彼が笑いながら泣いているようにも見えた。  まるで昔の俺みたいだ……。 「僕のどこが孤独だって!? 世界規模なんだよ! 一体どれだけの人間が僕の名を口にすると思う? どれだけの人間が僕の名に恐怖すると思う?」 「でも愛してくれる人はいない」 「愛? 愛されてるでしょ!? 僕を信奉する愚かな子羊が世界中にたくさんいるって言ってるでしょ? バカなの!?」 「……本当に愛して欲しい人は名を呼んでくれない」  そう言うと男はぐっと言葉に詰まって、地面に唾を吐いた。興奮を鎮めようと肩で大きく息をしている。男の苦し気な呼吸音が暗い森に響いた。 「お前だってもう名を呼ばれないじゃないか! 父親も母親もお前がいなくなってせいせいしてるんだ! 人間なんて薄情だからね、そのうち弟や友達すらお前の事を忘れるさ! 人間の愛なんてその程度だよっ愛なんて……愛なんてくだらないものになんの価値もないよ!」 「俺もそう思ってたよ」  柚葉に会うまでは。  愛なんて形のない不安定なものになんの価値があるんだろうって。  傷付け傷付けられ、感情の中で一番厄介なヤツじゃないかって思って、自分の中からそれを追い出していた。 「でも……柚葉が呼んでくれる。俺はそれで満たされる」 「いくらでも呼ぶぞ? 紫苑? 俺はお前のモノだ、愛してる」  背後から抱き込むように俺を包む柚葉の声は男を煽るつもりかとても甘い。耳朶から首筋へと滑る唇の冷たさに思わず首を竦めると、不満そうに柚葉が鼻を鳴らした。 「愛され自慢のつもり? ムカつく! この僕をお前なんかと比べるなっ! 下に見るなっ! ……鬼のくせにっ! 堕落した人間の魂を喰らう鬼のくせに偉そうにっ出来損ないのくせに偉そうにっ!」  ぎらりと光る目には殺意とやはり痛みがあった。 「……下に見るだろ? 何が悪い? ぎゃんぎゃん喚く事しかできない無礼者、俺の紫苑を少ない語彙で口汚く罵る愚か者、俺の領地で俺の一族を道具に使った阿呆のどこを敬えと言うんだ? ……神ですらない者にこうして暴言を吐く事を許してやっているだけでもありがたいと思え、堕天使」 「違うっ! どうせそこの出来損ないが言ったんでしょう? 鬼神様を騙そうとして! 違う、僕は異国の神サタン、貴方に相応し、い……」 「うるせぇ、消すぞ?」  鬼化すると同時に解き放たれた柚葉の鬼気は真っ直ぐに目の前の男に突き刺さる。圧倒されたのか男は言葉尻を言い淀み飲み込んだ。 「紫苑が俺を騙す? ないな。それに俺達は心が繋がっている。魂で繋がっている。嘘も本当も全て解る。残念ながらお前ごときの言葉に惑わされはしない。諦めろ」  フッと鼻で笑った柚葉は伸びた髪を頭を振って後ろへ流すと、すぐに俺の首元に顔を埋めた。 寒さから守るように、男に見せつけるように、俺に解らせるように。 「紫苑の名誉の為に言っておこう。紫苑はただの鬼ではない。俺と同格の鬼神だ。お前は俺を鬼神様と呼ぶが、それならば紫苑の事も鬼神様と呼ぶべきだな」 「……絶対にイヤだね。出来損ないにそんな呼び方したくもない」  ふいっと顔を背けた男の横顔はひどく傷付いているようだった。  このまま……少なくとも今日のところは引いてくれれば良いのに、と願う俺はまだ甘いのかも知れない。  心のどこかでこの男を傷付けたくないと思う自分がいる。 「紫苑? 寒いか?」  男に向けて伸ばした指先に触れた柚葉が冷たいなと囁き、指を絡めて温めようとしてくれる。  ピンッと蔦が張り詰める感触に男を見やると 「どうしたってダメなんだ? 僕じゃダメなんだ? なんで? なんでだよ!?」  絶叫し、黒い羽根を撒き散らしながら俺の荊の蔦を断ち切る男が両目から血の涙を流していた。

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